Fruit of 3years5




小澤は、担当するCMの契約が今期で切れるので、前回、起用した神野奏司を引き続き使いたいが為、奏司のマネージャーである静に連絡をつけにきた。
だが、静から申し出てきたのは、神野の契約を今期で終了させて、新たに担当するこの『ぶるうべりー』との新規契約をしろともちかけてきたのだ。
契約更新するだけなら、よほどのことがない限り、引き続きまた年単位の契約となり、手間も少ない。
「ヘッドハンティングされた腕を見込んで云うのよ。メーカー広報を説得できないかしら?」
「お前、自分の元担当だろ? そこから仕事獲るのかよ?」
「何か問題でも?」
「……問題ってよ」
「新規の契約が、『手間』で、『面倒』で、『無理』、ならいいのよ。メーカーに『説得出来ない』なら『出来ない』で、いますぐ返事をしてほしいわ」
グっと小澤は咽喉を詰まらせる。
『手間』で、『面倒』で、『無理』と、わざと区切って云うのは、この隣に座る男のプライドを刺激する為だ。
仕事が出来ると認められて、ヘッドハントされたのだから、それぐらい出来ないのかとプレッシャーをかける。
ホテルのバーのカウンターで、元彼女と仕事抜きのいい話をと思ってたのに、まったくもって色気も何もありゃしない。
小澤は付き合っていた当初知らなかった異名の由来を目の当たりにした気がした。
別れてから元彼女が、業界でそういう名で囁かれていたのを知ったのだ。
Y-mgレーベルの高遠は「鉄の女」「雪の女王」だと。
ロックのグラスを握り締めて、隣のスツールに座る彼女を見る。
発言になんの躊躇いも葛藤も、その横顔から伺い知ることはできない。
「お前、そうやって、今度は神野も切るのかよ」
「……」
「俺の時もそうだったよな、音楽が大事で、恋愛は二の次」
「……」
「つーかなんだっけ、あの女、歌恋?」
「歌恋が?」
「相手は女なのにムカついたし、嫉妬したよ俺は」
「……」
その歌恋は神野が現れた時、静を獲られたと、しきりに悔しがった。
でも今回は違う。
今だって、静は奏司の声が、歌が好きで惹かれてやまない。
「恋愛と仕事をごっちゃにしないと生きていけない不器用な女なの、悪かったわね」
「……殊勝だな、反省の言葉なんて、ここにきてなんだよ」
「?」
「今まで反省しなかったじゃないか。30過ぎてようやく角がとれたか」
「年齢を云わない」
貴宏は笑う。
「気にするのか、お前でも」
「……貴宏といた時は気にしなかったけど、まあ当時20代だったし」
「担当が神野じゃあな」
「もう担当じゃないけど」
「そんなに、今度担当するグループがいいのか?」
ここで「YES」と即答する方が、仕事的にはいいのだが、静は何も云えなくなった。
グラスに入ってる琥珀色の液体と大きめのロックアイスを見つめる。
今度の担当するグループは、態度は素直だし、曲も悪くはないけれど……。
静を惹きつけるボーカリストは、この先一生彼だけだ。
でも彼は……。
「手段を選ばないマネージャーを、許さないでしょうね」
「どっちが?」
神野が? それとも新たに担当する千帆が? そう尋ねられて、静はグラスに口をつける。
「どっちも」
ボーカルはそういうプライドが少しはあってもいい。
むしろ、奏司には、そんな自分を呆れて欲しいと思う。
そして、見限ってくれるといい。
彼にはこの先の未来がある。
仕事の配置代えは、いい機会なのだ。
「神野はカッコイイよな」
「うん?」
「若い女なら、もうメロメロだろ。俺の彼女もそうだもん」
「あら、そうなの?」
「神野と同じだよ、22でさ、大学でましたー社会人がんばりますー。なんて初々しくてな。神野のファンで、ライブに行きたいとか騒いじゃってな」
「可愛いんだ」
「うん」
「いいわね」
「そうなんだけどさ、今、隣に座ってる女もいいなって思うよ」
「彼女と比較してどうするの」
「比較じゃないんだよ。男ってほんとそういうところ駄目だな。愛と性欲は別」
「……」
「口説いていい?」
「ヤリたいだけなら、彼女に電話して、帰りなさい」
「お前が、いい女すぎなんだよ」
「何、さっきまで、神野を裏切るのかと非難轟々の態度だったくせに」
「それも、全部、ヤツの為なんだろ?」
「……」
「自分の為。仕事だからっていうのは建前で、この一件で公私共にお前は神野を切りたいんだ。自分で言い出せないから、こうやって、裏で動いてな、相手から言わせようとしてさ」
「……」
「なあ、俺の時もそうだった?」
「……それは悪いけど、あの時は純粋に仕事したかっただけ」
「そういうヤツだよな、いや、俺は負けてるのはわかるんだ。だけど、仕事してますバリバリキャリアウーマンですって、そういうスタイルのくせに、その実は、自分の恋人の為とかいうの健気すぎて、庇護欲が湧くというか、めっちゃやりたくなる」
5年前までは確かに恋人だったし、そういう関係もあったという過去もある。
小澤は今、目の前にいる彼女を抱きしめたくなった。
スーツとヒールのあるパンプスと、眼鏡、肩よりも長い髪をひっつめて、一流会社の社長秘書のように隙のない彼女が、その身一つで乱れる様を記憶の中で必死に思い出す。
腕の中では、外見とは裏腹に、稚拙で、初心で、頼りなげで、受身で、素直だったのを思い出してしまった。
「……」
「元彼と寄りを戻したから、別れましょうと、あいつに言った方が効果的かもよ?」
「……そういう手があったか」
彼の発言は、単に衝動的に性的欲求が湧いただけなんだろうということは、静にだってわかっているが、その言葉は、自分の思考にはなかったことだった。
付き合ってる彼がいるのに……奏司を彼といっていいものかどうかも、ちょっと考えてしまうが、自分は彼を好きだし、愛してる。奏司は自分をどう思っているか、もうわからないけれど、とりあえず呼び出してセックスをするぐらいには気持ちがあるのだから、まだ自分は彼女とみられているとして、そういう存在が、別の男とするのは、確かに呆れられて、距離をとられる可能性は高い。
「そうそう」
「悪くはないんだけど、その手は使いたくないな」
「……」
「私のじゃなく、キミの22歳の恋人が、事実を知ったら泣くよ」
「大人は言わない」
「……」
「汚いからな」
 
