HAPPY END は 二度 訪れる 8




「そういうオーナーも中にはいるよ」
「……」
「でも少ないね。はっきり云って、ここは自分の趣味のオフィスって感じだし」
アルフォンスはそう云った。
「で、ちょっとこっちにきて」
珠貴を手招きして、オーナーデスクに鎮座しているノートパソコンを開かせる。
「新製品だったよ、ごく最近までのね」
サイトのデモページだった。
この自分の趣味のインテリアとは違う、統一性のない家具をそろえている。
このオフィスのようなイメージを持っているならまだしもチグハグすぎる。
商売としてやるものと、個人で利用するものとはまったく異なるといった具合だ。
「倒産にもなるはずだわ……」
「僕がここを買い取ったら、まずは、新製品を出そうと思ったんだ。キミはどう思う?」
「確かに新製品は必要だと思います。だけど、わたしを引っ張り出して再建を図るなら『シゲクラ』のいい部分は残すべきでは?」
「いいアイデアでもある? あるなら、考えてきてくれ明日までに」
「はい」
珠貴は素直に頷いた。
「取引先も随分変わってる。おじいさまが取り合わなかった、資材会社といくつか契約してたようですね」
「だろうね、僕が『シゲクラ』を買い取ったら、ぜひ話をという会社がいくつかあってね、かつて『シゲクラ』と契約していた会社だったり、新たに契約してた会社が引き続き、契約したいとかね」
珠貴は頷く。
「備品等を取り扱ってる会社も変わってる……」
「とにかく、会見を希望されている会社を僕はいくつか絞って、直接会うつもりだ。だから、珠貴がここでバイトをしていた時は、どんな状況だったか教えてくれるとありがたい」
「はい」
パソコンから、引き上げられるだけの経営資料を見て、整理して、社内を見て回り、今現在がどうなってるかを目のあたりにしてみた。
改善していかなければならない要素を書き出して、あとでパソコンにまとめようと珠貴は思った。
 
そんな作業を数時間続けていると、かつての秘書が走り書きしていたメモを見つけた。
吉野と恋人のデートのスケジュールを見つけた時は、それまで会社のことを考えてた珠貴の動作が一瞬止まる。
まだ、祖父が存命の頃の日付だ。
二人でカメラに向かって笑顔を振りまいてる写真までご丁寧に挟んでいた。
嘘で自分を好きだと囁いた男の、本当の恋人とよろしくやっていた物的証拠。
一瞬感情も思考も停止した。
でもそれは一瞬だった。
彼に対して、激しい怒りやその写真に写る女性に対しての嫉妬は感じない。
ただ……。
こんな男に入れ上げていたのかと改めて、その事実を見て、珠貴は自己嫌悪に陥った。
「珠貴」
はっとして、珠貴は顔を上げる。
「どうかした?」
「……いいえ」
キャビネットの引き出しから過去のスケジュール帳を開いて、関係のないページを不用品の段ボールに投げ入れた。
アルフォンスは、珠貴が幾分乱暴に投げ入れたそのスケジュール帳を拾い上げる。
ページをいくつか捲り、青い瞳を珠貴に向ける……。
「珠貴」
「傷ついてません」
「……」
アルフォンスは、スケジュール帳をさっきの不用品の段ボール箱に投げ入れて、珠貴の手をとる。
「アルフォンス……」
「あの男は、見る目がないんだよ」
そう云うと、珠貴の両頬を両手で包みこむ。
アルフォンスの綺麗な顔がすぐ近くにあり、視線を泳がせようとした。
でも、彼のブルー・アイズには珠貴の視線を外せないように、見えない力で押さえつけられているようで、珠貴は戸惑いながら、真っ直ぐにアルフォンスを見つめる。
「知ってます、だから『シゲクラ』が潰れたと思ってる」
まっすぐ、アルフォンスを見つめる黒い瞳。
アルフォンスは、こんなに艶やかで光沢がある黒い瞳を見たことはなかった。
悲しいとか悔しいとか、そういう感情を必死で隠し、かつての婚約者に対して痛烈な発言をする珠貴が、いじらしく見えた。
アルフォンスの瞳が優しく笑う。
「そのとおり。キミは違う。勇気がある。みんなを思いやって僕についてきてくれた」
「……」
「あの男にはもったいないぐらいの女性なんだよキミは」
「わたしが?」
何も知らない珠貴を騙し、これから美しく花の盛りを迎えようとしてた彼女の自信をもぎ取った吉野を、アルフォンスは嫌悪した。
「キミがまだ何も知らないだけで、キミに惹かれる男はこれから列を成すほど現れるさ」
「……」
珠貴はクスクス笑う。
「何?」
「あり得ない」
――――お前みたいな、どこの馬の骨ともわからない、可愛げのない女との結婚なんて、考えただけでもぞっとする。抱きたいとも思わない。
最後の最後に投げつけられた言葉。
おじいさまの孫娘だと、心の中では認めていなかったと、はっきりと思い知らされた言葉だった。
彼の両親は、得に母親は、珠貴と顔を合わせる度に嫌味を云っていたが、彼もずっとそう思っていたのだ。
アルフォンスが、「キミに惹かれる男はこれから列を成すほど現れる」とはいうけれど、きっとそんな日はこない。
別に大勢に愛されなくてもいい……たった一人の人に出逢えれば。
それすらも、珠貴にとっては訪れることのない夢だと思っている。
「僕が信じられない?」
「そうじゃなくて……」
「じゃ、自分が信じられない?」
そこで一瞬押し黙るのは、彼女の事実だからだ。
彼女は自分に自信が持てないのだ。
でもそれでは困る。今後、『シゲクラ』を立て直す上で、自信は必要だ。
白い頬が、赤く染まるのを見て、アルフォンスは、親指で彼女の頬を撫でた。
「よし、OK。作業はだいたいこれぐらいにして、片づけよう」
アルフォンスの手が頬から離れ、珠貴はドキドキする心臓を抑えつけ、彼に背を向けて気づかれないように溜息をつく。
――――やっぱりアメリカ人は、スキンシップが激しいような気がする。
不覚にも、アルフォンスの行動にドキドキしてしまった。
今後も彼は、日本人はしないようなスキンシップはするだろう。
いちいち、ときめいていては身が持たない。
珠貴は心の中で自分に言い聞かせる。
彼が珠貴に触れてもそれは、向こうの文化を思えば、当り前なのだ。
彼が珠貴に触れても、そこに恋愛感情とかはない。
だから、勘違いしてはいけない。
けして、彼に特別な感情を抱いてはいけない。
 
「で、珠貴」
心の中の声が漏れたのかと思うほどのタイミングで用ばれたから、珠貴は必要以上に緊張して返事をする。
「はい!」
椅子にかけたスーツのジャケットをアルフォンスは着こむ。
「キミは僕とこれからショッピングするよ」
「ショッピング……?」
「そう、ショッピングだよ。honey」
映画俳優のような思いっきりサマになるウィンクして彼は云う。
――――アメリカ人の言葉にもっ! いちいちときめいたらダメだからねっ!
珠貴は自分で自分にそう言い聞かせた。