リトルリーグ・リトルガール 7




梅の木小学校の卒業式では、卒業生は進学する中学校の制服を着用の慣例がある。
教室に入ると、男子はほとんど梅の木中のマークが入ったボタンのガクラン。
女子はボレロとジャンパースカート。
私立に行く奴がブレザーだったり……。

「えー! 透子カワイイ!!」

そう。
転校する奴はここの学区外の制服だったりする。
この教室で、制服が違うのは、トーキチと他2人ぐらいで、女子はトーキチだけだから、注目は度はあがる。

「いいなあ! ブレザー!」

深いグリーンのジャケットは胸ポケットは金糸の刺繍で、青葉一中の校章マーク。
同色の下地深いグレーと白のチェックの入ったプリーツスカート。
シャツの襟元のリボンもグリーン。
ボレロとジャンパースカートの梅の木中の制服は、やはり野暮ったく見える。(まったく余談だが、この梅の木中の制服は翌年改正されて、保護者の財布を泣かす事になるけれど、ここではまだそんなことになるとは誰も予想していない)
そうなんだ。
トーキチと一緒に登校(卒業式だから保護者同伴。トーキチとオレの母親同士が仲良しな為)した時は何も感じなかった。
この教室に入ってから、女子の制服の中で唯一違うトーキチの制服が目立った。

「いいなあ青葉一中」
「ブレザーなんだあ」

女子は本当に見てくれで騒ぐよな。
トーキチはその制服を着ている生徒が通う中学校に進学するんだ。
仲の良い数少ない女友達とも離れて、一人なんだぜ?
そんなトーキチの内心を理解しているのかよ?
全っ然、考えてねえだろ? 見た目カワイイ制服がいいだけなんだろ?
女ってホントマジそいうところは、全然わかってねえな!

「なあなあ、ヒデ」
同じクラスの男子数人がオレの肩を抱き寄せた。
「んだよ」
「トーキチ、可愛くね?」
「あのブレザーいいよなあ」

前言撤回。
女子だけじゃねえ、男子も脳味噌、何かわいてんじゃね?
オレはムスっとしたまま何も云わなかった。
イベント独特の高揚感が、まともな思考を停止させてるんだきっと。

卒業式に出席するのは、卒業生、とその保護者、教職員、PTA来賓。進学先の中学校の校長(もしくは代理の教頭)と、在校生の五年生。
祝いの言葉やら、来賓の挨拶やら、答辞や送辞。卒業証書授与やら、女子の鼻水交じりの仰げば尊しや蛍の光。
もう、それらが永遠に続くのかと思った。
ようやく終ったと思ったら、残っていたのはクラス単位の記念撮影。
それを最後に、ようやく解放された。
「ちょっとヒデ」
トーキチが記念撮影を終えた時にオレを手招きする。
「なんだ?」
「ごめん」
「へ?」
制服のジャケットからトーキチの奴は糸きりバサミを取り出して、オレのガクランの第二ボタンをそれでブチっと外した。
「何しやがる!」
「コレをあげる」
そう云って、トーキチは小さなビニール袋を取り出してオレに握らせる。
半透明のビニール袋には金色のボタン……ガクランのボタンが数個ザラザラと鳴っている。
「何だコレ」
「あーうん、ヒデ、鈍いからわかんないと思うけど……」
なんだよ、なんだよ?
「多分、女子から強請られると思うから」
「へ?」
「ボタン」
「何もオレの制服のボタン外すことないだろ?」
「いや、もっとすごいことになる多分」
「へ?」
「教室戻ったら、あんた袖のボタンまではがさるよ」
オレはギョッとした。
「和晴兄と佳晴兄と雅晴兄の制服からちょっとずつもらっておいた。佳晴兄と雅晴兄の伝説もあるしね」
「なんじゃそれは」
佳晴兄と雅晴兄はオレの兄弟の長兄と次兄で双子だ。
「ウチの小学校の卒業生で、新品の制服が校門を出たときにはズタボロにされた双子だもん」
ボタンを引き千切られたってことか? ああそういえばそんなことがあったような。
でも中学高校でも、そうだったしな。あの2人。
「入学前に制服そんなんされたら、おばちゃんが可哀相だから、強請られたらコレ配って上手くやりすごせ」
「第二ボタン外す意味は?」
「リアリティを出す演出だ。下級生にやられたとか云っとけ、これ見てびっくりして、制服ボロボロなんのいやだし。コレやるからって勘弁してくれっていえば、なんとかなる……と思う」
「と思うってなんだよ」
「あんたがどんだけモテるかわかんないんだっつーの。用意したボタンが全部なくなって、ならやっぱ身につけてるそれが欲しいとか云われるかどうかは賭けなんだよ。コレがあたしの余計なおせっかいならそれにこしたことないっしょ?」
まあ、よくわかんねーけど、こいつなりになんかフォローしてくれようとしてんだな。
「用意周到だなと思われるのもやだな〜」
「冷やかされたら、和晴兄貴に持たされたと云っておけ」
あーまー和兄なら、そういう如才ないところはあるって、みんな知ってるし、納得するか。
「上手くやれよ」
トーキチはそういって、素早くオレの横をすりぬけて、教室に戻って行った。
教室に入ると、トーキチが云うように、女子にボタンを強請られた。
すでにボタンがなくなってる男子も何人かいるし。
へんなイベントだよな、オレは強請ってくる女子にポケットからボタンを取り出して、渡してやり過ごす。
先生と別れの挨拶をして、小学校の正門を出る頃には、トーキチが用意したボタンはぜんぶ捌けていた。



