HAPPY END は 二度 訪れる 9
「買い物って……週明けに発注する備品とは別にですか?」
「Yes。キミの服を買いにいく」
珠貴は頭の中で彼の言葉を反芻する。
とても仕事と結びつかない買い物のような気がする。
珠貴のそんな表情を読み取ったアルフォンスは楽しげな口調で語り始めた。
「だって珠貴は云っただろ? 『おじいさまのようになりたい』って」
「云いましたけど……」
「だから、珠貴を変えないとね」
「私を変える?」
「これから先。僕と一緒に会社を立て直す。『シゲクラ』には、キミがいるんだと対外的アピールした時、そのフレッシャーズスーツだと、新入社員と間違われ舐められるぞ。かつて誰もが『シゲクラ』の製品を見て、重倉祥造氏を思い出したように、今後、キミが『シゲクラ』の顔にならないとね」
確かに、彼に『おじいさまのようになりたい』といったけれど……。
見た目もそれに含まれるとしたら後ずさりしたい心境になった。
「その為にはまずは服からチェンジだ。それは確かにフレッシャーズスーツだから初々しくて、珠貴の年齢には合ってるけど、企業の顔にはふさわしくないスーツだよ」
珠貴はそう云われて、自分のスーツを見つめてみる。
「でも」
おじいさまのようにはなりたいけれど……。
上品で華やかで紳士だったおじいさま。
年齢をどう重ねれば、あんなに素敵になれるんだろうと思っていた。
それこそ、あの男が罵声を浴びせたのは真実だとすら、認めそうになる。
珠貴の不安そうな顔を見て、アルフォンスは珠貴の肩を抱き寄せる。
有無を言わせない力で、珠貴の肩を抱き寄せるように歩き出した。
「でも、そんなに高い服は買えません」
珠貴は車に乗り込むとそう云った。
「買えるって、キミに払う給料はこれぐらいだし」
アルフォンスは胸の内ポケットから携帯を取り出し、電卓機能を使って、それを珠貴に見せる。
少なめだ。
とても高級ショップで買い物ができるような給与ではない。
これは日給なのかそれとも時給なのか判別しかねた。
珠貴の沈黙と表情を見て、アルフォンスはニヤニヤする。
「あ、ごめん。これドルだ。円に換算するとこのぐらい」
数字の桁がたちまち変わって、アルフォンスのから離れるように飛びのいた。その反応が可愛くて、アルフォンスはクスクス笑う。
「梶本、銀座ね、珠貴の服を買いたいから」
「かしこまりました」
「珠貴は、おしゃれには興味ない子だったの? 『シゲクラ』の創業者は彼女をそういう場に連れ歩かなかったのかな?」
「先代は、お嬢様と御一緒したがっていたパーティーもおありだったようですが、お嬢様が気おくれしていた御様子で……残念そうにお断りしていたことが多々ございました」
それは珠貴にとっては初耳だ。
家に引き取って、すぐにでも顔見せをさせたかったようでと梶本は云う。
確かにその頃の珠貴は警戒心一杯だったし、新たな生活に気持ちの余裕のない時だった。
「そうだよ、パーティー! パーティー用の服も必要だ」
「ぱ、パーティー?」
「企業のレセプションパーティーに出席しなけりゃならない。そう云う場合もこれから出てくるぞ。ドレスとか持ってる?」
珠貴は首を横に振る。
「会社の付き合いで、挙式披露宴とかにも出席することだってあるんだよ?」
親しい友人が少ないのでそういった式に出席することもないだろうと思っていた珠貴だが……そう云われると、確かにそういった場は必ず出てきそうな気がする。
隣に座ってる彼も……いつか結婚するに違いない……。
愛する妻を亡くしたとはいえ、いや、だからこそ、彼を支える妻になりたいと思う花嫁候補がいてもおかしくない。
そんなことを、ほんの少し、想像しただけで、ズキンと胸が痛む……。
