ENDLESS SONG20
足が重たい……。ヒールのつま先がギュっと締めつけられて、外反母趾になりそうな気がする。
静は力なく歩きながら、アプローチガーデンを抜けて、マンションのエントランスに辿りついた。
「お帰り」
その声に驚いて、静は顔を上げる。
ガラスに背を預けて、奏司が立っていた。
「遅かったね」
「なんで……帰ったんじゃ……」
「歌恋さんから、電話もらった。小学生じゃないから、タクシーぐらい一人で乗れるよ」
その言葉を云われてしまうと、追い返すことができなかった。
エレベーターの中でも、部屋に戻っても、暫く沈黙していた。
奏司がずっと沈黙を守っているので、静は物凄く居心地が悪かった。
「静」
声をかけられても、顔を上げることができなかった。
「昨日はじっくり見学できなかったけど、やっぱり夜景が綺麗だよね」
「……」
「なーに、今朝、オレにデコピンしたくせに」
呆れたように、でも優しげな声で、窓際のカウンターに腰掛けて、両手を静の方に伸ばす。
まるで小さな子においでをするように。
そんな仕草が、少年というよりも、大人の男に近いなと思う。
静はその手を握る。
ざっくりと、傷跡のある右手は、少し冷たくて、大きい。
「なんで、歌恋さんのところへ行くの?」
「……」
「昨日、好きって云ってくれたの、嘘?」
「だって……」
「だって?」
「仕事できない……」
「してたじゃん」
「……」
「きちんと、仕事してたよ。オレはすごく安心して、撮影できたよ」
「私は、見てられなかったの」
「?」
云い辛そうにしていたけれど、静は噛み締めていた唇を手で隠す。
「モデルに嫉妬した」
もの凄く小さな静の声。
でも、奏司は聞こえていた。
「マネージャー失格……最低……」
奏司はぐっと静を引き寄せて、自分の膝の上に静を座らせる。
「マジ?」
「ビジネスとプライベートがごちゃごちゃになったら、良い結果なんか出ない」
奏司はギュウっと静を抱きしめる。
「じゃあ、プライベートは恋人でいてくれるワケだ? ほんとに、オレのこと好きでいてれる?じゃあ、ちょっと考えてみない? そうするとさ、こんな仕事じゃお互いオフも合わなくて、どっちかが無理するよ、多分オレの方がムリすると思うよ、静が歌恋さんのところに行ったとしてだ、オレは新しいマネと上手くやれるかっていうのが問題その一」
「上手くやりなさい」
「相手次第だね、それで、オレは絶対プライベートは切り捨てないから、静に会いたいし、そういうところを、三流ゴシップ得意のスポーツ芸能欄にスッパ抜かれるのは目に見えてる。そこが問題その二」
これは上手くやりなさいで終らせられれない。
静だってコレは怖い。
「静の方が演技力あるからなあ、天然なのか計算なのか大人ってヤツだからなのか、感情コントロールできるみたいだから? 静がオレのマネをやっていた方が、そんな疑惑記事がでてきても、ただのマネージャーですで押しとおせば絶対誤魔化せるよ」
「……」
「問題その三」
「……」
「オレの声がなくて、静は平気?」
「……」
「歌恋さんのマネをやっても、きっとオレの新曲の方が気になるよ、歌恋さんに大変失礼でしょ」
自惚れてる、自身過剰と云ってしまいたいけれど、それは事実なのだ。
奏司を子供だと思っていたけれど、彼はいろいろと考えている。
自分のことも相手のことも見えている。
「そうね」
「……」
「一番最初のレコーディングで、奏司の声を聴いた瞬間から……奏司は特別だった……だから、奏司は、私を好きでいてくれるみたいだなって、わかってたけど、考えないようにしていた」
「……」
「もう……ずっと、好きだった……奏司の歌は――――……ずっとずっと聴いていたくなる」
奏司は静の手を握り締める。
「やばい」
「?」
「チョーにやけるんですけど、その言葉」
涙で、メイクが少し落ちて、奏司にこんな顔は見せられないと思っていた静だったけれど、つい、彼の顔を見る。
にやけると、本人は言っているけれど、実際は違って、すごく幸せそうな表情で。
「静」
「……」
「オレは、本当に歌うことが好きだから、オレの歌を好きな人が傍にいてくれるとすごく嬉しい」
「……」
「生きていく力になるんだ」
「……」
「だから傍にいて。オレが歌い続けられるように。オレの力になって」
「なんだか、勘違いしそう」
「?」
「プロポーズみたい」
プロポーズと受け取ってくれればそれこそ問題無いけれど、静がそうは思ってくれないなら、また別の機会に口説けばいいかと奏司は思う。
大人で、仕事ができて、綺麗で、でも本当は甘えるのが下手で、そんな彼女がすごく愛しい。
だから、何度だって口説けばいいんだと、奏司は思ってる。
彼女の心が離れないように――――――。
自分の出来ることはただ一つだけだから。
「静がいれば、オレは、ずっとずっと死ぬまでだって、歌い続けられる。それを証明してあげるから、傍にいなよ」
イエスと云って欲しい。そう祈るように、奏司は静の指に自分の指を絡めて、キュっと握り締める。
静の指が、そっとその奏司の指を包むように握り返す。
「あの」
「何?」
「じゃあ、今までどおり……厳しくていい?」
「いいよ」
「人前でこういうのは無しで」
「……」
「だめ?」
「いいよ、その代わり、今みたいな場合はいいよね? 2人だけの時はたくさん甘えて」
「車の中はパス。事故なんて起こしたら……」
「もちろん、車の中はパスでもいいよ、でも、2人だけなら、一緒に歌って」
「……」
「オレだけに歌って――――――いろんな歌を、静とずっと歌ってみたいから」
「奏司」
「静の歌は、オレのココに」
トンと握り合った手を、奏司は自分の心臓の上に乗せる。
「響くんだ」
なんて彼は口が上手いんだろうと、静は思うけれど、好きな相手から、こんなことは云われたことは今まで一度もなかった。
まして、彼は才能ある、本物のボーカリストだ。
「なんで、そんなに泣くの、静はすごく泣き虫だったんだなあ」
嬉し涙だと、掠れた声で答えようとしたけれど、その言葉は奏司の唇で閉ざされた。
柔らかくて、優しいキス。
唇を離して、コツンと奏司は静の額に、自分の額を当てる。
「ずっとずっと、歌おうよ、終らない歌を―――――2人で」
彼の声、彼の言葉こそが、この先の未来へと続く、静の捜していた音楽。
甘くて、優しくて、時に残酷で、憎らしくても、それでも求められずにはいられない。
彼の存在。
それは静にとって、生きていく力の総て。
静は幸せそうな笑顔を、彼に見せる。
沈黙の空間なのに、何故か音楽を聞いているような、そんな感覚がする。
それは、多分、未来まで続く終らない歌―――――。
END