翌日、オレは電話を受けてクラスの男子と遊びに行く約束をした。
家のドア開けた時、いつものように自然とトーキチの家のドアに視線を走らせる。
静かなものだった。
いつもと変わらない。
もし昨日が卒業式じゃなくて、いつものよう今日が登校日なら、オレがドアを開けたら、トーキチがこの外廊下の端から、ランドセルを鳴らして走ってくる……はずなのだ。
変わらないから、オレはそのまま自分の家のドアを閉めて、友達の家に遊びに行ってしまった。
珍しくゲーム三昧を堪能して家に戻る頃には、日が傾きはじめていた。
区内中に流れる夕焼チャイム、(子供は帰宅すると知らせる放送)を背中に、公団の敷地内に戻ると、ドキリとした。
引越し業者のトラックが入ってる。
まさかと思った。3月末って云ったじゃないか。
オレは足を速めた。
自分のエレベーターから降りると、ドアの前に、トーキチのお母さんがオレの母ちゃんと話している。
「帰って来たわ」
「ヒデ君、透子がお世話になったわね」
「トー(キチじゃねえよな。あぶねえ)……透子ちゃんは?」
「もう、一足先にさっきのトラックで引越し先に行ったのよ」

……。
なんだよ、それ……。
オレに一言もなしかよ。

「透子からヒデ君にって、使い古しで悪いけれど、自分はもう使わないからって」

おばさんは、オレに紙袋を渡してくれた。
紙袋から金属バットが覗いている。もうわかってる、野球道具一式だ。
オレはそれを受け取る。

「あらあら、すみません、有難うございます。透子ちゃんにお礼言っておいてください」
「いやーもうー、ウチの透子もなんだか不要品を渡したみたいな形で、みっともないって窘めたんですよぉ。でも、ヒデ君の家は男の子たくさんいるから、もう一式持っててもいいでしょって、悪びれなくて」
「いえ、ほんとに助かりますよ。ありがたいわぁ」
母ちゃん達の会話に、引越し業者の声が割って入る。
「じゃ、奥さん、搬出完了したんで行きましょう」
「はい。ありがとうございます―――――……。じゃあ、本当にありがとうございました」
「こちらこそ、お元気で」
おばさんはオレにも会釈して、業者の人とエレベーターに乗り込んでしまった。
オレは外廊下の一番端に視線を向ける。
出かける時と変わらずに、静かだった。
オレは袋を持ったまま、トーキチの家の前に立つ。
ドアチャイムを鳴らしても音源はオフになっている。
玄関横のドアはキッチンの窓。
オバさんが気に入ってた可愛いカフェカーテンも外されて、曇りガラスの向こうは真っ暗。

もう……ここには誰も棲んでいないのだ……。

オレの記憶の中でトーキチと一緒に過ごした思い出がもう、止めど無く溢れてくる。

この廊下にチョークで悪戯書きしたこと。
荒川の土手を遠くまで歩きすぎて、日が暮れてもなかなか家に帰ることができなくて泣いたこと。
子供会の夏まつりの金魚掬いやヒヨコに夢中になったこと。
小学校に行く時、オレ達を冷やかした相手と、思いっきりケンカしたこと。
雪だるまを梅の木グランドで作ったこと。

紙袋から白いボールがコロンと零れ落ちて、ドアの前にぶつかって止まった。

この白いボールでキャッチボールした―――――。
このドアを開けて、顔の見せる小さなオンナノコは……もう、ここにはいない。

オレはみっともなくも、また泣いた。
母ちゃんに引越し先を聞いても、俺はきっと聞くだけで実際にトーキチに会いに行かない。
オレが出向いて、なんであんたココまで来てるのなんて云われたら、立つ瀬がないじゃないか。
素直に、おまえに会いたいから来たんだなんて照れくさくて云えやしない。
だからココを出ていくお前に「じゃあな」ぐらい、云いたかったのに。
トーキチのバカ。

涙がコンクリに染み込む。
さよならって、こういうことだと――――初めて知った12の春だった。