「ごめんね、静。おばさんがはりきっちゃって」
奏司が電話越しでそんな言葉を云っている
おばさんとは、奏司の保護者で叔母である神野美和子のことである。
「オレも偶然、その日は移動日で東京に戻ってこれるし」
「うん。じゃあ、食事会でもしようか、美和子さんに直接電話してもいいかな」
「ほんと? いいの?」
「うん。隆司叔父さんはお仕事でしょ? 日中だし、ランチでいいかな」
「うん平日だからね……静、実家の方に連絡は?」
「……いいよ、しなくても。来ないと思うし」
「静」
電話越しの奏司の声が、静を嗜めるような響きを発していた。
「いいの、本当に……美和子さんが、そういうことを率先して云ってくださったんだし、……正直云うと、ややマタニティブルー気味だからストレスは排除したい。だから私の実家はいいの」
「え? そうなの?」
「うん。そう。だからいいの。美和子さんに連絡入れて、詳しいことが決まったら……連絡する、今日は静岡?」
「うん、2DAYS」
「咽喉の調子は大丈夫?」
「ばっちりでーす。はやく関東入りしたいな。次は神奈川。会場がアリーナだから、家に帰れる」
「うん」
「静に会いたい」
「……うん。でも、驚くかも」
「何が?」
「妊婦さんっぽい体型になってきているから。からかわれそうだな」
奏司は自分の行動を予測されてほくそえむ。
「それだけお腹の赤ちゃんも静も元気なら。大丈夫だよね」
結婚式が終ってから、奏司はツアーへ、そして、静はつわりが悪化して水分もとれなくなり、安静の為に一時入院していたことがあった。
毎日電話するよ、といってたのに、電話にでない彼女に驚いた。
翌日の朝、病院の公衆電話から、静自身が状態を伝えたときはさらに驚いた。
結婚を機に、静は自分の実家との関係を戻そうと思わないのか、実家に連絡をすることはなかった。
こういう時になっても、彼女は誰にも頼らないのかと、少し悲しくなった。
奏司がいれば奏司を頼ったと、静は云うけれど、実際はどうだろうと思う。
美和子の云いだしたこのイベントで、少しは静が美和子に甘えたり頼ったりしてくれるといいなと奏司は思うが……。
が、美和子は奏司にとって保護者、母親代わり。静にしてみれば姑同様だ。
一般的には嫁姑って……相容れないものの代名詞。
がしかし、静は姑よりも実家の親との確執の方が根強いから……今回のことも受け入れてくれてるとは思うけれど……。と、ほんの少し、不安に思う奏司だった。
「余計なお世話かもとか思ったんだけど……」
美和子が待ち合わせ場所で、静を見上げる。
「ご無沙汰してます、気にかけてくださってありがとうございます」
ゆったりした踝丈のワンピースに、肩よりも少し長めの髪をサイドだけとって後ろをバレッタで止めていて、靴も、生成り素材のヒールのないスリッポン。時間があるので、最近はコンタクトレンズなんかもしている。そんな出で立ちの静からは、以前のヒールの踵を鳴らして歩いてたバリバリのキャリアウーマンの様子を見られない。
「それ、マタニティ?」
静の着てる服を見て、美和子が尋ねる。
「いいえ、普通のワンピースです」
「でもウェスト周りもゆったり目? 可愛い!」
「ありがとうございます。隆司さんは、お仕事ですよね。奏司は今、車を駐車場に停めてきてます」
「奏司、仕事は?」
「昨日神奈川での仕事が終って、一度、中間で休みを取ってます」
「あ、そうなんだ。よかった〜、誘ったはいいけど、静さんがまた自分で車を転がしてきたらどうしようかと思った」
「運転できますよ」
「安定期に入ったからって油断は駄目!! 大事にしないと、また入院よ!」
「はい」
「平日でちょっと戌の日とは前後しちゃったけど、いいよね、その方が混まないって聞くしね」
「お気遣いありがとうございます」
「もう、ほんと丁寧ねえ他人行儀?」
「静はね、年上にはこういうしゃべり方をするの」
「……」
甥っ子の登場に、美和子はまた笑顔になる。「ナニ、そのカッコ」
「変装。ビジネスマンっぽいでしょ」
黒の太いフレームにスーツ、ワックスで少し前髪をあげていると、確かに若いビジネスマンぽい雰囲気になる。
「平日に却って浮くんじゃない?」
