プロローグ




酸欠で死にそうだ。
ペダルを踏む足。もう少し早く動かないもんかな。
立ちこぎの姿勢で、トロトロと歩いている歩行者にイラついて、ハンドルをきって車道の端に自転車を流し、そしてまた勢いよく漕ぐ。
原付には及ばないけれどなかなかのスピード。

「畜生っ」
あと5キロ体重を落とそうと、ペダルを踏みながら彼は心に誓う。
十代の若さで身体が重たく感じるのはどうだろうと思う。
体育会系クラブに入ておけばまた違っただろうけれど。
でも、そんなクラブに入っていたら、今回のようなことはなかった。
今回のコレはコレで楽しかったじゃないかと、彼は思う。
――――楽しかった。でも、お楽しみの本番はコレからだもんな?

彼の脳裏に、この数週間で知り合った、小さな友人達の顔が浮かぶ。

――――おませな桃菜。泣き虫ほのか。やんちゃ健太。待ってろ、間に合わせてやるかな!
交互にペダルを踏む。車道の黄色の信号をすばやくすり抜けて、一直線に。

――――待ってて、もうすぐだ。

プラネタリウムのドームを乗せた建物が視界に入る。
この地域でプラネタリウムを併設したイベントホール。
きらきらプラネットホールの姿。
彼はチラっと後ろを振り返る。
自転車の後ろの籠には盗難防止のネットからはちきれそうな荷物。
スピードに飛ばされていないのを確認する。


――――大丈夫、飛ばされてねえ。あとは時間。間に合うか?


「ガンちゃんこねえなー」
「ガンちゃんこないねえ」
「ガンのヤツ……間に合うだろうなあ」
「崇行に行かせりゃよかったんじゃね?」
きらきらプラネットホールの前に女子中学生と男子中学生、そして幼稚園児の男の子と女の子が立って、こっちに向かっているだろう人物を待っていた。
「ホールに戻ってろよ、寒いぞ」
「やだ!」
「ガンちゃんまつの!」
小さな彼と彼女は二人を見上げる。
その二人を見て、男子中学生が思わず抱っこしたくなる手を堪える。
その様子を見て女子中学生が呟く。
「……ガンちゃんに感化されてるね、瀬田君」
「っせーな」
「わかるよ、わかる」
女子中学生がしゃがみこむ。
「桃、大丈夫、ガンちゃんは来るから。絶対」
「まさきちゃん……」
桃と云われた幼稚園児が真咲に手を広げる。
真咲はギュウと桃を抱きしめる。
すると健太が叫ぶ。
「ガンちゃん! キタ!」
四人がパっと右方向に向くと、自転車ごとホールの前に滑り込んでくる男子中学生に注目する。
「ガン!!」
物凄い勢いで、ブレーキを鳴らして、自転車を止める。
そして、自転車から飛び降りる。
その様子を察してホールから何人かぞろぞろ出てきた。
「間に合ったかっ!?」
「あと10分だ!」
「最後の出番にプログラム変更して貰ったんだよ! 早く!」
荷台にあるネットを乱暴に外して紙袋を真咲に渡す。
「頼む!」
「桃! 健太! 着替えるよっ!」
「うん!」
「おう!」
真咲が叫んで、桃を抱えて健太の手を引っ張ってホールの中へ入っていく。
自動ドアが音を立てて開く。
ホールの1Fエントランスには巨大なクリスマスツリー。
そして息を切らせて、自転車の横にある看板は立派な書体でこう書かれている。


――――さくら幼稚園第43回クリスマスお遊戯会――――

「お疲れ。菊池は?」
「……無理せずに後からこいって云っておいた……プログラム変更なんてして大丈夫だったか? また文句言う保護者とかいなかったか?」
「なーに云ってんだよ、今回のきりん組は最初から文句ぶうぶうだろーが」
「そりゃそーだけど」
「時間がねえ駐輪スペースに持ってかなくてもいいだろ、そこ置いておけ、お、菊池!」
ものすごいブレーキ音をたてて、さっきガンが滑り込んだようにホール前のエントランスに自転車をつっこませてくる。人影。
ガンと瀬田はその人影に注目する。
「愛衣ちゃん〜! ありがとな〜間に合ったよ〜」
その人物はやはり女子中学生だ。
「……っ、じ、じか……んは?」
「間に合ったよ、チャリそこにおいといて、いいよ、こいよ」
ふらふらよろよろとしながら、愛衣ちゃんと呼ばれた彼女は自転車から離れて、ホールに入ってくる。
「大丈夫、間に合った! コレからが――――本番だ!」
ガンはそう呟いた。