HAPPY END は 二度 訪れる 17




小さな子供を乗せるのように、膝の上に乗せたまま、アルフォンスは珠貴の顔を覗き込む。
あの日。
珠貴にキスをしてから、アルフォンスは珠貴との距離をとった。
こうして、直接身体に触れ合わないように、避けていた。
そうしなければ、アルフォンスとしたキスが初めてだといった彼女を、抱きしめて、何度もキスをして、それ以上の事を彼女にしそうになったから……。
物理的に彼女を傍に置かなければ、そんなこともないと思った。
だけど、もう何度も想像の中で彼女を抱いている。
今、こうして、自分の膝の上に抵抗なく座る彼女を見つめて「そんなに僕を信じないように」と云い聞かせたい。そうした方が、彼女の為なのに、彼女の身体の温度や、シャンプーとわずかなコロンの香りに、癒されてる自分がて、彼女を離しがたいと思っている。
――――離したくない……。
アルフォンスは珠貴の指を自分の唇に押し当てる。
珠貴は背筋の産毛が逆立った感覚を生まれて初めて感じた。
頭の奥で、これ以上、傍にいたら、どんなに、自分を律しても、彼に恋してしまうだろう……だから離れなきゃ……そんな思いと、離れたくないもう少し傍にいたい。そう思うこと自体、彼に恋してる証拠だという思がせめぎ合う。
「珠貴……」
「何?」
――――好きなんだ……愛してる。
そんな言葉が咽喉の奥から飛び出そうになる。
そのあと、なんて云う?
そのあとどうする?
ずっと傍にいてくれと云うのか?
自分ができないことを彼女に強いるのか?
この会社が再生したら、すぐに日本から離れる僕に……。
「キミを守りたいんだ」
――――それだけは嘘、偽りのない真実。
例えここを離れても、心配して守ってあげたいとそう思うに決まっている。
 

「大丈夫よ、アルフォンス。わたしは、鍛えられてるもの。それに小さな子供じゃないわ」
アルフォンスは珠貴を見つめる。
始めて逢ったころに比べて経営者としての実力をつけてきている。
控え目な性格だったのに、マスコミにも対応するし、取引先にも対応している。
『新生シゲクラ』の顔になっている。
珠貴は、彼女が多分の望んだビジネスの世界で生きていける強い女性になっている。
アルフォンスの予想を上回るスピードで昇り詰めていた。
そして同時に、彼女を責任者という立場に立たせ一人にさせていく。
ただでさえ、独りだったのを、さらに孤独に追い詰めている。
そんな彼女が、あの男が云いよる甘い言葉になびかない保証はない。
珠貴のことを信じていないわけではない。
ただ……こうやって、アルフォンスの云う通りに、危機感なく素直に傍にいるところが、心配なのだ。
あの男が今の珠貴を見て、動かないはずはない。
彼が簡単に捨てた時は、自分に未練たっぷりだったはずだから、いいようにまた利用できるかもしれないと思うだろう。
「キミに無理をさせ過ぎてるのは自覚してるよ」
「ううん……だって、わたしが望んだことだもの。だから……アルフォンスが気にする必要はないわ。大丈夫」
「それでも、僕の云うとおりにしてくれ。あの男がキミに近づくようなら、必ず、僕に知らせる。お願いだ」
珠貴は頷く。
「で、会議とパーティー、どっちに出席?」
すぐに仕事の話を切り出した珠貴に苦笑する。
「……仕事好きだね、珠貴」
「アルフォンスが、仕事好きなんでしょ?」
「うん。好きだよ」
――――キミが、好きだよ。
その言葉が聞こえたように、珠貴はちょっと躊躇う。
アルフォンスの膝の上に座っている状態を、はっと改めて確認してこの状態は違うと彼女は気づいたようだ。
アルフォンスから離れようと、体重をパンプスに移動しようとするのをアルフォンスはぐっと彼女の肩に手を置く。
