1話 その男、岩崎厳太郎




小学校を卒業し、中学生になった当初。
着慣れない制服に違和感を抱いたものだけれど、前期試験も文化祭も終ってあとはクリスマスの予定はどうするー? などと口にするこの頃には、クラスの中も、ようやく顔を名前が一致してきて、春に違和感を感じてた制服も、なんとなく着こなせてきているなあと鎌田真咲は思っていた。
そんなことをぼんやりと考えていた時、教卓の前に両手をついて、一人の男子生徒が立った。

「みんな、聞いてくれ!」

彼がそう叫ぶと、一斉に、クラスにいた生徒が教卓にいる男子生徒に注目する。

「どうしたー。ガン?」
「なんだ、なんだ?」

教卓の前に先生のように、両手をついて、立っているのは、岩崎厳太郎だった。
岩崎厳太郎(いわさきげんたろう)。
愛称ガンまたはガンちゃん。
苗字、名前、愛称、共に硬そうな字と響きだが、その名前に反して彼はなかなかに柔和なお人柄。
特に顔がいいとかではないし、頭がいいとかでもない。
ではスポーツが得意かといわれればそうでもない。
が、まったくのダメダメでもない。
本当にいずれも標準値。
特定の彼女はいないが、男女問わずクラスの半数に彼は好かれているし、後の半数には嫌われてもいない。先生の受けもいい。
別にいい子ちゃんってわけではないが、なんというか、あらゆる意味でストレートな人物。
だいたい40人のクラスで、この人気ランクを維持できるのはすごいなと真咲はつねづね思っていた。
通常、女子に人気があるのは男子に妬まれたり、男子に人気のあるのは女子に敬遠されたりするものである。
が、そんなイメージを中和するがごとくの温厚柔和なお人柄で、クラス内で癒し系ポジションに収まっているのが彼、岩崎厳太郎君だ。
そんな彼が、教卓の前に立ちみんなに声をかけた。

「手先が器用で、暇なヤツ、いるか!? 女子!! いや、男子でもいい!!」
「なんだよいきなりー」
「お願いがあるんだ。崇行の為に一肌脱いでくれ」
「崇行って?」
「隣のクラスの飯野崇行?」

厳太郎……ガンちゃんの口にした名前は、飯野崇行。
学年一、いや、もしかしたら、学校一、女子に人気のある男子生徒の名前であった。 
アイドルプロダクションからおよびがかかってもおかしくないほど、下町のこの学校にはまれな美形である。
当然その名を耳にした女子数名が色めき立つ。

「ガンちゃん、飯野君がどうしたのっ?」

女子の食いつきに、ガンちゃんの瞳がきらりんと光る。
畳み掛けるように言い放った。

「飯野の妹のお遊戯会の衣装を作ってやってほしいんだ。妹だけじゃない! あいつの、妹のクラス全員のお遊戯会の衣装を作ってやって欲しい! ウチに手芸部があったろ? 誰か紹介してくれねえ? つうか、裁縫得意なヤツ! 家庭科の成績がいいやつ!」

それを聞いて、女子はたじろぐ。
そりゃそうだ。
大半の女子は、家庭科の実習でパジャマをつくるのが精一杯なのだから。
もちろん真咲も、その例に漏れない。
往年の名俳優の名台詞を真似て「自分、不器用ですから」と呟きたい派である。

「な? 学祭も終って前期テストも終って、今暇だよな? おれら一年で受験ってわけでもないし? な? 頼むよ! おれを手伝ってよ」
「ガンちゃん、作る気なの?」
「ガンちゃん、うちらパジャマ作るだけでイッパイイッパイだったんですけど?」
「パジャマ作れるならすげえじゃん! オレなんて自分の指、針で縫っちゃうかもなんだぜ、でも、手伝ってやりたいんだよ〜」
「……な、ガン、崇行の妹だけならわかるよ? わかるけどさ、どうして、妹のクラス全員の衣装を作ってやるって話になんだよ」
クラスでも結構まじめでインテリ系の瀬田光一がガンちゃんに尋ねた。
クラスの大半は、そうだ、そうだと口をそろえる。
気が弱い生徒だったら、ここで怯むところだが、ガンちゃんは違う。
大勢を前にしても、ガンちゃんは怯まない。

「崇行の母ちゃん、今、入院中でさ、お遊戯会の衣装を作ってあげられないんだ」


 

だから最初は、クラスの先生が作ってやろうとしたらしい。
しかし、そこで問題がおきた。
飯野崇行の妹、飯野桃菜が通う幼稚園は、私立さくら幼稚園。
結構地元じゃ古い私立幼稚園。
若いお母さんもそこの幼稚園出身者という人がいるぐらいの幼稚園。
ちなみに隣の桜木町の幼稚園だけど、この中学校から道路挟んで1分しないところにあるのだ。道路を挟んで隣町なのだ。
ただ古いってだけで、なにか特色があるというわけでもない。
いまどきのお受験系の幼稚園でもない。
というよりは真逆。
保育園のように夕方遅くまで延長保育が可能な幼稚園で子供たちは元気で明るく素直にをモットーにしてる。
そんな幼稚園も、中学校に負けず劣らず、イベントが盛りだくさんらしい。
入園式、親子遠足、七夕、プール開き、夏祭り、お泊り保育、運動会……それらのイベントをクリアしてきた。
そして残す年内のイベントはクリスマスお遊戯会を残すのみとなっていた。
この古い幼稚園では、お遊戯会の衣装は親が作るのが代々の伝統らしい。
そして事件はその説明会で起こった。

「親がどうして作らなくちゃいけないの!?」

クラスでも発言力のあるある母親がそう言い始めたのが発端だった。
さくら幼稚園はお受験とは関係ないし、子供はのびのびと、忙しい共働きの若い夫婦にはもってこいの延長保育システムを売りにしているのに、イベントに親の手を煩わせるのどういうことか? と、言い出し始めた。
クラスに一人か二人は裁縫上手いお母様や、兄弟揃って、この幼稚園に入れたお母様方がいて、この年末のお遊戯会イベントに一騒動しているが、運悪く、このクラスはほぼ初心者か、もしく手芸が下手で苦手な奥様ばかりが集まった。
そこで、飯野の母が入院して、先生が手伝おうとしたら、最初の「親がどうして作らなくちゃいけないの!?」とうるさく云いだした親を筆頭に、「ひとりだけずるい、それなら全部先生が作ってくれ!」とボイコットし始めたらしい。
先生は、新任の若い先生で、影で泣いているのを飯野は見てしまったようなのだ。




 

「飯野んところは、さ、お母さんと飯野と桃菜ちゃんだけなんだよ」
「え……飯野君、そうなんだ……」
いままでミーハーに飯野君をターゲットに騒いでた女子の一人が呟く。
ぐすっと、ガンちゃんは鼻をすすり上げる。
「飯野、すっごく気にしちゃってさ……」
「さくら幼稚園かあ。あたし、知ってる〜そこに通ってた〜。お遊戯会は有名よね〜あそこ、きらきらプラネットホール借りてやるんだよ〜」
きらきらプラネットホールとは、音楽会等のイベントを地域で行うときに、使用されるイベントホールである。
ちなみにプラネタリウムが併設されているところからの名称だ。
地域でも合唱コンクールとかに力入れてる学校ではそこで合唱コンクールも行われたりするのだ。

「幼稚園のお遊戯会なのに、そんな、大規模なところでやるんだ……」

みんながしり込みしそうな発言をされて、ガンちゃんはバンっと教卓を叩く。


「そこを頼む! できるやつでいいから!! お願いします!」


ガンちゃんはぺこりと頭を下げた。