Fruit of 3years7




神野奏司は本当に意外性の男だ。
初対面からそうだった。
攻撃的な雰囲気を持つのに、女を虜にするようなフェロモンが出ているようで、ビジュアルから発するオーラは人を惹きつけるのに十分なものであった。
そんな印象だったから、静にしてみれば、生意気な新人をとりあえず初対面で締めておけば、後々仕事に支障をきたすようなことはないだろうと踏んでいた。
だから、意識的に、初対面の声かけは冷たいものだったはずだ。
なのに。
彼はその攻撃的な雰囲気から、素直な少年に転じる。その初対面の雰囲気を、ずっと静にも通すものだと思っていたのだから、当然、静は拍子抜けした。
彼は通っていた大学のカリキュラムをこなす為に、ライブやツアー前は学生として授業にきちんと出て、教育実習をこなしてきた。
亡くなった父親が教職についていたから、教育学部を選んだという理由もその外見に反して堅い。
実際ハイスピードで売れたけれど、売れれば、学業はどうでもいいやと思うタイプじゃなかったのに、まず驚いた。
堅実なのだ。
リアリストといってもいい。
そして、結婚は早くしたいという言葉にも、静は驚かされたことがある。
10歳の頃事故で両親を亡くしたのが、早く結婚したい理由らしい。
『早く父親になって、家族が欲しいんだ』
いつだったか寝物語に、そんなことを呟いていた。
だから、付き合い始めたというか、そういうプライベートでも関係を持ってから、それらしいプロポーズめいた言葉を静は耳にしていた。
当然これまで取り上げてこなかったが……。
――――手段を選ばないことにしました。

その言葉が静の耳にずっと残っていた……。

「高遠さん」
「?」
「来週。ミューマガの取材が午前中で、ラジオ収録の仕事なんですけど、時間があるんで仕事受けたんですが」
アシスタントマネージャーをしている井原ナオが、スケジュールの確認をしてくる。
個人で仕事がとれたので、ちょっと興奮気味だ。その気持ちはわからなくもない。
しかし、井原の興奮はそのことだけではないのだと次の言葉で知らされる。
「神野さんのパーソナリティーのラジオのゲストなんですけど」
「!?」
井原に連絡してくるということは、多分、静に伝えたら仕事を蹴ってくると察しての行動だろうか? いや、もちろん、静はそんなことで仕事を蹴ったりはしない。
担当するアーティストを売る為ならば、個人感情は二の次、三の次にすることはできるが。
――――正直やりづらい。
だけどコレが奏司の云う『手段を選ばない』になるのだろうか? こういうことではないと思うのだけれど……。
 
都内のFM局の収録スタジオ。
「よろしくお願いします」
千帆がペコリと奏司の前に立ち頭を下げる。圭介と修もそれに習うようにペコリと頭を下げる。
奏司も会釈する。
「よろしく」
ラジオ局の収録前の顔合わせ。
『ぶるうべりー』のメンバーは同レーベルの先輩にほんの少し緊張しているようではある。
相手は若いとはいえ、今人気の神野奏司。
彼らはきっと静がこの仕事を獲ってきたのだと思っているに違いない。
「高遠さん! お久しぶりです!!」
奏司は笑顔で白々しい苗字に敬称つき、そして『お久しぶりです』の台詞を吐いたが、問題はその後だった。
直立不動の静を抱きしめてきたのだ。
外国人のようなハグに見せかけてはいるが、しっかりと静を腕の中にホールドしている。
「ちょー逢いたかった!」
「……」
新しく担当している千帆たちは目を見開いてこの様子を見ている。
「神野君、苦しいから……」
奏司自ら、静を呼び捨てにしないのだから、静が「奏司」と呼ぶわけにもいかず、「神野君」と呼んだのだが、それが気に入らないのか、息も出来ないほどの力で抱きすくめられて、すぐさま振りほどくことはできない。
「ほどきなさい」
静はそう云うけれど、奏司は静を抱きすくめたまま、千帆たちに話しかける。
「今日はよろしくねー、高遠さん、すっごく仕事させる人でしょー?」
「はい」
千帆が答えると、奏司はギュウと静を抱きしめる腕に力を込める。
「オレん時もそーだったんだよー。容赦なく仕事持ってくるからねえ、この人」
「……」
「でも、オレは大好きだから、キミが気に入らなければ、オレに返却してくれない?」
その昔、歌恋が奏司にそんな台詞をいったことがある。
「困ります!」
千帆が即答する。
「高遠さんがいてくれないと、困ります!」「でも、この人はどうかな? キミを気に入ってくれてる?」
千帆の視線が静の背中に刺さる。
「いつまで、抱きついてるの? 放しなさい」
「静は? この子たち気に入ってるの?」
苗字から、名前呼びに変わった。
「だからっ腕を、その手を」
奏司は静の耳元に口を寄せる。

「この仕事が終って、一緒に帰ってくれるなら、放してあげる」

誰にも聞こえないように、内緒話で。
すぐに頷くことはできなかったけれど、このままではいられないので、「わかったから、放しなさい」というと、腕を解いて静を自由にする。
「で、気に入ってるの?」
「高遠さんは、お仕事大好きなんです! あたし達を気に入るとかそういうんじゃないです!」
千帆がそういうと、奏司は静を見る。
「信頼ないね、静」
「……」
「オレは無条件で信じたのにね」
「信頼してます! あたしは大好きですっ!!」
千帆は、唸るように、小さく叫ぶ。散歩中の子犬が、牽制する様子に似ている。
圭介がまあまあと千帆をなだめすかす。
「歌恋さんと反応が似てる。静は、こういうタイプに懐かれやすい」
静は眉間に皺を寄せて溜息をついた。
 
静の心配をよそに、奏司と千帆たちはしっかりと仕事をはじめた。
ガラス張りで声も聞き取れる収録ブースを見てて、静の心配は杞憂だった。
千帆たちの新曲を流して、リスナーの投書メールを読み上げて、盛り上がる。
一生懸命に仕事をしようとする千帆は、静は嫌いじゃない。
むしろ気に入ってる。
自分の声で、歌で、自分に注目して欲しいという姿勢が、きちんと出てるし、それがウザイと感じさせない雰囲気がいい。
でも。
音楽は常に違っていた。
いつも、奏司の声を追っている。
――――音楽だけじゃない。
ガラス越しに、後輩たちをゲストに迎えて、慣れたトークをしている彼を見つめる。
――――全部に、惹かれている。
声に出すと歯止めが利かない。
そうわかっているから、あえて遠ざけておきたいのに……
時折、ガラス越しにこちらに視線を送る彼に、静はどきりとする。
嬉しさを隠すように、眉間に皺を寄せると、彼は肩をすくめて、視線をスタジオに戻したのだった。