ほろにがバレンタイン 3






「で、バレンタインなんだけど莉佳、チョコを作ってくれるか?」

泊りにきた優莉と、娘の茉莉を寝かしつけたあと、慧悟はそう言った。
あたしはじっと慧悟を見る。
どうやら妻におねだりといった雰囲気ではなさそうだと察した。
「どういうのがいいの?」
「莉佳が以前、お袋に作ったオペラ」
「……いいけど、お義母さんとお義父さんには作る予定なんだけど?」
「俺の親じゃない、取引先というか……」
仕事がらみか……。
「いくつ作ればいい?」

「一つでいい」

一つだけオペラを作れって……そのオペラ、誰にやるのさ。
あのスポーツ紙の記事が頭によぎる。
バレンタインは女子から男子にチョコをあげるっていうのが日本の風潮ですが、慧悟は逆にプレゼントしそうだ。
それをあたしに作らせると?
「莉佳」
「なに?」
「お前、またなんか考えてんだろ」
考えてますよ、いろいろとね!
けど口に出して、こいつにはぐらかされたり、からかわれたりするのはまたムカツクのよ。
けど、なんかもー飄々としてるこいつに何か一言、言ってやりたい。

「で、オペラはどなたにあげるのかしら!?」

あたしの発言に慧悟はニヤリと笑う。

「折原」

言ったわね、あたしの予想を裏切らない人物名をあげたわね?

「やきもち?」
「誰が?」
「あのニュース見てからの莉佳の反応がすっごく可愛いのなー、気にしてるのに言葉にしないけど、目が訴えてる」
「訴えてない!」
「きちんと言ってみろ?」
「言うか!」
慧悟はあたしを背後から抱きすくめる。
「ばーか」
耳元で甘くそう言われる。
馬鹿って言われてるのに、むかつきどころか不安がやってくる。
「何よ!」
不安を押しのけるように気の強い言い返しをすると慧悟はあたしの頬に唇を落とす。
「莉佳は俺のこと信じてないの?」
あたしは慧悟を見つめる。
うん? と首をかしげてあたしの顔を覗き込む。
「慧悟」
「うん?」

「あんたがかなりモテモテで女が傍にくっついてくるような男だってのは知ってるから、信じろって言われても無理」

あたしがそういうと、慧悟はがっくりとあたしの肩に額を押しつける。

「言ったな」
「言いましたが、何か? ちょ、その手、どこつかんでるの!?」
「マシュマロ……のつもりだったんだけど、硬いな」

触るな馬鹿! 人の胸を掴んでマシュマロとか言うな! 
茉莉はミルクと母乳の混合なんだ、まだ授乳期間中だから刺激されると胸は張って痛くなる。

「痛いからやめてよ」
「俺の言葉じゃ信じてくれないから、行動で信じてもらうしかないだろ」
「やだ!」
「莉佳の身体はすぐに信じてくれるのにな」

うるさい。勝手に人の身体をいいようにするな。
というか、ここはキッチン、あたしにとっては神聖な職場ですよ!?
そんないかがわしい行為に及んでいいのか!?
夫婦だから問題ないとか慧悟なら言い出すに決まってるけどね!

「折原とヤってればいいじゃん。子供を産んでサイズ変わっちゃったんだからね!」

あんなボンキュッボンな美女と比較されたらあたしどうすりゃいいのよ!?

「馬鹿、俺がヤるのは莉佳だけだろ、他の女としてどーするよ」
「……」
「もう一人産んでもいいって言ったじゃないか」
「あんた、夕方の菊田さんとの会話聞いてたの!? サイテー盗み聞き? ちょ、まて……」
「りーか、あんまり声を上げてると、優莉ちゃんが起きるよ、茉莉に妹か弟、作ってあげてもいいんだろ?」
「言ってないっ。やっ……ん……」

抗議の声をキスで塞がれる。
頭の芯がぼうっとするようなキス、するな馬鹿。
その手に全部委ねたくなるじゃない。

「愛してるよ、莉佳」

小さなキスを繰り返しながら、そう囁かれる。
ずるい。
そんなキスで、そんな愛撫で、あたしのイライラとか不安とか、全部かき消すのはずるい。
慧悟のいうように身体が、慧悟を信じたいってさせるのずるい。
ずるいって思うんだけど……。

「ほんと?」
「うん」

簡単に手放せないのよ、慧悟を好きって気持ちも、心も身体も。全部。
あたしを抱きしめる手も、キスも、全部。

「慧悟……」

キッチンが神聖な職場でも、慧悟なら……仕方ない。慧悟なら……。

「莉佳は?」
「……」
「俺だけだろ?」

ううう。悔しい。キスもその愛撫もその先の行為も今すぐ欲しいよ。馬鹿。

「慧悟だけだよ」

慧悟は嬉しそうに笑って、あたしの唇にキスをする。
「だからもう一度……言って……」

「愛してるよ、莉佳」

そんな声で、そんな眼差しで、あたしを抱きしめたら、あたしは全部慧悟に身を任せるしかないじゃない……。

 

