Extra ピッチャー荻島4




あの日の野球少年が、今はこの大舞台に立っている。
野球は好きだった。リトルでエースをはっていたけれど、自分がもし男で、ずっと野球を続けていたとして、はたしてこの場所までたどり着けただろうか?

「最後の打者がバッターボックスに入ります!」

マウンドに立ち、ヒデはワインドアップのモーションにはいる。

「第一球、投げた! ストライク!! 速いっ!! 球速156キロ出てます!!」

ベンチに入れなかった野球部員達が歓声を上げる。
吹奏楽部の大太鼓の音が追い打ちをかけるようにドドドンと鳴り響いている。

――――ヒデ、あんたは……マウンドに立ちたかったのね……。

リトルの時、トーキチが譲らなかった場所を、彼は選んだ。
あんなにチームのみんなを湧かせるバッティングセンスを持っていたのに。
ピッチングよりもバッティングに注目されてたリトル時代。
多分あの頃から、その場所を目指していたのだろうか。

――――ピッチャーがヒデの夢だったのかな……。

だとしたら、過去マウンドを譲らなかった自分は彼の夢を阻んでいたのだろうか?

――――あの日のヒデにごめんねって何度も云うから……神様どうか……。

「荻島、第二球っ投げたー!」
 
 
「さて、あんたのツーランで取った二点を守るよ」
トーキチはマスクをかぶる。
「オッケー」
マウンドへ走って行くヒデの後ろ姿を見ながら、トーキチもバッターボックスの方へ走りだす。
打順は、一番からだ。振ってくるか、バントをしてくるか。これまでのバッターの傾向を試合の流れから振り返る。
トーキチは高めにミットを構える。
高めの真っ直ぐをヒデはサイン通りに投げる。
バッターは思いっ切りカラ振りでストライクを一つ。

――――うん。調子づいて、球速は前の回よりも上ってるし、コントロールもいつものキャッチボールでって言葉を素直に聞いて安定してる。

立て続けに同じところを投げるように指示すると、これもバッターはまたも空振りでツーストライク。
そしてまた、同じコースを 要求するとヒデは素直に投げた。
バッドはカキンと軽い音を立ててボールはライト方向へ浮かんでいく。
打たれた打球をヒデはマウンドから見送る。
フライで処理してワンナウト。

「ライトナイキャッチー!」
「おう」

――――トーキチのヤツめ〜焦っちゃったじゃんよ!
――――けど、打たれた瞬間ドキっとすんなー、トーキチのヤツいつもこんな気持ちだったのかよ。

カキンとボールがバッドに当たった音。
自分がバッティングで出すなら文句なく気分が高揚するけれど、いざ自分がマウンドに立ってこの音を聞くとヒヤリとする。
ボールを受け取って、ヒデはキャッチに視線を戻す。
マスクをかぶったトーキチの表情は読めない。
が、トーキチはヒデが何を言わんとしているのか、わかっている。

――――そういう表情をバッターにも見せたら、バッターは迷わず振ってくるだろうが。

トーキチはバッターを見上げる。

――――こいつも振ってくるな。

ストレートを低めにのサインを送り、ヒデは投球する。
ボールはホームベースに弾いてミットに届かず。
が、審判はストライクを宣言する。
バッターが勢い余って振ったのだった。

――――こっちが焦るわっ。でもこのストライクはラッキー。

ストライクゾーンを大外に外すとこれもバッターは振る。
「ツーストライク!」
トーキチはヒデにボールを返球しながら声をかける。
「ナイピッチ、ヒデ!」
褒められると調子に乗るヒデをわかっている。
だから躊躇なくど真ん中にミットを構える。
サインが送られたと同時にヒデは投げる。
バッターはヒデのボールよりも遅れてスイングした。
「ストライク! バッターアウッ!!」

これでツーアウト。

「ツーアウト!! あと一人!」

トーキチが立ちあがってヒデに返球すると内野陣も「ツーアウト!」と声をかけあう。
ヒデはいつも楽しそうに野球をするけれど、今日は特別のような気がする。
トーキチは立て続けにど真ん中を要求する。
打線は下位打線。
今の調子に乗って球速の乗ったヒデのボールは打たれないと確信していた。
その確信は裏切られることなくヒデは、相手バッターを三球三振に打とった。ヒデがマウンドからベンチにやってきて、ニコニコと機嫌よさそうだ。

「どうだ、トーキチ、オレにマウンド譲らねえ?」
「絶対ヤダ」
「ちぇー」

そうはいうものの、全然残念そうなそぶりはなかった。
むしろ、トーキチが断るのは予めわかっていての発言のようにも思われた。
梅の木ファイターズの攻撃は三者凡退で終わって、最後回だ。
「じゃあ、うちも、三者凡退で、終わらせよう」
トーキチの言葉にヒデは頷いた。
マウンドに立って野手陣に声をかける。

「しまっていこうぜー!」
「おおっ!!」

ヒデは、トーキチのサイン通り、また速球で相手バッターを三振に打ち取って、試合は2対0で梅の木ファイターズの勝利で終わった。
試合終了後、ミットを外したトーキチの手の平がじわりと熱を持って、そして重た痛みを伴っていた。
そのことはヒデには伝えていない。
調子のいいヒデのことだから、じゃあ次の試合からは俺がピッチャーでといわれるのが、いやだったのだ。
子供じみた、エースの看板への独占欲。
でも、手に残る熱と痛みは、ヒデの将来を暗示するものだった。