Extra ラスト・ゲーム 3回裏




ドロだらけのユニホーム。顔にも砂埃が汗と一緒になって貼りついている。
「やっぱ、うがいだけする」
水筒の麦茶で口を濯いで、グラウンド脇の水場で口の中の麦茶を吐き出した。
口の中の砂が、やはり僅かなドロになっていたようだ。
「藤吉」
監督に声をかけられて、トーキチは一瞬動きを止める。
監督が何を言い出すのかわかっていたからだ。

――――ピッチャー交替。

3回の表、走り回って最終的にホームまで走ったトーキチ。
疲れが出て、この次の3回の裏、抑えられるか心配なのは、監督だけじゃないレギュラーメンバーもそんな顔をしている。
トーキチは、監督を無言で3秒は睨み上げた。ここで、その言葉を云うなと、無言の威嚇。
監督に対して、こんな態度をとるのは、トーキチだけだ。
「抑えますよ、絶対に」
「……」
だから交替するなと、言葉を飲み込む。

――――ラストゲームなんだ。

トーキチは額の汗を掌で拭う。

――――透子はおおきくなったら、何になりたい?

父親の言葉に、トーキチは答える。

――――ぷろやきゅうせんしゅ。

まだ5才のトーキチがそう答え、それから7年経過した。
それはけして叶わない夢だと、諭されるように説明されたのは3年ぐらい前だ。
なんとなくその頃は、プロ野球選手に女性はいないと、トーキチ自身も気がついていたことだ。
だけど、それをはっきりと自分以外の人間から聞かされた。
改めて声に出して説明されるということは、それはできないことだと、ムリだと、言い含められてしまった。

――――大きくなったら、野球はできない。中学だって高校だって野球部に女子選手はいない。

野球の変わりならば、自然とフトボールに転向しようという気持ちがあってもいいはずなのに、トーキチの中にはなかった。
似てるモノに手を出すと、なんだか、誤魔化されて擦りかえられてしまう気がする。
ソフトボールはできるだろうし好きになるだろう。野球と似ている。
でも、そしたら、この気持ちは野球を好きだという気持ちはソフトボールへ切り換ってしまいそうでいやだった。
ソフトには関わらない方がいい。この気持ちを大事にしたいから。
大事にしたい。

――――ラストゲームなんだ。

「監督、代わりませんよ」
キッパリとトーキチが云いきる。

――――代わらない。夢を諦めてしまうんだから、それぐらい、やらせてよ。

監督は溜息をついて、帽子の鍔を下に引っ張った。

「わかった。行ってこい!」
「はい!」
グラブを持って、トーキチはヒデの肩を軽く叩く。
「さっさと抑えて、次はヒデに活躍してもらわなくっちゃ」
そう云われて、ヒデは嬉しそうな声をあげる。
「よっしゃ、しまっていこーぜ!!」
ヒデはそう叫びながら、キャッチャーボックスに入っていく。
マウンドに向ってトーキチが走ってくるのと、その声が同時だった。
レギュラー達はその様子を見て声を揃えた。
「おう!!」
トーキチとヒデのバッテリーでこのままこの回3回の裏。
メンバーはやる気を出して、グラブに手を収めたり、声をだしたりする。

――――梅の木ファイターズは、こうでなくちゃ。

ヒデとトーキチのバッテリーが、しっくりくる。
最初トーキチがピッチャーになった時は、練習試合の度、ちょっと恥ずかしかった。
オンナノコがピッチャーなんて、そんなに野球できないやつらなのかって相手に思われそうで。
でも、ヒデはいったのものだ。

――――いいじゃん相手油断しまくりだぜ、ガンガン点入れてバッチリ守れば良いんだよ。

トーキチだって言葉じゃなくて、態度で、結果で、みんなにしめしてきた。
マウンドに立つからには、こうじゃないと、ダメだろって。

相手チームはバッターボックスに入る。
初球をカキンと打ち上げた。ファーストの岡野が打ち上げたフライをとって、アウト。
「ナイピッチ、トーキチ」
岡野からボールを受け取るトーキチの表情が心なしか硬かった。

――――なんだよ、今の、狙ったんじゃねーんだ。ヒヤリとしたか?

「打たせてけよ、トーキチ」
今みたいに、とってやる。みんな同じ気持ちだった。
つかれてるかもしれねーなと、岡野は今野と顔を見合わせてる。
さっきの回の進塁が、トーキチに負担かけたかなと思っていたら。
この次のバッターは1番からだ。

「ストライク!」

綺麗なカーブで相手からストライクを取る。
このストライクは、まるで、心配するなというように。
その強気、そうそう他にいるもんじゃない。
みんなも、トーキチが、上級生相手に大喧嘩を平気でやるキャラなのは知っている。
ニ球目。相手はセンター方向へ打ち上げるが、フライで終った。
三球で2人、きっている。
相手の2番バッターがはいってきた。
トーキチは、深呼吸する。

――――オンナノコは、プロ野球選手には、なれないんだよ。

TVを見ても、女性の選手はいないだろうと、諭される。

――――アメリカでもそう。

「女の子なんだから、野球やらなくてもいいじゃないの」
うちの子にポジションを譲れと三倉の母親に言われた時はカチンときた。
三倉自身は申し訳なさそうな表情をしていたので、何も云い返すことはしなかった。
「だって、トーキチのほうーが、実力あるぜ、三倉がエースになりたいなら、実力でもぎ取ればいい話だろ、別にオレ等や監督はオンナノコだからって、トーキチを贔屓にしてねーもん」
ヒデはズバっと無邪気に言ってのける。
「あたしの子は実力がないっていうの!?」
ヒステリックに叫ばれて、ヒデはキョトンとする。
「そんなの知らないよ、上手いヤツ、出来るヤツがレギュラーになるのは当然だろ、みんな練習してるし。オレ等、遊んでるわけじゃねーよ、子供だってマジでやってんの」
三倉自身が母親を諌めて、その場は納まった。
それでも、時々、トーキチはチクリと嫌味を云われている。
そのたびに相手バッターを三振にうちとってきた。

「ストライク!」

キレの云い自慢のカーブ。打てるものなら、打ってみろそんな勢いのあるピッチング。

「ツーストライク!」

――――三倉でもヒデでも、自信があるなら、奪い取れこのマウンド。だけど。

トーキチは振りかぶる。

――――このゲームだけは誰にも譲らない。

「ストライク! スリーアウト、チェンジ!」

この回、信じられないことにトーキチは6球で交替している。
試合は中盤だ。3回裏は0の文字。追加点なし。
そして4回表の攻撃は3番から。トーキチだけじゃない。2回表に悔しい思いをヒデが、さっさとベンチに戻って、バットを選び始めていた。