さようならは云わない 前編




卒業する生徒を見送る側としては、やはり寂しいものがある。
それも、親しかった先輩が多ければ多いほど……親しければ親しいほど……。
莉奈は溜息をついた。

(とうとう、先輩達も卒業かあ……)

桜の花はまだ咲かない。
その代わり、梅や桃の花びらが、これから咲く桜の花を誘うように、勢いよく風に煽られて、舞っていく。
「ぼんやりしてるな」
訊き憶えのある声に、秦野莉奈は振りかえる。
「安斎先輩!」
もう3年は卒業式まで、この校舎に姿を現さないものだとは思っていた。
だから、前生徒会長の彼がこの校舎にいることが彼女に嬉しい驚きを与える。
「どうしたんですか?」
「卒業式の打ち合わせだ。生徒会長から連絡を貰って、予行演習はしたんだが、他にもいろいろ確認したいことがあると云われて……生徒会室で待つことにしたんだ」
ちなみに莉奈は生徒会書記で、今期一大の大仕事である卒業式の進行表を昨日完成させて、あとはやることが無い状態だった。

「いつも元気な秦野がぼんやりしてるから。声をかけてみた」
どうかしたのか? と尋ねられて莉奈は俯く。
「……卒業式が近いから……」
「別に秦野が卒業するわけじゃないだろ?」
「そうなんですが……やっぱり、先輩達に逢えなくなるのは、残念です」
安斎はポンポンとの頭に軽く手を乗せる。
「安斎先輩」
ドアを引いて、現生徒会長が入ってくる。
「お、秦野。ご苦労様」
「はい」
「ついでで悪い、あとで奢るから、資料でもってきた本、図書室に返却しておいてくれないか?」
「はい」
彼もポンポンとの頭を叩く。
莉奈はちょっと驚いたように安斎と現生徒会長を見比べて、本の返却へと向うことにした。

(どうして、こう、ウチの生徒会長たちは人の頭をポンポンするのかな?)

図書室で本を返却しながら、莉奈は思う。

(でも、ポンポンって……安斎先輩にしてもらうのは……いやじゃなかった……)

というか、嬉しかったし。
密かな優越感さえあった。
だって、同じ生徒会役員に、こんな仕草をしているところを、莉奈は見た事が無い。
莉奈は、やることがいっきに押し寄せると、パニックになって頭を抱えてオロオロしてしまう。そんな時はやっぱり生徒会も忙しいから、引退した安斎もいて、彼は決まっての頭をポンポンと軽く叩く。
これが不思議と莉奈のパニックを取り除いて、仕事が進む。
やっぱり安斎は引退しても東蓬の生徒会長なのだと、は思ったものだ。

彼。安斎幸弘は、新入生にとって、眩しくて憧れの先輩だった。
生徒会長なのに、テニス部の部長で。
テニスの実力は全国区で、そのうち、留学、将来はプロになるんじゃないかなんて噂が立つほどだ。
もちろん、彼に注目する女子生徒は東蓬の中でもたくさんいて……、手の届かない存在だった。
でも、どうしても、どうしても彼の傍にいたくて。
だから、やったこともない大きな役職に立候補したのだ。
そして奇跡的に生徒会の書記になってみたけれど、莉奈は1年、安斎は3年。
当然、役員の入れ替わりで、安斎と接する機会はあまりなく、自分の勇み足に自己嫌悪に陥ったりした……。
だが、全然接点がないわけじゃなかった。
やはり、新たに生徒会長になった人物も、結局は安斎にアドバイスをもらうことも多く、引退したとはいえ、彼が生徒会室に現れることも少なくはなくて、彼と生徒会室で逢った日は、当然心も弾んで……。
そんな日は、頑張って生徒会役員になってよかったと思ったりもしたのだが……。
少しでも安斎に会えるという特典がなくなるこの春は、やはり寂しい。

中庭のバスケコートを走り回る男子生徒を横目で見て、はもう1度溜息をついた。
何も時間があるのは3年だけじゃなくて、2年も1年も、この時期は結構暇をもてあましているものだ。

(ほんとうに、もう、安斎先輩にポンポンって、してもらえなくなるんだなあ)

さっき感じたのだが、今の生徒会長に頭ポンポンされても、なんとういか、やる気がでてこない。
やはり、あのぽんぽんっていうしぐさは憧れの安斎先輩だから。先輩限定でそのパワーをもらえていたというか……難しいことにも前向きに取り組めたのだ。

―――――いいなあ、莉奈っち、安斎先輩に可愛いがられていて。

―――――先輩目当ての女子なんかは、かなりいるけどさ。

―――――みんな莉奈が羨ましいって。あたしも先輩に、頭ぽんぽんしてもらいたいよ!

―――――なんか頭よくなりそうだよね。、後期テストの結果よかったのそれのせい?

安斎に注目されて、ポンポンとされるのために、どれだけの努力をしたか彼女達は知らない。
勉強もスポーツも、生徒会の仕事も、手を抜いたことは無かった。
高校生になって、やっぱりやる気が出てきたのねと、莉奈の変化を両親は喜んだものだが、実際は憧れの先輩に少しでも近づきたいからという、単純な理由……。

(しかし、これで気が抜けちゃいそう)

図書室の椅子に座って、莉奈はテーブルに突っ伏す。
もう、どんなに頑張っても、莉奈の頑張りを認めてくれる憧れの先輩は――――、この校舎からいなくなる。

(泣いちゃいそう……)

鼻の奥がツンとしてくる。

(あー、さっき、安斎先輩に制服のボタンの予約しておけばよかった、あとケータイでもいいから写真とればよかった)

段取り悪い自分に情けなくなって涙が流れてくる。

(もう、卒業しちゃったら、逢えなくなるよ……やっぱり……ダメ元で……)

春の日差しが暖かくて、ストンと椅子に座り込むと、どっとやる気がなくなった。
図書室の窓ガラスのようで莉奈はうとうと眠りに誘われる。
やはり、生徒会が関連する大仕事が効いたのだ。
莉奈は睡魔に勝てず、チャイムが鳴るまで、ここで少し眠り込むことに決めた。