「じゃあ、若い恋人が事実を知ったら、どうなるか身を持って、教えてやろうか?」
 
静の背後に気配もさせずに、両腕の間に静を置くように、カウンターに伸ばして端を握る。右掌に、斜めに走る切り傷の跡。
この掌の主を、静は知ってる。
囁いた声が、怒りをはらんでいる。
「神野……」
真っ黒い瞳が、静の隣に座る小澤を睨み据える。
静も間近にある奏司の顔を見つめる。
ノータイでジーンズではあるけれど、ブランドのシャツにジャケット。ジーンズもブランドものだ。180の長身に似合う。
「神野? アンタに呼び捨てされるほど親しくないつもりだけど?」
低くかすれるように呟く言葉には、今ここで殴り殺してやるというオーラがにじみでてる。
「こんなところで、俺以外の男と酒飲んでりゃ、誤解されても仕方ないだろ」
「誤解?」
「コイツが、静がまだ気があるんじゃないかって勘違いする」
「……貴宏」
静はバッグからディスクを取り出して、小澤に渡す。
「こっちをよく考えて、支払いはするから」静は奏司の右手を払いのけて、カードでチェックを済ますとバーから出た。
廊下の敷き詰められた絨毯のせいでいつもヒールの音は吸収されていた。
静は、背後をついてくる奏司に振り返らずに云う。
「送るから、帰りなさい」
「ヤダ」
静の腕を掴んで、エレベーターに乗り込むと、奏司はすぐ上の階層のボタンを押した。ちょっと浮遊する感覚がするとポンと音を鳴らしてドアが開く。
「痛い、奏司」
長い廊下を静を引きずるようにして歩き、部屋の前でカードキーを差し込んで静を部屋の中に押し込んだ。
「奏司! いい加減に…」
「こっちの台詞だ!」
「何が!? なっ!」
噛み付くように唇を喰まれて、歯列を押し上げ舌を絡ませてくる。
「……ん……」
二人っきりになって、ドアの中に入ったとたんにこんなキスをされると、静はこの間の夜を思い出さずにはいられなかった……