優しくて頼りがいがあるそれは認める。でも……ほんの十数時間前に出逢ったばかりなのに。
どうしてこんな気持ちになるんだろう……と珠貴は思う。
――――ううん……慣れないと。いくらどんなに親しくしてくれても、親身になってくれても、アルフォンスは会社を再建したらまた、海外へと旅立って行くんだから……。
銀座のビルパーキングに車を預けて、三人は銀座の一流ブランドと云われる店舗へ足を踏み入れる。
アルフォンスがこういう場を知っているのも驚いたが、梶本氏がこういった格式のある場で、おどおどした様子が見えないのが、珠貴の目には新鮮に映る。
アルフォンスと梶本のツーショットは、いかにも、若い御曹司とその執事といった具合だ。
一人でおどおどしているのは、珠貴ぐらいだ。
珠貴はまわれ右して逃げたくなるのをぐっとこらえた。
店舗に入った瞬間、女性従業員達がアルフォンスの存在に釘付けになる。
しかし、そこはやはり一流どころ、色めきたって騒ぎはしない。
アルフォンスを上客と素早くジャッジしたマネージャーらしき人間が、三人の前に立つ。
「ようこそ。いらっしゃいませ何かお探しですか?」
さすが一流どころ、アルフォンスを見て、とりあえず英語で挨拶して訪ねてくる。
「彼女の服を買いに来たんだ」
流暢な日本語でアルフォンスが答えると、もみ手をしそうな勢いで頷く。
「それはそれは」
まだ不安気な珠貴にアルフォンスは耳打ちする。
「大丈夫、キミは何も心配することないよ、彼らは僕のカードからどれだけ引き出せるか必死なだけだから」
珠貴に耳打ちすると、背筋を伸ばして、店員に告げる。
「一時間で頼むよ」
「はい。かしこまりました」
「カクテルドレスもね」
「承知いたしました。ささ、お嬢様はこちらへ」
「で、でも、アルフォンス」
珠貴がまだ躊躇うとアルフォンスはまた、耳打ちする。
「まあまあ、リラックスして。見方を変えて見ればきっと楽しめるよ。制限時間が一時間でどんだけ売ろうか彼らの頭の中がフル回転し始めたんだから」
まるで、冒険をはじめる小さな子供のようなわくわく感を彼は抱いてるようだ。
ヒラヒラとアルフォンスは手を振って珠貴を押し出して、後をついて歩いた。
フォーマルなスーツ。シャツやブラウス。
かっちりとしたデザインから女性らしいものまで。
シンプルな作りが好きな珠貴はフリルやリボンを躊躇ってみせたが、アルフォンスが「ものは試し」と云う。
何着も着替えを繰り返す。
「フレッシャーズスーツのデザインはいただけないが、黒は似合う。珠貴の年ならもっと淡い色彩のモノもいいね。その黒い髪に映える。その赤のドレスもいい」
最初はタグの値段を見る度に気を失いそうになったが、最後の方はもうそのタグの値段を見て驚く気力はなくなっていた。
ぐったりしたところに、アルフォンスのカウンター的な発言が飛び出す。
「インナーも揃えて」
「え?」
「可愛いのとかーセクシーなヤツね。んーと、なんていうんだっけ、日本語で、梶本。勝負下着?」
珠貴みるみる真っ赤になった。
梶本は神妙な表情で沈黙を守る。
「そんなの着ません!」
「……珠貴は意外と大人っ? ドレスの中は何も着ないの?」
「アルフォンス!」
珠貴が叫ぶ。
「違うの、だからっ。そのっ!」
――――勝負下着なんて必要ないのにっ! 今後そんなシチュエーションはわたしの人生には今後一切ないんだからっ!!
梶本は咳払いをする。
「僭越ですがお嬢様。ドレスに揃えるインナーは必要かと」
「だよねえ」
とアルフォンスは呟き、店員によろしく頼むよと頷いて見せると、店員は心得たりと珠貴を専門コーナーへ押し込んだのだった。