Extra ラスト・ゲーム 3回表




トーキチはバッドを持って、スコアボードに視線を向ける。
2回裏、1点の文字が、やけに際立つ。
「トーキチ」
「……」
みんなの顔を見てから、バッターボックスへ向う。
「なあ、トーキチ、さっきの回やったら、投げてなかった?」
岡野がヒデに向って云う。
「疲れてねーかってことだろ?」
この打席が、トーキチからじゃなければ、どんなにいいかとスリーアウト獲った時点でヒデも思った。
「うん。代打にしておけば、まだましだったんじゃね?」
だけど、ここで代打出せば、相手チームに下手に勘ぐられるだろうし、何よりも……今バッターボックスに立っている本人が首を縦に振らない。

――――すっげえプライド高いしなあ。

ピッチャーだけど、打席もちゃんと自分の仕事をしたい。それがトーキチ。
このチームに入ってからヒデは野球に対するトーキチの気持ちが、ハンパじゃないものだとわかった。
いつもトーキチと2人でエレベーターホールでするキャッチボールの時に感じたことは、トーキチはただ野球の楽しさが好きなんだと思っていた。ヒデ自身がそうだから。
でも違った。

――――ヒデはいいね、大人になっても野球ができる
――――トーキチもやれよ。
――――メジャーリーグに、女性選手がいるか?

ヒデはギョッとした。
プロ野球選手じゃなく一挙にメジャーリーグと言う言葉がでてきたからだ。
メジャーリーグ。
それがトーキチの夢がなんだと、その時に思った。
漠然と、ただ楽しいからだけじゃなかったのだ。

トーキチのけしてけして、叶わない夢。

バッターボックスの中にいるのは、一際華奢なエース。
ただ、応援の声をかけることしかできない。

――――オレが、さっきの打席で打っていたらトーキチの負担はもっと軽かった。

ヒデがそう思った瞬間、相手ピッチャーが初球ストライクを決めた。
トーキチはバットを下に2、3回振ってから構える。

――――ストレートがくる。

初球、トーキチの球速と自分の球速を比較してみろとばかりのストレートの速球が投げられた。
トーキチはバントの構えに変えて、セーフティを成功させる。
岡野につぐ、俊足でベースを踏んだ。
「な、ナイスバント!」
「はええ、トーキチ」
「島田続け!」
「おう!」
島田はバッターボックスに入る。
あっという間に、ツーストライクまで追い込まれた。
三球目でピッチャー前ゴロ。
島田はアウトだけど、トーキチは上手く二塁に進んだ。
1アウトニ塁。
岡野がバッターボックスに入る。

――――ここでオレも出ておかないと。

ボール2の状態で、岡野はバントをする。
ファーストへ飛ばしたが、ピッチャーが処理してアウト。
その間、トーキチは三塁に進んでいた。
2アウト三塁。
相手ピッチャーがランナーのトーキチを意識する。

――――ランナー。チョロチョロして……

トーキチを見て思う。
さっさとさして、ランナーをアウトにしたかったのに、バッターは上位打線に戻ってきて、抑えていかないといけなくなってきてる。
オンナノコだから、ランナーに出しても軽く刺せると思った。
前の回、さんざん投げていたし、疲れているはずだと踏んだのに。

――――うざい。

そんなこんなで三塁まで進ませてしまった。
その様子を察しているのかいないのか、ランナーのトーキチは三塁ベースを踏みつけている。
しかも、表情にでてこない。

――――顔はかわいいんだけど、性格悪いってゆーかキツイってゆーか強いってゆーか。

牽制球を投げてもセーフだった。

――――まあ、2年も梅の木のエース張ってるだけはあるよな、一筋縄じゃいかねーか。

「いいか、今野! ゼッテートーキチを返せよ!」
「おう!」
「トーキチ、すげえな、走りまくってる」
監督はスクイズにはしない気だ。
さっきの1回表の今野の当たりを見ている。飛距離はあった。
野手がエラーすればクロスプレイは避けられる上に、余裕をもって、トーキチをホームに返すことができるのだ。
トーキチは最後まで投げたがるから、怪我なんかさせたくない。
初球はシュート。
「ストライク!」

―――くう、シュートいいじゃねえの、内側に食い込む。打てない……。

今野はバッターボックス内の土をならす。
そしてサードにいるトーキチを見る。

――――……打てよって、怒ってる? 怒ってる? トーキチ……。

点取られて悔しいのピッチャーのトーキチなんだと、今野は改めて思う。
ヒデも三振して悔しがった。ヒデの感情表現はすごくわかりやすい。
三振してベンチに戻ってきた時もすぐにわかった。
けど、トーキチは点を取られた直後に、すぐにバッターボックスに入っていた。
元々の性格にもよるけれど、わかりにくい。

――――実は、ずっと、怒ってた?

今野はピッチャーに視線を戻す。
先攻にも関わらず、点は取れない。
おまけに先取点を取られて、多分トーキチの考えている配球以上に序盤に投げさせられて、そして、今、自らがランナー。
スコアリングポジションに立っている。
ピッチャーが投げた。
またシュートだ。

――――ここで打たねーと、オレらもプライドあるだろ!

「ツーストライク!」
「うぐ」
スイングの後に、今野は歯を食いしばって息が漏れる。

――――あー、くそ、思い出せ。ヒデが云ってた。なんだっけ。

深呼吸してピッチャーを見る。

――――内側に食い込むボールは……あーもう、なるようになれ!!

ピッチャーはシュートを投げてくる。身体をバッターボックス内でずらして、内側に入る変化球を少しでもバットのポイントにあてるように、スイング。
カキン!
ボールがあがる。もう、なりふりかまず、今野はバットを置いて走る。内野はピッチャーをはじめ、前進。トーキチもホームベースへ走る。
ピッチャーがキャッチしたボールはキャッチャーへ、ランナーのトーキチは頭からザザアっとスライディングする。土煙が上がる。
「アウッ! スリーアウト!!」
ベンチが溜息半分と既に防具を見につけおえたヒデがベースの方を見る。
ファーストへ走っていた今野は、ベースに横たわるトーキチに走りよる。トーキチは立ちあがって、不良少年のように口に入った土を唾液と一緒にペッと吐き出す。
「次、おさえないとな」
後ろ姿のままトーキチは呟いた。
「な」
「お、おう」
トーキチの迫力に、今野は何度も首を縦に振るのが精一杯だった。