リトルリーグ・リトルガール キャッチボール・プレイボール12




ランチは、路地裏に最近出来たばかりの小洒落たイタリアンでとることになっていた。
昨日の別れ際に、小柴から誘われて、気になる店があるなら、そこで昼食をと誘われていたのだ。
ランチの予約なんてできるかなと思ったのに、きちんとしてくれる。予約がOKだった。
そういうところも、マメなんだなと、普通の状態の透子なら思うところだが、そこまでは思考がいきつかない。
真っ白の皿に載せられた色鮮やかなパスタは、嗅覚と視覚を一挙に刺激してくるのだが、もちろん、今の透子は、それに対して「わあ、おいしそうですね」の感想を洩らすのに、3分はかかった。
「どうした、藤吉、さっきからヘンじゃないか?」
「……え?」
「らしくない」
「あ、いいえ、ちょっと見惚れてたんです。パスタ綺麗だなーって……」
「うん、冷めないうちに食べた方がいい」
小柴は銀色のフォークをとって、クルクルっと小さく一巻きして、透子のお皿の端にちょこんとその綺麗に巻かれた一口サイズのパスタを載せる。
「あ」
「ぼんやりしてるから、こっちの方がよかったのかなって。食べてみれば」
目の前の人物にそこまで気を使わせていたのだと思うと、自然と顔が赤くなってしまう。
「食べないの?」
「食べます。いただきます」
「はい」
小さな一口パスタを、再び今度は透子がフォークで絡める。
「あの……」
ニッコリと笑う目の前にいる人物に、さっきの出来事を言い出せない。
本来の透子なら、「訊いてくださいよ! さっき会ったんですよ、ヒデに!」ぐらいはいえそうなのに。
「どうした?」
さっき会った秀晴の目が、雰囲気が、5年前とほんの少し違っていた。
怪我の直後から秀晴のプレイは変わったように思うし、プレイだけじゃなくて、他の部分マスコミに向けコメントもめっきり減って、子供みたいな笑顔を見せなくなっていた。
再会しても、昔みたいに無邪気に話しかけてくれそうもないと思っていたのに……。
なのに透子を見つけて、まっすぐに近づいてきた……。
パスタを絡めたまま、透子は固まる。
「藤吉?」
「あの……」
「うん」
「……」
「なんだよ、ほんと、らしくないなあ」
小柴の笑顔があるのに、泣き出したくなるのは、どうしてだろうと透子は思った。



透子は退勤後に美香に連絡をする。
電話をしてくる透子の様子が気になったので、当然、終業後に落ち合った。
「どうしたの? 透子が電話してくるなんて」
「うん……」
「何」
「あのね、ヒデに会った」
美香が固まる。
昨日の今日で何が起きたのか美香は一瞬わからなくなった。
昨日、透子は小柴さんと付き合うことにした。ここまで美香は納得する。
昨日、中谷君が秀晴にあったのも、知っている。
そこで、どうして今日、透子と秀晴が会うのだ。
「うちの会社のCMに出るんだって、それで、今日会社に来てて、偶然……会った……」
「そ、そ、それで?」
透子の隣りにストンと座る。
「ヒデは……あたしのこと、わからないだろうなって思ってたんだけど、人込みに紛れていたのに、すぐに見つけて、あたしの携帯番号聞いて、また連絡するって……」
その話を訊いてる美香の方がドキドキしてきた。
「小柴さんとその直後ランチに行ったんだけど、せっかく誘ってくれたのに、挙動不審すぎだったと思う、ちょっとおしゃれなイタリアンだったのに、味なんて全然わかんなくて」
「無理ないよ」
「なんかも―――――あたしらしくないっていうか……あたし、小柴さんとこれから始めようって、思ったのに、ヒデのこと考えているんだよ」
「それは前からでしょう」
「そうだけど、もっと小柴さんのこと考えてもいいじゃん、コレから先のことを考えればいいのにさ、何だか全然イメージ沸かないんだよ」
「小柴さんだって、それわかってるとは思う……」
「だからって、それに甘えてちゃ駄目じゃない?」
「まあ、実物に会っちゃうと、軽くパニックにはなるから、仕方ないよ」
その瞬間、テーブルの上に置いてある透子の携帯が鳴る。
登録者の名前は表示されない。
美香もそれを見て息を呑む。
「で、でなよ」
透子を促す。美香でも、相手が誰だかわかってしまう。
透子がおそるおそる、携帯をオンにする。

「もしもし……」
「トーキチ?」

やっぱり彼だった。秀晴だった。
電話越しに声を訊いただけで、嬉しいさと懐かしさが押し寄せる。
小柴と一緒にいる時よりも、あきらかに心臓が早鐘を打つ。

「うん」
「会えないか?」

その声は落ちついていて、以前とはやはり少し違うようだった。
でも。

―――――会いたい。いつだって、ずっと、会いたかった。

でも、透子は決めてしまったのだ。
大好きで大切な思い出を共有した秀晴との不確かな関係よりも、安心できる小柴との付き合いを。
だから……。

「みんな、会いたがってると思う」
「同窓会の話? 中谷から聞いた」
「そうなんだ」
「オレは、お前に会いたいんだよ」
「……ヒデ……」
「オレの都合で、オレの勝手だったけど、ずっと、会わなくて……それは謝る、電話越しじゃなくて、会って、謝りたい」

会って、謝りたいこと……。
ずっと連絡をとらなかったことを。秀晴自身も気にしていたのかと透子は思う。
秀晴には彼なりの理由があるのだから、それは仕方のないことで、謝る必要も何もない。
ただ、「お前に会いたいんだよ」と限定して言われると、彼を諦めようとしていた気持ちが弱くなって、ただひたすらに会いたいと思う。
だけど自分は今、小柴と付き合いはじめたのだ。
それに……。
あの記事の彼女とのこと。
秀晴が、彼が他に恋をしていたのだと、透子は改めて思い出した。
2人で会うわけにはいかない。
確かに透子は秀晴の元彼女でも元恋人でもない。幼馴染でバッテリーだっただけ。
でも、秀晴と自分が彼女の預かり知らぬところで会うのは、いい気はしないはずだ。
自分だって、小柴に2人っきりで秀晴と会うとは云えない。
きっぱりと断ればいいのだ。
ここできっぱり断ったら、多分、もう、2度と……会わない……。

―――――でも、会いたい……。ちゃんと会って、自分の気持ちにケリつけたい。

「じゃあ、みんなで、同窓会ってほど、大げさじゃなくて、あたしと美香と中谷君と……」

―――――小柴さんも誘おう……、そして、本当に、思いきるんだ。諦めるんだ。

「2人じゃ駄目なのか?」
「え?」
「オレはお前と話がしたいんだよ、透子」

いつもトーキチだったのに、ふいに名前を呼び捨てにされて、ドキリとする。
どうしてこんなに、心臓に悪い発言をしてくれるのだろうかと透子は思う。

「ヒデ、彼女がいるんでしょ、悪いからさ」

透子が云うと、美香が目を見張る。
小声で美香が力説する。
「そこは終ってるのよ! 云わなかったけ? 透子!」
透子は美香を見る。驚いて目を見開いた透子は訊いてないと首を横に振る。

「わかった。みんなとでいいから、とりあえず会おう。今週、都合がいい日に連絡くれよ」

秀晴の電話はそれで切れた。