Extra ラスト・ゲーム 1回裏




「ストライック!」
サインはストレートだった。
スパアンとミットにおさまり音が響く。
野手用のミットとは違う厚めのものだ。
マウンドのトーキチは、ますます、表情がないものの、この初球のストレート。キャッチしたヒデにはわかる。

―――――気合、入ってるじゃねーか。

自分や岡野の心配を他所に、マウンドに立つトーキチは紛れもなく梅の木ファイターズのエースピッチャーだ。
投げたボールがこんなにも自己主張している。
「ナイス! トーキチ!」
投げ返したヒデもボールを受け取ると、僅かに笑う。
倣岸不遜。
周囲の大人がというか、控えピッチャーの三倉の母親がトーキチを評した四字熟語だ。
絶対に、エースの座を明け渡さないその頑固なところが、可愛げがないといいたかったのだろうが、実力は、トーキチの方が上だ。
誰に何を言われてもマウンドを降りない。
敗戦の責任を罵られても、絶対にだ。
「力がなくて、悪かったごめん」
負けた時はいつもそう云ってだけど必ずこうも云う。
「次は必ず、勝つから、マウンドから降ろさないで」
マウンドは、誰にも譲らない。文句があるなら、実力で来いと、語らずとも眼が訴えている。
トーキチで抑えられないならば、他の誰がマウンドに登ってもムリなのは、監督やチームメイト達はわかってる。
そんなトーキチに傲岸不遜と言う言葉をかければ、それはいつしか、逆に、仲間達はその言葉に頼もしさを感じさせるものになっていた。
ヒデはバッターボックスにいる打者を見上げて、サインを出す。

―――――次はこれで。

マウンドのトーキチは首を縦に振った。



トーキチが、梅の木ファイターズのエースになった時、ヒデは素直に「すげえ」と思った。
トーキチの気の強さは、物心ついた頃から知っていた。弟の朝晴が生まれるまでは、ヒデの方が末っ子で甘えん坊だったこともあって、自分にはないその向こう気の強さに、圧倒されることも多々あった。
学校で上級生にグラブを取り上げられた時も、トーキチは相手を怒鳴りつけ、ヒデに返せと訴えた。そこから殴り合いの喧嘩に発展しても、トーキチはリーダー格のヤツとケリをつけるまで取っ組み合う。例え、自分の方がガタイが小さくてもだ。
殴られた顔を腫らして、母親に呆れられても、自分の気持ちは曲げない。
「そっちが、グラブを取り上げた、あたしがヒデちゃんに貸したグラブよ、それもいきなり!」
年上のオレからグラブを取り上げたやつは、親にも連絡がいってバツが悪そうな顔をしていた。
その時はさすがに、トーキチは文句言わなかった。
自分だって、相手に殴りかかったのだから、一方的に謝れるのは違うと呟いた。
「そこは、あたしも悪いと思う、だけど、ヒデちゃんから取り上げたのは、許せなかった」

――――――だってあたしとヒデちゃんは、キャッチボールしたかったんだもの。

まだ、ヒデが梅の木ファイターズに入団する前のことだった。
ヒデがどんなに入団したかったか、多分トーキチはわかっていた。だから、雨の日や練習後も、トーキチはヒデとキャッチボールしてきた。
だから、まだ入団前のヒデは、梅の木グラウンドでやる試合には、見学に行った。
その頃はまだ上級生のピッチャーが何人かいて、トーキチがマウンドに登ることは無かったけれどでも、文句を言わずに与えられたポジションには一生懸命プレイした。

「透子ちゃんは、カッコいいよな」
「何云ってんの、ヒデちゃん」
「ユニホームが」
「そこかい!」
「梅の木ファイターズに入りてえ」
「ヒデちゃんはさー」
「うん」
「ポジションではどこが好き?」
「ピッチャー! 断然ピッチャー!!」
「ピッチャーかあ。なら、あたし、頑張ってピッチャー目指そうかな」
「え、ピッチャーって難しいの?」
「みんなピッチャーやりたいもんね」
「そーなんだ。じゃあ、オレがもし、梅の木ファイターズに入れても、すぐにはピッチャーにはなれないってことじゃん」
「そうだよーん。ヒデちゃんが、梅の木ファイターズに入れる日までには、ピッチャーになれるように、あたしは頑張ろう」
「えー」
「だからヒデちゃんは、キャッチャーね」
キャッチボールをしていた彼女が笑う。

――――だから、ヒデちゃんは、キャッチャーね。

そうすれば、ずっとこうやって、キャッチボールをしていけるんだよと、彼女が云わない言葉も、ヒデには伝わった。



「ツーストライク!」

2球目もストレートだった。
砂川町アローズの先頭バッター。初球をまずはストレートで。
トーキチは変化球が好きだ。でも、ヒデは必ず初球をストレートにもってくる。

―――――もう。今日はいつも通りじゃねーゾ、トーキチ、相手の裏を掻いてやる。

マスク越しにヒデは相手バッターを見上げる。
ここでいつもならトーキチ得意のカーブを放らせるところだが、またストレートだ。
トーキチはその指示通りに投げる。

「ストライク! バッターアウッ!」

先頭打者を三球三振に打ち取った。

「ナイスピッチ! トーキチ!」
「良いぞ! でも打たせてけ!!」
ヒデからボールが戻ると、野手に手を上げて、やる気をアピールする。
2番バッターも、初球ストレートで、ストライクを貰う。
そして2球目、トーキチの遅いストレートをサードに転がしたけれど、これをサードが上手く処理して一塁を刺した。

「あと一つだ!」

ヒデが声をあげると、バッチコーイの声がグラウンドに広がる。
相手チームが「打てよー」とバッターに声をかける。
2度3度、バットと下に振ってから、3番打者はバッターボックスに入った。

――――最後の試合でピッチャーが女子かよ。

「宮村、打てー」

――――当たり前だ!

だが、初球のボールは思いっきり弧を描く。タイミングを計ってブンと大きくスイングしても届きそうもない。
案の定ボールはヒデのミットに収まった。
「ストライク!」

――――何、このカーブ! すげえ曲がる!!

ボールを返されたトーキチが不敵に笑う。

――――ああ、これで、コイツはここのエースを張ってきたわけだ。
    でも、絶対、次はストレート来る、キャッチャーはここで三振にしたいだろう。

宮村の予測通り、内角のストレートだった。
スイングするとカキンと音をたててボールは放物線を描く。
一塁側のラインを外れて、そのままファールになるなと、打者の宮村は思った。
が、そのラインを外れて、ちょっと下がってボールの落下をファーストの岡野が待っていたのだ。

「アウッ! スリーアウト! チェンジ!!」

「ナイス岡野!」
「ナイスファースト!」
野手が口々に岡野に声をかける。
硬い表情を一変させた梅の木ファイターズの笑顔のエースピッチャーを見て、岡野は照れくさそうに笑う。
「トーキチが、ナイスピッチだからよ、オレもがんばらねーとな!」
パンと互いのグラブ叩き合って、ベンチへと走り出した。