白衣とタバコとコーヒーと




「……湯原、お前、ここで泣きごと云うのやめてくんねーか? ぶっちゃけ正直うぜえ」
理科準備室でコーヒーの香りが充満する。
ノートパソコンの前に座って、タバコを咥える
「ひどいっ!! 先輩ひどいっ!! 後輩が教育実習に入ったんだからちょっとは可愛がってくれてもいいのにひどいっ!」
白衣を着て、タバコに火をつけて、一息、彼女にふきかける。
その煙に彼女はむせ込む。
手でパタパタと紫煙を仰いで、目の前に座るがっちりとした黒フレームの眼鏡をかけた男を睨む。
学生の時は真面目一辺倒だった彼がスモーカーになったのは意外だ。
そして意外なのは言葉の悪さ。
一人称は僕だと思ってたのに俺。
「可愛がられてんだろーが、ガキ共に」
生徒をガキ呼ばわりするところもまたしかり。
「あの子達、授業ききゃあしないで、チャイムが鳴るなり、あたしの肩抱いて、ホテルに行こうかなんて耳元でほざきやがるんですよ!! どこの会社のセクハラ部長だっっつーの!!」
「高校生男子なんてそんなもんだろ。そんなのに一喜一憂してたら、センコーになんざなれねえぞ」
「じゃあ先輩はなんなんですかあ!!」
「俺は産休臨時教師。おまえみたいに、センコーになる為にここで働いてるわけじゃねえよ」
「そうでしょうとも、先輩がこのガッコにいるってことがまた謎過ぎですからっ!!」
「お前が教員になるもの謎だ」
「……」

湯原は口ごもる。
学生時代に過ごした日々が忘れられなくて、教職を選んだ。
仲のいい友人と、気のいい先生と、憧れの……先輩……。
まさか教職を目指して、入った母校の臨時教師として憧れの宮坂がいるとは思わなかった。
「お前は目立ってたからなー。教師を目指すのは意外だったな」
「目立ってた?」
「見た目がな。俺のクラスの男子も二年の湯原可愛いなーって、生徒数多い学校でよくチェックしてるなと呆れたもんだが、まあそのぐらいは目立ってたろ、ことごとく男子の『お願いします』をばっさり切るのも有名だった。それなのに合コンにはよく参加してたみたいだし」
「な、なんでそんなこと知ってるんですか!?」
「男子経由でな。湯原は他校の男狙いだって話があっても、『お願いします』のチャレンジャーは減らなかった」
「……」
「川崎と付き合うもんだと、思ってたんだがな」

湯原はドキリとする。
この宮坂と一番親しかった友人だ。
確かに湯原は高校時代はモテていた。
えー私なんてそんなと謙遜するのも嫌味なぐらいにはモテていた。
けれどそれは身綺麗にするのは女子高生なら誰でもやってる範囲ではあったし、そこで異性から注目集めるには最初驚きもあったけれど、悪い気はしなかった。けれどそこで特別男子に色目を使ったわけでもなかった。
自分を好きになってくれる相手よりも、自分が好きな相手に注目されたかっただけだ。
だから、付き合ってくれと川崎から云われた時、躊躇いはした。
宮坂と接点が持てるかもしれないなんて思った。
だからクラスの女子も川崎のクラスも、湯原が川崎と、親しくなりつつあったのはちょっとした騒ぎになったものだ。

「か、か、川崎先輩とは……そ、そんなんじゃ……」
「だよなー、意外にもお前はガードは固いと川崎がこぼしていた」
「だ、だって……あたし好きな人いたし」
「へー」
相槌打ちながら、宮坂はリズミカルにノートパソコンのキーボードを叩く。
「なんで、川崎を切って、そいつと付き合わなかったんだよ」
「だって……」

打算で川崎の『お友達からお願いします』を受け入れて、結局本命の宮坂には近づけず、宮坂の視界に自分の存在は入らないと思ってしまったのだ。
宮坂は、クラスの真面目な女子にいつも囲まれていたから。
かといって、宮坂は特別モテてはいなかった。むしろ、地味系男子といってもよかったかもしれない。
一方湯原に言い寄るタイプはチャラ男系。
ガードの固さに、呆れていた男子は湯原を宮坂と雰囲気が似てる地味系の川崎にもっていかれて、人の好みってわかんないものだというのを改めて感じいっていたようではあった。
「あたしのこと眼中になかったし」
「へー」
そう相槌を打ってキーボードを叩く宮坂を見る。

――ほら、やっぱり、今だって眼中にないし。

「お前、自分から告らなかったのかよ」
「……望みないもん」
「で、現在もフリーなわけか」
「なっ! なんでそんなこと!!」
「但野先生から誘われてんだろ」
「タイプじゃないし」
「うっわ一刀両断だな。タイプじゃないしーで断るか、いやはや、さすが湯原」
「川崎先輩には、悪い事したなって反省してるし」
「なんだ未練あんのか」
「利用したみたいなもんなんですよ」
「利用?」
「好きな人に近づきたくて、『お友達』なんて、相手は本気で想ってくれてて、自分はそれに応えられなくて」
「……」
「おまえさ」

「……なんですか」

「もしかして……」

ぴたりと手を止めて、宮坂は太い黒ぶちフレームの眼鏡越しに、湯原を見る。その視線にドキリとする。

「はい……」

「俺の……」

バクンと心音が相手に届きはしないかと湯原はあせる。
その視線に緊張して人知れず、赤面する。
「……」

「やっぱ、な、わけないよなー」

「ちょ、どうしてそこで自己納得ですか!? 気になるじゃないですか! 云って下さい!!」
もしここで彼から一言が訊けたら。
――俺の……言葉を切った先を云って。ううん云われたら、あたし……。

「いや……俺の友達の瀬名が好きだったのかと思ってさ」

湯原はバタンと机に突っ伏す。

緊張の糸が切れた瞬間だった。
ちなみに瀬名とは川崎と宮坂がつるんでいた男子生徒だ。
彼は湯原が想いを寄せてるなんて、やはり露ほども思ってはないらしい。

「なんだよ。正解かよ」
「不正解ですよ。帰ります」

「ち、この論文の他に、へんなもやっとした疑問が出来て眠れなくなるだろーが。おい。帰るなら、そこのコーヒーメーカーにドリップされてるコーヒ頂戴」

彼の専用のマグにコーヒーを注ぐ。
いっそビーカーか三角フラスコに注いで出してやろうかと湯原は腹立ち紛れに思う。
コーヒーの入ったマグをトンと宮坂のパソコンの傍に置くと、グイっと腕を掴まれて、引き寄せられた。
あまりの事に声もでなくて、宮坂の膝の上に座る形になる。

「じゃ、正解は――俺でいいわけ?」

低く甘く囁かれて、視線は彼の瞳に釘づけられた。

「……」
「湯原?」
「……正解です……」

宮坂は一瞬天上を仰いで、また湯原に視線を戻す。

「疑問が一つ減ったわけで、正解した俺に花丸をくれよ、湯原センセ」

「……なんですか先輩」
「とりあえず、このあとホテルにでも行く?」

湯原の思考が停止したのをいいことに、宮坂は湯原の唇に自分の唇を重ねた。

END