HAPPY END は 二度 訪れる 10




珠貴の買い物を、アルフォンスはクレジットカードで支払いをすませて、買い上げた品物は珠貴の住所へ送りつけるように云う。
珠貴の肩を抱いて満足そうに店をでようとすると、従業員がそそくさとドアをあけて、その場で背後で一列にならんで「ありがとうございました」を唱和する。
一流ブランドの従業員がそれをやるほどの買い物を一時間でしたのだ。
そしてこともなげに、アルフォンスは呟く。
「一点ブランドってのもなー」
「青山あたりでしたら、各種ブランドを取り揃えているセレクトショップもございますが」
「いいね、梶本」
ブランドのロゴが入ったトートバッグを肩から下げた珠貴は、その会話を訊いてギョっとした。
「あ、あの、アルフォンス……」
「何?」
「月曜の為にいろいろ予習もしておきたいし……今日はこの辺で」
ロレックスの腕時計を見て、アルフォンスはうーんと唸る。
「仕方ない」
珠貴ははーと胸をなでおろした。
これでいろんな緊張から解放されると思った。
が、そうは問屋がおろさなかった。
「ディナーに行こう。珠貴は何が食べたい?」
「……食べたいって……」
「どうせ、この後は家に帰って食事をするんだろ? 一緒に食事をしよう。日本食はすごくおいしいけれど……気分はフレンチ食べたいんだ」
にっこりと笑顔を向けられて、珠貴は軽いめまいを覚えた。
さっきの買い物で気力を使い切って、食事に断る理由を考えることもできなかった。

 
「珠貴は。テーブルマナーはわかってるみたいだね」
「……」
メインを食べ終える頃に、アルフォンスはそう云った。
フレンチを選択したのは珠貴自身がテーブルマナーを知っているかどうかを確認したかったに違いない。
「おじいさまに引き取られるまでは、知りませんでした」
「そうなの?」
「はい」
母親とその日ぐらしで、時にはアンパン一つで終わってた食事をしていた珠貴にとって、祖父にひきとられて、自分に用意されたの夕食は、夕食と云うよりも晩餐と云う言葉がふさわしいものだった。
家の夕食にフレンチのコースがでてきて驚き、どのフォークをとナイフを使っていいかわからず、その晩の食事は、食べることができなかったと云うと、アルフォンスは目を丸くする。
「それでその日の夕食は食べなかったのかい?」
「園田さんが、おにぎりを作ってもってきてくださいました」
「……梶本と一緒に働いていた人だね」
珠貴は頷く。
「でも、ナイフとフォークの使い方は綺麗だよ」
「ありがとうございます。園田さんに教えていただきました」
「そうか……」
珠貴が祖父の家になじむまで、時間はかかった。
でも、それは、それまでの生活がひどかったせいであっただけで、新たな生活にちゃちを入れるような人物は一人としていなかった。
祖父や家を取り仕切る従業員は珠貴にはとても優しく接してくれた。
両親がいなくなった悲しみも、寂しさも、彼らが補ってくれた。
「でも、コース料理はやっぱり苦手です。分量が多すぎるというか……メインにいきつくまでに、食欲が満たされるので」
「なるほどね」
「そう云う理由できちんとした懐石とかも……」
「中華は?」
「やっぱり量が多いように感じます」
「だから痩せてるんだよ。きちんと食べないと。食べたくても食べられない人もいる」
「それはわかります」
食べたくても食べられない人に属していた時だって、珠貴にはある。
しかし、アルフォンスは、別の意味で云っていたのだが、珠貴は気付かなかった。
デザートのペッシュ・メルバをスプーンでひとすくいして口に運ぶ。
「おいしい?」
アルフォンスが尋ねると、珠貴は頷く。
「よかった」
なんだか親鳥になった気がするなとアルフォンスは思う。
飛べない雛を守りたいと思い、いつか飛べる日がくるのを楽しみするような気持ちになる。
――――亡くなった重倉氏が、この子を可愛がっていた理由がなんとなくわかる。
この手のタイプには弱いんだよな……とアルフォンスは思う。
リナが生きていた時ももちろんだが、リナがなくなってからさらに、人目憚らずにアルフォンスの周囲にすりよってきた女達と比較すると、珠貴は、控え目で謙虚で真面目だし勉強熱心だ。
たくさんの美徳を持ちながら、彼女はそれをひけらかさないし、謙遜すぎるといってもいいだろう。
そう、謙遜すぎるというか……。
真面目で、優秀だが、彼女自身に自信がない。
もっと自信をつけさせてやりたい。
――――自信がない。
これまで、アルフォンスの周囲には、自分の美貌やスタイルに自信満々な女達が多すぎた。
――――リナも、こんな風に、自信なかった。
亡くなった妻を思い出す。
美しく控えめで、おとなしかった妻。
彼女を護ろうという気持ちはあった。
だけど、その気持ちだけでは、彼女を蝕む病を倒すことはできなかった。
――――リナは、その病身からくる自信のなさだったけれど……。
珠貴は違うような気がする。
最初に対面した時に感じた、あの挑戦的というか、どこか尖った感じ。
あれは。とても印象的だった。
芯は強いと思う。
「アルフォンス、どうしたの?」
珠貴がアルフォンスの顔を見つめて尋ねる。
「いいや。明日の予定をたててるんだ」
「明日?」
「うん。明日はそうだなー10時に迎えに行くよ」
「はい?」
明日の予定も一緒なのかと珠貴は思う。
そんな珠貴の表情を読んでアルフォンスは頷く。
「だから云ったろ? ブランド1点って、ダメだから」
今日の続きがあるのかと珠貴は目を見開く。
「素材のいい看板には磨きをかけないとね」
「看板……でも、会社のことを少し勉強しておきたいんだけど……」
「僕が教えるよ、一日中」
「一日中!?」
今日一日だって、緊張の連続だったのだ。
アルフォンスはビジネスマンとして成功している。
確かに彼から会社経営について、わからないことやこれからのことを直接聞くのはいいことだ。
だけど。
今日の夕方以降のような状態は避けたい。
アルフォンスに惹かれそうな自分がいる。
吉野との一件で、自分は恋愛することはないと決めたはずなのに……。
ふわふわと浮ついた気持ちで男性に総てを任せるようなことはもう二度と、誰にもしない……。
そう思っているのに、アルフォンスは、違うと、もう一人の自分が云う。
――――おじいさまのように優しいし、親身になってくれる。
――――会社の再建に吉野ではなく自分を選んでくれたのよ。
そんな心の中にいる自分に、珠貴は窘める。
――――でも、決して恋はしないように。
いくら親身になってくれても、それは恋にはならないのだから。と……。