「アル……」
アルフォンスが珠貴の唇にキスを落とす。
最初はちょこんと触れるようなキスで、下唇を食み、歯を押し広げ、小さな舌を舌先で味わう。
「ん……」
酸素を求めて唇をずらそうとするのを、追いかけて、それを阻む。
拒まないで受け入れるなんて、そんなに甘いのはいけないことだと、教えたくなる。
「珠貴……簡単にキスされてちゃダメだ」
彼女の耳朶を唇で挟み、舌先で舐める。
珠貴はアルフォンスの胸に手をあてた。
ここで力を入れて彼から離れようとしたら、彼は離してくれるだろうかと考える。
珠貴が拒んだら、離してくれるだろう。
でも。
――――離れたくない……。
もう二度と、誰にも恋をしない。
吉野に切り捨てられたときに、そう思った。
祖父の墓前に現れたアルフォンスにも、最初は反感すら抱いた。
でも。
彼は珠貴を、彼女の望み通りに変えてくれた。
いつか、近いうちに日本を離れる人だって、わかっている。
離れて行く人で、自分の人生には関わることのない人だということも。
でもこんなに惹かれたことはない。
彼のキスも服の上から珠貴の全身を撫でる手も。全部アルフォンスに委ねたい。
アルフォンスが、珠貴の耳朶から、首筋に唇を這わせる。
ちいさなキスを繰り返しながら。
喉元をちょっとだけ舐めると、また、珠貴の唇にキスをする。
指先が、珠貴のブラウスのボタンにかかる。
キャミソールの上から珠貴の胸を掌で包み揉みしだく。
アルフォンスの手を見つめて、珠貴は頭い血が昇って行くのを実感していた。
「珠貴……云っただろ、拒んで」
「……アルフォンス……」
「拒まないと、キスも知らないキミにとんでもないことをしそうだ」
「ここで?」
「うん」
「どんなこと?」
「キス以上のこと」
「……拒んだら、止めてくれる?」
「うん」
キャミソールをたくしあげて、ブラのフロントホックを外して、直接彼女の胸を手にする。
「ぁっ……」
彼の手の平の温度を直接肌に感じる。
「アルフォンス……」
息を乱して、かすかに涙を溜めている珠貴の顔を見つめる。
「あの……こういうの……初めてだから……」
アルフォンスはがっくりと肩を落とす。
胸から手を離して、彼女の乱れた服を整える。
「もっとちゃんと拒むように」
そう云って、アルフォンスは珠貴の瞼にキスを落とした。
身体の中心が熱をもって、欲望のままに彼女を抱きたいのを堪えるのはかなりの忍耐を要するはずだった。
なのに珠貴は、消え入りそうな声でアルフォンスに云う。
「違う……アルフォンスがいいなら……その……わたしなんかでいいなら……構わない……」
内線電話が鳴る。
ビクンと珠貴の身体が硬直するが、アルフォンスは長い腕を伸ばして、受話器をとる。
相手は多分会議の出席者だろう。
「内容をまとめて明日提出してくれ。僕はちょっと会社を出るから」
会議じゃなくてパーティーへの出席なんだと、珠貴は思う。アルフォンスから離れようとするが、肩を掴まれていて立てない。
「さっき云った言葉の意味、わかってる? 珠貴」
「……うん」
「sweet haert」
困った子だなという表情で、アルフォンスは珠貴の唇にキスをした。
「男にそんなこと云っちゃダメだろ」
「……」
「会議に出て、珠貴」
今すぐ彼女をこの場所から遠ざけないと、本当に場所を構わず襲いかかりそうだった。
「アルフォンス」
「……」
「わたしも、会社を出る……途中まで、送って」
「珠貴、それって……」
珠貴は自分からアルフォンスの唇に自分の唇を重ねた。
アルフォンスが、宥めるようにキスをした後、こう云った。
「やはり、キミは生意気だ」
口調はとても甘くて、幸せそうな笑顔を珠貴に見せた