Extra ラスト・ゲーム 4回表




「この回で反撃しねーで、いつ反撃すんだよ」
トーキチがベンチに戻ると、ヒデがいそいそと防具を取り外していた。
「打ってやる、ゼッテー打つ」
横田はヒデの声にはっとする。
「いいな、横っち、出ろよ、打てよ、塁にいろよ、逆転狙うぜ」
トップバッターは、3番からだ。
3番の横田は「おう!」と短く答えて、バッターボックスに向う。
よっぽど2回表にやられたのが悔しかったのだ。負けた試合には大泣きして、トーキチに一喝されることもしばしばあるヒデだが、試合中の集中力はすごい。
トーキチ同様諦めないのだ。最後まで。
負け試合の時は、特にそう。
ゲームセットの声が聞こえる瞬間までは、ヒデはいつだって逆転したい気持ちでいっぱいだ。
「トーキチ。この回、必ず逆転すっからな」
「ヒデ」
「先取点は譲ったが、後はもー譲らねえっ」
デカイ声を押し殺すその呟きに、トーキチは頷く。
「頼む、ヒデ」
いつの試合もこんな時は黙っていたトーキチだったから「頼む」なんて言葉は以外だった。
「任せとけ」
3回の表も裏も、トーキチは頑張った。
あんなに走ったら、裏の抑えの時に、力尽きるかと思ったのに6球で防いだ。
「みんなも、やろう」
「ヒデ」
「うちのピッチャー打って走って投げて。一人でいいカッコしいだぜ」
「……」
「そーゆーところも、メチャ悔しいじゃねーか」
「いいかっこしなきゃ、ダメだろ」
トーキチが呟く。
「ラストゲームなんだ。負けたら悔しさ倍増だろ?」
みんな顔を見合せる。
この一言で、3回、トーキチが無茶をした理由をみんなが納得したようだった。
「だな」
「ヒデ、かっとばせよ!」
「おう!」
ヒデは元気よくネクストサークルへと走りだした。

横田は、一球目の外した球をよく見て、初球ボール。そして2球目ストライクをとられた。
三球目の高めの球をセーフティバントで決め、ヒデのいうとおり一塁に出る。
その様子を見て、ヒデはバッターボックスに入る。

――――この悔しさは残りの打席全部ホームランにして返り討ちしたいところだぜ。

ザっと足場をならし、ピッチャーを見据える。

――――いいシュートだった。けど、2度の三振は、ありえねえぞ。

初球からくるだろうとヒデは予想した。
初球が予想通りなら、迷わず振る。

――――ラスト・ゲームなんだ。

トーキチはそういった。ラスト・ゲームだと。
梅の木ファイターズでの試合がこれで最後なのだ。
このメンバーでやる最後のゲーム。
そして名実ともに、トーキチの引退試合。



「トーキチ、本当に、終りにすんのかよ」

ヒデの言葉にトーキチは頷く。
つい、2、3日前のことだった。
「最初から、そういう約束だったしね」
「ソフトでも、いいじゃん」
「ヒデ、あんたに今、同じことを云ったらどうするよ『ソフトでもいいじゃん』って」
ヒデは黙る。
「しかたないよ。野球できたとしても、ヒデとはもうバッテリー組めないし」
「……」
トーキチの家は引越しが決っている。
梅の木公団から、引っ越していく。中学校もバラバラになる。
「あたしが、男だったらなあ。ヒデはいいよね、あんた今成長期にはいったんじゃない?」
「オレ?」
「去年の春と身長違うの知ってた? あたし、あんたに身長抜かされてんの気付いてびっくりしたよ。」
「……それは、最近抜かしたかなーとかは思ってた」
「ほんと、あたしが男だったらなあ。そしたら引っ越しても、中学は別々でも、いつか高校でヒデとあって、バッテリー組めたかもね。ヒデはきっとこれからガンガン身長も伸びて、佳兄や雅兄みたいに、大きくなってくんだよね多分」
そうなったらこうしてまた、キャッチボールできたかもねと、トーキチは笑った。
「きっと、あたしは、ここまでなんだ」
「……」
「でも、だから、次の日曜の試合は、勝つよ、ヒデ!」
グラブに届くボールの威力は、全然変わらない。
速くてコントロールがいいと思ってる、このトーキチのピッチングが、いつか、ヒデにはそーでもない、シロモノに変わっていくのだ。
トーキチは気がついてる。
だけどヒデにとってトーキチはいつだって、憧れのピッチャーだった。
同じ年、幼馴染のオンナノコなのに、純粋に、トーキチのピッチングには憧れていた。



マウンドのピッチャーが左足を上げる。腕を振り上げて、初球投げた。

――――負けらんねえだろ!

カキーンと音が響き渡る。
白いボールは、梅の木グラウンドのフェンスを高々と抜けていく。
梅の木ファイターズのメンバーも相手チームも、その打球の行く先を視線で追う。
審判が腕を上げて回す。

「ホームラン!」

ベンチにいるメンバーは飛びあがる。
「やったあ!」
「ヒデ!」
「すげえ、ホームランだ!」
「マジかよ、あいつバケモンだな」
小さい頃からヒデは有言実行タイプだ。
「いやーやるだろ、ヒデなら。打席入る前に云いきっちゃうところが! もう、オレは期待大だったよ」
横田がベースを踏んで、ベンチに並ぶみんなに、ハイタッチをしていく。
それに続いて、ガッツポーズをしてダイヤモンドを回ってきたヒデが、両手を上げてハイタッチをする。
トーキチの手をパンっと合わせた瞬間、ヒデはギュっとトーキチの指と自分の指を組む。
その仕草にトーキチはドキリとした。
「ヒデ」
トーキチだけじゃなく、それを見ていた、メンバーもびっくりする。
ヒデは無意識に、そういう仕草を時々することがある。
男同士ならあまりそういうことも気にならないけれど、相手はオンナノコだ。
こういうことをするから、学校でも冷やかされることがたまにあるのだが、ヒデ本人は本当に無意識だから「へ? なんのことだ?」って一蹴して、からかったやつらが、逆に照れくさくなってしまうことがある。
だけど、ヒデは多分トーキチのことが好きだろう。
ヒデ自身から、恋愛じみた意味で、トーキチのことを好きとかは訊いたことがない。
いつだって、そういう話になると「ありえねえ、なんだそりゃ」ってはぐらかしてお終いだ。
幼馴染でバッテリーだから、一緒に野球やるから、だから、こういう仕草とか自然にでちゃうものなんだろうと、周囲は思っていたけど、やはりそれだけじゃなさそうだ。
ヒデは多分、トーキチのことを、やはり特別に思っているんだろう。
「逆転だ。いったろ、オレ等はこの試合、ぜってー勝つ」
トーキチも指をヒデの指にゆっくり組み合わせて頷く。
「だから、トーキチ、お前、最後まで投げろ」

――――納得するまで、満足するまで。

「あー、もー、ヒデのヤツにいーとこもってかれてんじゃん! 声だしていこうぜ!」
岡野は声を出す。
バッターボックスに入ってる5番の押井に声援を送る。
「オッシー続けよ!」
しかし、5番の押井、6番の吉岡は、共に外野フライでアウト。
前打席であのシュートを打った7番の相原は三球三振に打ち取られてしまう。
4回表、ヒデのツーランホームランで逆転の状態でチェンジだ。
スコアボードに2の文字が白く浮き上がって見える。

――――ヒデがくれた。2点。守ってみせる。

トーキチはグラウンドへと走り出した。