Extra ピッチャー荻島5




「さて、優勝まであと一球! アルプススタンド、盛り上がっています!!」
アナウンサーが興奮気味に、実況を続ける。
透子はギュっと両手の指を組んで握り締めていた。

「荻島、投げた! ストライク!! 東蓬学園の優勝です!」

審判のストライク合図とともに、キャッチャー内野も外野もマウンドにいるヒデに走り寄る。
応援のスタンドは総立ちで、透子はスタンドでいてもたってもいられなくなりベンチへ走って行く。
マネージャー席は美香に譲って、自分はスタンドの応援に回った。
ベンチに行っちゃいけないのはわかっているけれど、どうしても、みんなに、ヒデに会いたくなった。
優勝を決めたみんなをもっと近くで見たかった。

ヒデに、会いたかった……。

係員に咎められなかったのは、多分、透子が東宝学園野球部のユニホームをきていたからだと思う。
ベンチに行くと、みんな、透子に視線を向ける。

「藤吉!」
「藤吉先輩っ!!」

監督や後輩に声をかけられるが、透子の顔を見て、叱責を飛ばそうとした監督も押し黙る。

「こいよ、トーキチ」

野球部員に阻まれて、見えなかったヒデの声がした。

「約束したんだ。甲子園の土、踏ませてやるってな」

よろよろとベンチからグラウンドのすぐ近くまで寄る。
ヒデが手を差し伸べる。

「約束、守ったぞ、トーキチ」

ガシッとヒデの手をとって、ベンチからグラウンドに上る。

「おっ……おめで…とう……ヒデ」
「おう」
「みんな、おめでとう」

それだけ云うのが精一杯で、透子は感涙号泣。
人前でこんなに大泣きするのを見るのは初めてだった。
透子が涙を流すとギュっとヒデの握る手の握力が加わる。
透子の泣きにみんな感激したのか、じわっと涙を浮かべる。
ここまでくるまでのいろいろな思い出がそれぞれに去来する。
そこへ、監督が容赦ない現実を知らせる。

「整列して応援団に挨拶しろっ、藤吉、もういいか!?」
「はいっ……すみませんでしたっ」

この透子のわがままを許したのも、透子が美香と同様にマネージャー業もすれば、打撃ピッチャーも練習で買って出た実績を知ってるからこそだ。
透子は監督に一礼して、ベンチへ降りて、スタンドへと戻ったのだった……。
 
甲子園から戻っても。野球部は夏休みはなかった。表敬訪問やら、マスコミ対応やらでようやく落ち着いたのは夏休み明け……。
それでも、放課後、ヒデの周りにはプロ球団のスカウト陣の姿が見えるようになった。
「一躍、スターだね、、気分はどうよ、スター荻島」
透子の発言にヒデは眉間に皺を寄せる。
透子とヒデは弁当を囲んで、昼休みや授業の合間でしか会話ができなかった。
「お笑い芸人みたいな呼び方やめれ」
「昭和の男性アイドルじゃね? で、どこの球団に行くのよ」
「んートーキチ、どこがいい?」
「いくらなんでも逆指名は態度でかくない?」
「いや、どこの球団ファンだったっけ?」
「あたし?」
「そうそう」
「んー別に、野球が好きではあるけど、特定の応援する球団はないなあ」
でも、多分、ヒデが入団したら、そこが特定の応援する球団にはなるんだろうなあと透子は思う。
「ヒデは?」
「……これが仕事になるからなあ」
そんなヒデの発言に、透子はちょっと驚く。
一も二もなく、自分の好きな球団名をあげると思っていたからだ。
「好き嫌いじゃなくて、慎重に選びたいとは思う」
感情的にならないで、自分を指名した球団を検討するつもりだと、ヒデは呟く。そういうところが、小学生の時とは違っているなと、透子は思う。
「キャッチボールする?」
ヒデは食べ終わった透子にグラブを渡すと、自分もグラブとボールを持って教室を出た。

「ああ、そうだ、トーキチ」
「うん?」
「コレをやろう」
「何よ」
「手え出して」
透子がグラブを広げると、ヒデは制服のポケットから小さな小瓶を取り出して広げたグラブに落す。
小瓶の形から見て、星の砂かなと一瞬思うが、どう見ても星の砂には見えない。しかし中に入っているのは砂のようだ。
透子は小瓶をつまみ上げてヒデを見上げる。
「コレ、もしかして」
「そう、甲子園の土」
「……」
「ちょっとしか、甲子園の土、踏めなかっただろ?」
「や、でも」
「悪かったよ」
「べ、別にヒデが謝ることはないじゃんよ、あたし、ちゃんと甲子園の土踏んだよ、優勝しなかったら、無理だったよ」
「投げたかったよな」
「云うなってば」
「泣いちゃうからか? いやートーキチがあんな号泣するとは思わんかった」
透子は耳まで赤くなるのを感じた。
「うわーまた泣くか?」
「誰が泣くか」
ググっとグラブで覗き込んだヒデの顔を押しやる。
「トーキチが、アメリカの球場を見に行きたいって云うなら、オレも目指すし頑張るよ」
ドキリとする。
アメリカの球場、そこは……。
「……メジャー……」
「おう」
「そっか……」
隣を歩く幼馴染は、もう透子の手の届かない場所へ、脚を踏み入れるのかもしれない。
例え、透子が男で野球を続けたとしても、果たしてそこへたどり着けるか。そう思った甲子園の先……。
「だからー」
ヒデの言葉を切るように、透子は自分に言い聞かせる。

「そっか……あたしも頑張らないとな、受験」

自分の発言を切られて、透子が云った受験という言葉をヒデは口にする。
「受験……」
「うん。これはお守りにするよ」
「……そっか」
「ゲン担ぎなんてガラじゃないけど、希望が叶いそうじゃん」
ヒデを見上げる透子の笑顔を見て、ヒデは自分が云いだそうとした言葉を押しとどめた。
透子が、女の子だからプロ野球選手にはなれないんだよ……そう小さな頃から自分自身に言い聞かせてきた事をヒデは理解してる。
自分の本当の希望は叶わないと知って、彼女がどれだけ悔しがったかも知っている。

「で? 何?」
「いや、いいよ。受験頑張れや」
「うん」

そんな彼女が自分の気持ちを諦めて、生きるこの先の未来図。
それ揺らす一言を云いそうになったヒデは溜息をつく。

――――トーキチが見たいなら、メジャーも目指す。
――――だから、この先もオレの傍でキャッチボールをやろう。
――――オレのキャッチャー、恋女房にならないか?

「オレが一人で決めらることじゃないしな。18だし」
「だから球団逆指名なんて、ヒデの癖に生意気だぞ」
「……そこじゃねーよ」
「じゃあ何よ」
「なんでもねーよ」

ヒデが透子にこの言葉を伝えるのは、あと数年後の話……。
 

END