「仕事抜けてきました〜って感じしない?」
「はいはい」
「叔父さんは?」
「それこそ仕事よ」
「来たがってた?」
「ちょっとね」
「お宮参りの時は、日を選びますので、ご一緒に行きましょうと、お伝え下さい」
静が云うと、美和子はぱあっと顔を明るくさせる。
「いいの!?」
「はい、ぜひ」
「嬉しい!! ……高遠のご両親は?」
「……お気になさらずに」
「あら、まだ駄目なの?」
美和子お静と実家の確執については理解している。
「赤ちゃんが生まれたら、ちゃんと知らせないと駄目よ」
「はい」
「静さん一人で生まれてきたんじゃないんだから」
「……そうですね」
美和子は「あ、説教くさくてごめん」とか呟いて階段を昇り始めた。
先日、美和子から五ヶ月に入ったから戌の日に腹帯を送ろうかと連絡があったのだ。
静がすぐに入院したから、送るだけにしようと思っていたらしいのだが、静本人がせっかくだから一緒に安産祈願しましょうと言い出して、本日の運びとなったのである。
戌の日、休日、大安は、きっと混雑するだろうということで、平日を選んで、安産祈願で有名なこの神社で美和子と待ち合わせてやってきたのだ。
美和子が静を気遣って、お昼過ぎと最初は言い出したのだが、奏司と連絡をとって、お参りのあと、ご飯を一緒に食べましょうと誘ったら、美和子は嬉しそうだった。
お清めをしてから、神札所に行き、安産祈願をつたえた。静が申込用紙に記入していると奏司がその横で初穂料を支払った。
順番を待ち、呼ばれたら回廊を進み本殿へ昇る。
そして「お祓い」を受けた。祝詞奏上がはじまり。神主が神様にご祈祷のメッセージをお伝えするのを、頭を軽く下げながら聞きます。
最初のお払い前の説明を受けたように、祝詞が終わったら起立し、姿
勢を正して二拝・二拍手・一拝を行う。
最後に、神主から授与品のさらしが渡されて、ご祈願は終了した。
所要時間は10分程度だが、やはり待ち時間が長いと感じた。
「長かったわ。待ち時間が、静さん大丈夫?」
「はい。でも午前中でしたから、予想してたよりも空いてました」
三人はこれから祈祷を受けるであろう参拝者の列を見つめて、その場を離れていった。
「静さんは、段取りいいよね」
三人は車で移動して、あらかじめ静が予約をとっておいた店に入ると、美和子は感心したように呟いた。
創作和食の店で、OLが好きそうな内装ではあるものの、値段が折り合わないのだろう昼のランチ客は少なかった。
「まあ、もともと仕事だったしね、そういうの」
奏司が云うと、美和子は納得したように何度も頷く。
「でも、奏司のリクエストです、和食のお店がいいって」
「静の為なの」
「……」
「鉄分不足なんだって、病院から貧血の薬貰ってる」
「あらー」
「うん、気をつけます」
「気をつけててもね、なっちゃうわよ。ね、動く?」
多分動いていたら、触らせて〜とかいいそうだなと奏司は思う。でも、静も申し訳なさそうに答える。
「胎動ですか? まだなんです」
「そっかーまだ性別はわかんないのよね。あ、生まれてくるまでは性別わからない方がいいの?」
「奏司はね、そうみたいだけど、私は知りたい方です」
「静はね、早く準備したい人だからね」
「あたしも! ベビー服選びたい!!」
その言葉に、静はにっこりと笑う。
「ですよね、私もです。美和子さん、一緒に選んでください」
「キャー! いいの? いいの? 嬉しい!!」
嬉しそうに美和子ははしゃぐ。
「でも、静さん、迷惑じゃない?」
「ご一緒くださると嬉しいです。まだ奏司はツアー中ですから、一人で準備する方が多いですし」
「じゃ。あたしもパートが休みの時、遊びに行っていい?」
「はい」
「嬉しいわあ……夢みたい……早く抱っこしたいなあ」
美和子の無邪気な発言に、静もつられて嬉しそうな表情だった。
奏司が電話で感じていたことは取り越し苦労でよかったと、彼はほっとしていた。
まだ動かない腹部にそっと手をあてて、静は呟いた。
「……なんとなく、なんとなくなんですけど、予定日よりも、早く生まれてきそうな気がする……そんな予感がするんです」
この静の予言が当たるとは、このときはまだ、誰も知る由はなかった。
END