事実は小説より奇なり。
そんなフレーズが頭をよぎる。
コミュニケーションがうまくとれなくて、学生のころから、人付き合い苦手で。
恋愛なんて、できるわけないと思ってたし。
片想いは何度かしたけれど、両想いになるなんてことはオレの人生で絶対ありえないなーと半ば諦めていた。
しかもオレがずっとしていた片想いは、相手の都合とか想いとかおかまいなし。というか想像をしたこともなくて。
現実の片想いの相手とオレの距離ははるか遠くて、一人で勝手に妄想したあとは凄くむなしかった。
この人に対しても、そんな、いつもの相手に気持ちを伝えないまま終わる、自己妄想を堪能したら醒める片想い。
そう思ってたのに……。
「ごめんなさい」
オレがそう云うと、彼女は小さく首を振る。
倉橋や美緒子ちゃんが後押ししてくれたのも、もちろんあるけれど、オレ自身が行動に移したのは、多分これも生まれて初めてのことだと思う。
好きな人に振り向いてほしくて、自分でやったことないことに挑戦すること。
調理師免許だってそうだった。
中学ぐらいに料理人になりたいなーと思っても親の言うなりで進路決めて、ずるずるサラリーマンになって。死ぬまできっとこんなカンジで。そう思ってた。
好きな人の言葉を訊いて、実行に移すなんて今までしなかった。
いや、そもそも、好きな人がオレに話しかけてくれるってことすらなかったか。
だからか。
入社して辞めたいとか思っても、自分の希望を上司に相談なんて、今までのオレならめんどくさいと思って、絶対しなかった。だってそんなこと主張してもオレの希望が通るなんて思わなかったし。
腕を伸ばして、抱き寄せて、何度も小さなキスをする。
くすぐったそうに彼女は瞳を閉じる。
間近で見ると、すごく肌綺麗だなー、この人。
「でもごめん……」
彼女は照れたように笑う。
「なんか、歯止めが利かなくて……その……」
「うん……驚いた」
そうだよね驚いたよね、でもねオレだって驚いてる。
いやたぶん、目の前にいる彼女以上にもしかしたら自分で自分に驚いている。
昼間の仕事中に、クライアント先の誰もいないスタッフルームでキスするなんて。
普通に、自分が好きな女性を抱きしめてキスすること事態が、オレの人生でもう一生縁がないものだと思ってた。
そりゃそうだよ、告白してお付き合いして、からじゃなきゃ、キスもそれ以上も普通はないだろ。
告白の時点で気色悪いとか警戒されて、おしまいなんだよ。
オレの今までの歴史
まあ、倉橋とか? 美緒子ちゃんとか? あの二人なら、「えーエッチから入る恋愛だってありでしょー」とか軽く云ってくれちゃうかもだけど。
オレには多分、一生、絶対に、『ない』だろうと思ってたこと。
…………それが叶っちゃったんだよね。
ほんと事実は小説よりも奇なり……。
あの時……。
スタッフルームでキスして、もう、理性がぶちぎれたというのか、あれは……。
抱きしめた時の感触、唇をずらして、酸素を求めて漏れる声とか、艶やかに耳に響く。
「深澤さん……」
もう手が勝手にブラウス越しの柔らかい胸に触れてた。
「ん……」
ボタンを真ん中ぐらいまではずして、すぐに触れることができるかと思った彼女の肌。
だけど、インナーに阻まれていて、その感触がもどかしくて。直接触れることができないから、スカートの方へ手を伸ばしてたくし上げる。
素肌をこの手で触れてみたいのに、またもストッキングに阻まれているようで。
でも、力をいれたら、絶対にピッとデンセンしそうだし。
だからもう一度胸の方へ手を這わせる
「降矢……く……ん……ぁっ……」
ブラウスのボタンを全部外して、インナーもたくし上げて、ブラのワイヤーの下へ指をくぐらせて、柔らかな彼女の胸に触れる。
「……だめ……」
駄目と云われて、いつものオレならひくと思うんだ。でも、この時はもう、こっちも止まらない。
「オレは、ずっとずっと、あなたのことが好きで、だから、ごめん」
ワイヤーのラインをなぞる。
「キスの時点で拒まないから、オレがつけあがるんだ」
そういってて、自分の呼吸が荒いのが自分でわかる。
「だ、だって……ぁっ」
難しいと思ってたブラのホックは、意外にも簡単に外れてくれて、彼女の胸を掌の中で揉み解してみる。
「お願い……ここじゃ……や……」
小さく彼女がキスの合間に懇願する。
