Extra 決戦の夏




トランペット、トロンボーン、サックスに大太鼓の音。
球場の両サイドは選手の応援に熱が入る。
天候は今にも降り出しそうな曇り空。
スコアボードは7-6の数字。
オペラグラスからマウンドを見下ろすのは、三年のブルーカラーのネクタイをしている藤吉透子だった。
いつもならジャージ姿なのだが、今日は敵情視察の為だけなので、この姿だ。
一緒に敵情視察にきている親友で同じくマネージャーの植田美香もしっかりと固定で設置しているビデオを覗いたりしている。

「降りそうね」
「美香、傘準備した方がいい」
「うん」

打撃戦の接戦だ。
だが、この予選でこのチームとはあたらない。あたるとしたら、甲子園でだ。
去年の轍は踏まない。

「でもさー、去年よりなんていうか打線は弱くなってない? 今日は打撃戦になってるけど、この試合までほぼ1−0だよ」
「古賀選手がプロ入りしたからじゃない? チームの総合力をあげてきているけど、ああいう華のあるバッターは今年はいないみたいだ」

去年、甲子園で、東京都代表対決があった。
東京の代表校は二校選出されるが、甲子園で勝ち進んでその二校同士の対戦はめったにない。
しかし、それが、去年の夏にはあったのだ。東の東蓬、西の西南大付属高。
対戦結果は5-4で西南大付属高が進み出た。
東蓬は負けたのだ。

「あのバカは、古賀選手の得意コースで勝負して、打ち負かしたかったんだろうね」

「荻島君?」
「昔っからそう」

リトルリーグでバッテリーを組んでいたときも、ヒデは相手の得意コースにわざとサインを投げてよこしてきたことがある。
ここで投げ勝ってこそ、エースだろうがと、透子に要求することが、たびたびあった。
成長しても、そういうところは変わらない。小学生の時はそれで負けて大泣きした。
だから昨年負けた時。今度もそうかと思った。
しかし、透子の予想は外れた。
その表情は悔しそうではあっけれど、泣きはしなかった。
当たり前だ。
彼はもう小学生じゃない。





「トーキチ」
負けた時、なんて言葉をかけようか透子が逡巡していると、ヒデの方が口を開いた。
「来年まで待ってろ」
「……」
「決勝マウンドに必ず登るから」
ヒデが真っ直ぐにスコアボードを睨みながら呟いた。



「お前に、甲子園の土、きっちり踏ませてやる」





それが去年の夏、甲子園で負けた時の荻島秀晴の言葉だった。
ポツっと大粒のしずくが透子の頬を掠める。
「美香、傘差した方がいい。雨だ」
「うん、透子は?」
「平気」

「センパイ! 藤吉センパイ!」

声をかけられて、透子は声の方へと振り返る。
東蓬の一年生の野球部員が、透子と美香を見つけて走りよる。

「傘、差してください」
「いいよ、なに、あんたら、ここまで来たの?」
「ロードワークだって、荻島センパイがっ!」
「ヒデが?」

透子は後輩から顔をあげて、一年生部員を先導してきた東蓬学園野球部エース、荻島秀晴の姿を探す。
すぐに彼を見つけることができる。
186センチ強の高身長。野球部のユニホームを着て立つだけで、去年の東東京都代表校のエースだと、周囲の注目を集める。
「ヒデ、あんた、何しにきてんのよ!」
「ロードワーク」
「どんだけ距離あると思ってんの?」
「トーキチの、可愛い後輩がぁ、『藤吉センパイがいない〜やる気でね』ってふざけたこと抜かすから走らせたまでだ」
都内の東から西へどれだけのロードワークだと、透子はあきれる。
「せっかく、一年坊主が『傘を』って云うんだ、差せよ」
「……」
「濡れるとブラ透けるぞ」
ヒデにそういわれて透子は掌でヒデの背中をバンと叩く。
「いてえ」
「セクハラ発言だ。このアホ」
「じゃあ差せって、うちの打撃投手の肩だって大事なんだっつーの」
「へえへえ」
「もう、トーキチさんはDVなんだから」
そんな軽口叩きながら、秀晴は、マウンドを見下ろす。
あっちこっちから「荻島だ」「荻島きてるぞ」の声が漏れる。
昨年からもう「荻島秀晴」は有名だ。

「どうよ、今年の西南大付属高は」

ヒデの言葉に、透子はオペラグラスでマウンドを見下ろしたまま呟く。



「残念ね」
「あ?」
「あんたの敵じゃない」



透子の言葉に秀晴はにやりと笑う。



「じゃあ、約束どおり、お前に甲子園の土、踏ませてやんよ」



――――多分、コイツはこの言葉を実行する。



「期待してる」
珍しく素直な透子の発言に、秀晴は透子の頭をわしわしと掌でかきまぜる。
「なんでえ、素直じゃーん」
「約束反故したら許さないから、そのつもりで」
「へえへえ」
「……」
「連れてってやるよ」



――――甲子園でも、メジャーへでも。



秀晴の隣に立つ彼女が、行き着けなかった場所。



「だから、ずっと見とけよ」



秀晴の言葉に、透子は笑みをこぼす。
自分にはそれしかできないのだ。
もう自分の力で、目指すその場所へはたどり着けない。
だけど、隣にいるこの幼馴染はやるだろう。
悔しいけれど、隣にいる、彼がやるなら……。



「ずっと見てるよ、この夏の決戦」






END