ほんと、馬鹿はあたしの方です。
わかってます。
あたしは慧悟に身体も心も委ねてしまった。
翌朝、莉紗姉の店にケーキ卸す時間が30分ずれるぐらいには、慧悟の思い通りにいいようにされてしまいましたよ。

「どーしてくれんのよ」

なんとか莉紗姉の店にケーキを卸すついでに優莉を送り届けて帰宅。
しれっとした顔であたしにコーヒーを渡す慧悟に対して恨めしそうに言う。
当の慧悟は滅茶苦茶スッキリした顔してるところが、また癪に障る。
そして自分はさっさとリビングのソファに座る。

「もし……6週間後に体調崩したらどうするの?」
「いいじゃん。莉佳も年齢的には産むなら時間開けずに産んでおいたほうが身体が楽だって、産科の先生も言ってただろ?」
「仕事復帰が遠のくじゃないのよ」
「莉佳が今ぐらいの仕事ができるように、菊田さんに頑張ってもらう」
「菊田さんにこれ以上負担掛けられないでしょ、だから菊田さんにまだぼっちゃま言われるんだってば」
「まあまあ、莉佳、こっち座って」

あたしと違ってご機嫌な茉莉を抱き上げながら、手招きする慧悟の傍に座る。

「観てろ」

TVの電源を入れると、コマーシャルが流れる。
折原美緒子がチャイナ服を着て、現れる。
ターンテーブルに運ばれる、中華料理の数々をその細い身体のどこに押し込んでるのかっていうぐらい食べ始める。
それがまた、美味しそうに食べてるし……。
このチェーンレストラン、慧悟の会社だ……。
売上が落ちていたから、新規一転、この不況にリニューアルをしたのだ。
そのCM……。

「コレ、本人が全部食ってんだよ」
「……え?」

すっごい量ですが。

「やっぱ、こいつで正解」
「はい?」
「モデルって食わないからさー、ほら、俺が莉佳に一目惚れした時に連れていた女もモデルでさ、営業力がすごかったから、うちの店のCMに出るならって、料理食わそうとしたんだけど断られてね。プライベートで渡部の店に連れてって食べっぷりを見ようとしたら、あの調子だったろ」

慧悟はあたしと初めて会った日、女連れでした。
元職場のシェフ渾身のクリスマスディナーを食わずに、あたしのドルチェも食べずに、腹たったあの女。
それがモデルっぽい女だったんだけど、本当にモデルだったとは……。
しかもあれも仕事がらみだったの!?
てっきり付き合ってると思ってたわよ!
そうならそうと言えー!

「いやー、よく食うんだわ、折原」

慧悟の言葉に、あたしはTVのCMに視線を移す。
うん、このTVCM観るかぎり、食べっぷりすごいわ。
これはあたしが慧悟の会社の店だってわかってても、行ってみたい気にさせる。
料理も綺麗に映されてるし、折原の食べ方も下品じゃない。
なのに、次々に口元に運ばれる料理を平らげる。

「舌も肥えてるんだ。うちのメニュー開発スタッフもダメ出しされて涙目」

――――えーこれだとお、いまいち、メニュー名と食材がぴったりこなーい。
――――だってえ、海鮮なのにい、餡の肉が主張しすぎてていけてなーい。
――――海鮮ならもっとエビ量を増やせばいいのにー。

そんな言葉が連発されたのか。
素人女子にダメ出しされた料理人……。
お客様の言葉と思い精進してください……。
「で、今後、うちの店のCM、この子にすることに決めたんだ。けど、この子の面白いところは料理作れないってところだよな」
「え?」
マジで!? 作れないのに文句は言うんだ!? いやいや、作れないこそ拘るのか!?
「その今後の契約もあって、また会うんだけど時期が時期だからな、莉佳のチョコレートをやれば、こいつも契約を前向きに考えるだろ」

……そっか……そうなんだ……。

あたしの顔を覗き込んで、慧悟はニヤニヤ笑う。
「安心した?」
「……わかったわよ、もう。この折原美緒子が陥落するようなオペラを作ってやるわよ」
「よかった」
「……慧悟も欲しい? チョコ」
「もちろん。恋人期間が短かったんだ、その手のイベントは期待したいね」
「甘さ控えめのビターなオペラを作ってあげる」
ほろにがい、オペラを。
それを食べてここ数日のモヤモヤした気持ちを察しなさいよ。
そしたら慧悟は嬉しそうにあたしを抱き寄せて一言。

「もちろん、足りない甘さは莉佳が補ってくれるんだよな」

……やっぱりコイツには敵いそうにもないと思った……。

 

 



END