眼鏡越しの彼女の瞳が潤んで、綺麗だった……。
手の動きは生まれて初めて触れる柔らかくて暖かい感触を堪能する。そして、その中心にある小さな突起。指で押してみたり、指でつまみあげると、硬くなってくる。
「……っ……あぁん」
「だって、ここで止めたら、オレにチャンスはもうない気がする。仕事終わったら電話くれる?」
答えを待たずにもう一度、彼女の唇を軽く喰む。
何度も繰り返すキス。
最初はほんの少しだけのつもりだったのに……。
こんなに、貪り食うみたいな? こういう状態になるとは思わなかった。
この時、他のスタッフの足音が廊下の方から聞こえてこなかったら、多分、オレは正気じゃなかった。
彼女は腕の中でオレ以上に「どうしよう」な表情をしていた。
ブラのホックは見ないでも外せたけれど、これを見ないで留めるのは難しい。でも、それを留めて、ブラウスのボタンを閉じた。オレはゆっくり彼女を自分から離した。
「連絡、下さい」
そういうと、彼女は頷いた。
頷いてくれたけれど、絶対連絡はないだろうなと思ってたんだ……。
だからこの日の午後からの仕事はものすごくテンション低くて。
いや、好きな人に告って、キスして胸まで揉んじゃったたけど、男としてはそこはもちろんいいんだけど、この後は絶対にありえない、もう全部終わった。この手と唇に残る素晴らしい感触。その記憶だけを大事にして諦めないと……とは思ってたんだけど。
だけど、ちゃんと仕事が終わると連絡が入った。
オレの携帯に。
彼女から。
就業後、会社から駅に……彼女のマンション方面の電車に乗る。
この時は、予想外の展開に戸惑ったって気持ちが強かった。
だって、深澤さんにその気がなけりゃ、昼間のあの行為はセクハラだもんよ。仕事中にあんな不埒なことやっちゃったらさ。
電車に乗った時にはやっぱここは送り届けて気持ちだけ、想いだけ伝えてそれで今日はそこまでにしようって思った。
思ったんだけど……。
こんなに自分が堪え性のないヤツだとは!
だって、電車はラッシュで密着なんだよ。
昼間に抱きしめた感触もう一度ですよ!
そんでもって、電車の窓からの夜景にラブホの電飾が目に入っちゃったら、もう、溜んないだろ!
ここで倉橋に相談とかすればよかったかもと後悔したりした。
アイツだったら絶対お洒落な、女子が好きそうなホテルを予約しちゃうだろ、そういうスマートさとかあるだろ。
でもオレなんてそんなこと全然考えもしなかったのよこの時は。
連絡くれてってことはさ、OKだろ? 違うの? 違わないよね?
そんなことでグルグルしている自分がアホみたいだと思うけれど、彼女の手を引いて停車したホームに下りる。彼女のマンションの最寄駅じゃないから、不審に思ってるかもしれないけれど。
「ごめん、キスしたいんだけど」
電車から降りたら少しは熱気が収まったけれど、でも、正気じゃなかったんだよ。きっとこんな台詞吐いちゃうし。
ここで彼女がひいてくれたら熱も冷めるかと思うじゃん? いつもの大人の表情で、嗜めるようにあきれてくれたら、諦めたかもしれないけれど、だけど、彼女、昼間の事を思い出したのか、真っ赤になってうつむくし!!
一日でこんなに性欲だしたことって、ここ数年なかったよ。
美緒子ちゃんに襲われたってこんなにやりたいなんてなかったよ。
どこが違うのかってずっと考えてたけど。結論なんかでないよ。
ただ、抱きしめてキスしたいって思った。
改札抜けて、ホテル街の方に入っていって、外観がそんなラブホっぽくないホテルに入って……ラブホだって初めてだった。
今日一日で、そういうこと初めてのことばっかりだ。
普通の男ならさっさと経験すませたことを、この年で一気にやろうっていうのは無理があるような気もしたけれど、ここでぐずったらもう、本当に……。
「夢で終わっちゃうから」
「え?」
「オレ、深澤さんの……薫さんのこと、ずっと好きだった。すごく、キスしたくて」
彼女はオレの頬にキスをくれた。
「そこじゃなくて。こっち」
彼女の唇に自分の唇を重ねる。
柔らかくて、やっぱりどこか甘くて。
キスを繰り返しながらそのままベッドへ押し倒した。
「昼間の続き、してもいい?」
「ここまできてるんだから……いちいち訊かなくてもいいと思う」
うん、そうだよね、だけどオレは自信がないから、いちいち訊くんだよ。
だって全部初めてのことだから
。