Extra ラスト・ゲーム 2回表




現在0対0で2回表。
ヒデはプロテクターを外し、スコアボードに視線を送り、相手ベンチを見る。
ふいに足のレガースが軽くなったなと思うと、トーキチがレガースをはずしてくれていた。
「あ、ワリい」
「だって、次、ヒデからじゃん」
梅の木ファイターズの攻撃は4番バッターから。ヒデの打席。
「ヒデ、行け!」
「打ってこい!」
防具を外し終わったヒデがバットを持った。

――――トーキチは最後まで投げるだろうから、ここで点を入れておかねーとな。

「任せとけ!!」
メットを被り、バットを持って、バッターボックスへと走っていく。

――――4番のオレが点入れねーと、野球じゃねーだろ。

ベンチにいる梅の木ファイターズのみんな声がする。
「ヒデ! 頑張れ!」
そのヒデの後姿に、トーキチは声をかけた。
ヒデのバッティングセンスは、チーム内でも一目置いている。
ヒデは4年生から入団し、1年で上位打線にヒデは入り込んできた。

――――才能とか、みんな云うけどヒデは努力してる。

トーキチは知っている。
夕方、エレベターホールで1人で素振りをしているところを、見たことがある。
入団したての時だ。母親と一緒に買い物から帰ってきた時、ヒデが1人でエレベーターホールで素振りの練習をしていた。
その時は、ああ、リトルに入って、嬉しかったんだなとトーキチは思っていたが、違った。
その前から、ヒデは素振りをしていたのだ。
入団して嬉しくて、素振りの練習をしていたわけじゃない。
リトルに入りたくて、でも、経済的な事情で入団ができなくて、これは後々知ることになるけれど。ヒデの双子の兄達がバイト代で、リトルへの入団を援助してくれたらしい。
そのためにも結果を出していこうと、彼なりに思うところもあったのだろう。
トーキチと一緒に野球をやりたいとヒデは云うけれど。

――――あたしがいなくても、ヒデは野球をやったと思う。好きじゃないと、できないことだ。

そして今じゃ、推しも推されぬ、梅の木ファイターズの4番。
ヒデのバッティングフォーム。打球をインパクトした後、思いっきり振りきる様は、カッコイイ。

――――頑張れ、ヒデ。

ピッチャーの初球はストレート。見送りでストライクを一つ獲られた。
2球目はシュートが入ってくる。これもスイングしてツーストライク。

――――良く見て、ヒデ、緩急つけてくる、この次は、絶対に……。

トーキチの予測通り速球ストレートだったが、ヒデはこれを見逃して三振した。
4番の三振。
相手チームのバッテリーはしてやったりだ。
マウンドのピッチャーが、良く抑えたと自画自賛な笑顔。対照的にベンチに戻るヒデは、歯軋りの音まで聞こえてきそうな表情をしていた。
「ドンマイ、ヒデ」
「まだ序盤だ、焦るな」
監督やチームメイトが声をかける。
トーキチと眼が合う。メットを外して呟いた。

「してやられた。ごめん」
トーキチの隣りに座り、早速防具を身につけはじめる。
その仕草からも、言葉にする口調からも、ヒデの悔しさがにじみ出ている。
最初。ヒデがキャッチャーのポジションに抜擢された時、それはいつもキャッチボールしているトーキチにとっては嬉しいことだったが、感情を隠さずストレート表情に出すヒデのキャラクターは、相手の打席を研究していくキャッチャーのポジション的にはどうなんだろうなと思った。
がヒデは「そんなん、マウンドに立つピッチャーの態度の方が注目されんだろ」とトーキチに言ったものだ。「マスクすりゃそんなの、わからねーよ」と。
ドカっと、トーキチの横に腰を降ろしたヒデは、憮然としながら呟く。
「楽に投げさせてやりたかったんだ。トーキチを……オレが点入れれば、お前、安心して投げられるだろ?」
確かに、ヒデが打つのと、打たないのとじゃ、チーム全体の士気にも関わる。
だけど、ヒデ自身がこのネガティブな感情をゲーム内で引きずるのはもっとよくない。
岡野とヒデが、現在梅の木ファイターズのムードメーカーなのだ。
その2人が序盤だけどまだ出塁していない。
「まだ、序盤だって、監督も云ってたじゃん。気にすんな」
「次は打つ」
表情を隠すように、ヒデはマスクを被った。
隣りに座ってるトーキチにも、このヒデの悔しさは伝わる。
トーキチの、梅の木ファイターズのエースというプライド同様、ヒデも梅の木ファイターズ4番のプライドがあるのだから。
「うん、ヒデならできるって、あたしわかってる」
トーキチの笑顔を見て、ヒデはそれまで硬い表情をしていたが、頬が蒸気したのか、赤みがさす。
普段、ゲーム中のトーキチは表情が硬く、こんなオンナノコみたいな笑顔はめったに見せない。
だから不意をつかれたのだと、ヒデは思う。

――――本当に、今日のトーキチはいつもと違うよな……。

「あのピッチャー、すっげ、シュート投げるぜ」
「……」
「内角弱いヤツラはアレ投げられたらダメだろ」
「大丈夫……勝つのは、うちらだ」
トーキチの眼がマスク越しのヒデの眼と合う。
「トーキチ」
「次は、あのキャッチャーが打席に立つ、あたしと、ヒデで、打ちとってやろう」
「……おう!!」



相手バッタリーはヒデを抑えたことに気が抜けたのか、5番の中井を、初球ストライクを取るものの、ファーボールで一塁へ進めた。
「っしゃあ、中井! でかした!!」
「よく見た!」
岡野が立ちあがる。
「いけ、吉岡!! 次に出ろ!」
ネクストサークルにいたのは、一学年下の吉岡。
梅の木ファイターズの時期ピッチャー候補だ。
吉岡が打席に入り、次の相原がネクストサークルに向おうとするところを、ヒデが呼びとめる。
相原はトーキチとヒデの前にくる。
この相原も、一学年下だ。
「なんすか、先輩」
「相手ピッチャーの決めダマはシュートだ」
「……」
「お前、内角打ち、得意だろ」
「はい」
「絞ってみて」
「わかりました」
メットを被って、「やってみせます」と呟いて、ネクストサークルに入っていく。
「打てよ、吉岡!」
ピッチャーとして、今後の参考までに探りを入れようと思惑があるのか、バッターボックス内の吉岡は立ち位置を決めかねているようでもある。
しかし、それを見逃さないキャッチャーが、上手くシュートとストレートを使って、吉岡を三球三振にうちとった。
これでツーアウト。
一塁にいる中井はリードを繰り返すが、牽制は考えていないらしい。
このバッターを切るのが優先事項のようだった。
岡野は中井にリードの声をかけつづけている。
相原は足場を確認して、構える。

――――ヒデさんがああ云うなら、初球シュートきたら迷わず打っちゃうぜ。

ピッチャーが投げた。
食い込むようなシュート。

――――キタ。狙い通りだ。

カキンとバッドにあたる。
ボールはセンターに。
打ちあがって飛距離はあるものの、センターががっちりキャッチした。

「スリーアウトチェンジ!」

ベンチにいるトーキチとヒデは立ちあがる。
「切り替えて、行くぞ!」
トーキチが声を上げると、メンバーが「おう!」と一斉に返した。