微妙な距離のふたりに5題 隣同士がいちばん自然




「いいよなあ」
「何が?」
「あの2人。いいの、あたしが勝手に思ってるだけだから」
「……吹っ切れてんの?」
吉住の言葉に、あたしはバスケットボールを抱えて首を傾げる。
そして、視線を吉住から別の方向へ向ける。
体育館のバスケゴールを目指して飛ぶ、篠塚先輩の後姿を。
この学校に入って、一番印象的な光景を見せてくれた人で、あたしは一瞬で気持ちが鷲掴みにされた。多分あたしだけじゃない。学校内で彼をいいと想う人はたくさんいるけれど。
でも、そんな彼が想うのは、彼女だった。
「もうとっくに。だけどさー」
「だけど?」
「時々すっごく羨ましくなるの」
「吹っ切れてないじゃん。そんなに好きなら、諦めなくてもいいんじゃない?」
やや冷たい印象の、どうでもいいよという関心のない口調で吉住はそう云うと、ドリブルで、あたしの傍を離れてゴールへ向ってシュートを放つ。

―――――そんなんじゃないよ。バカ。

あたしは頬を膨らませる。
別に今でも篠塚先輩に未練タラタラな片想いってわけじゃない。憧れるけど違うんだよ。
憧れるのは別意味でも憧れてるんだけどさー。
篠塚先輩に想われる、彼女が羨ましいんじゃない。
彼女。葛城雪緒さん。
ユキさんは、あたしと同じクラス。でも1歳年上。本当は篠塚先輩と同じ年なのに、病気で1年遅れてこの高等部に入学した。
色が白くて、華奢で、触れたら消えそうなぐらい儚い笑顔をする人だ。
だけど、篠塚先輩とバスケ部のことを話し合ってる時は、そんな印象が覆されてしまう。
互いの意見が合わない時なんて、見てるこっちがハラハラする。先輩はユキさんのこと好きなのに、絶対自分の意見は曲げないし、ユキさんだって譲らない。
その論議はどうなるの? ってこっちが心配をよそに、結局は意見を上手くまとめている。

――――――そういうのが羨ましいのよ。

互いが、認め合っているところが。
隣りに並んでいていも、ぜんぜん見劣りしない。
ユキさんはもう、スポーツができないから、それがコンプレックスみたいだけど、そんなの全然関係ないんだよ。



「ケンカでもした?」
バスケ部の帰り道、ユキさんがあたしに声をかけてくれた。
「何が?」
「吉住と」
「なんで、ケンカすることなんてない」
ユキさんは、小首を傾げる。
「吉住、すごく、不機嫌だよ」
「知らないもん」
雪緒さんは篠塚先輩を見上げる。
あ、目で会話してるのがわかる。なんだか……すごいかも、今の光景は。
そういうの、家族とか長年連れ添った夫婦みたいなカンジ。
いいなあ。そういうのが。隣りにいるだけで、気持ちが理解できてるみたいで。
お互い想ってても。この2人はそういうの云わないんだよね。
そういうのがすごく羨ましいってだけなのにさ。
何を勘違いしてんのよ。バカ。
「陽菜ちゃーん。見て見て、ガリガリ君あたりー」
桜庭先輩が、かいぐいしたアイスの当たりバーをヒラヒラさせて、暢気にあたしに声をかけてくれる。
「いいでしょー」
「あーあー。いいですね、羨ましいですよ」
投げやり気味に云うと、桜庭先輩は目を丸くする。
「どったの? 陽菜ちゃん」
ユキさんが桜庭先輩にこそっとナイショ話するみたいに、手を口で隠して、耳打ちする。
そういうスキンシップをして、篠塚先輩はなんとも思わないのかな?
仮にも自分の彼女が、友人とはいえ、他の男子と至近距離。
桜庭先輩は雪緒さんからちょっと離れて、ふうんと呟く。
「犬も食わないってやつかー」
「……」
「そんなトコロまでマネしなくてもいいのにね」
意味深な発言をあたしと、ユキさんと篠塚先輩に投げかける。
「あら、私は、こんなに可愛くないわ」
「だから、今なら補整も効くって、桜庭は云いたいんじゃないのか」
篠塚先輩が云う。
ユキ先輩が篠塚先輩を見上げる。
「私は補整がきかないの?」
篠塚先輩は溜息をついて、ユキ先輩の手を握り締めて歩き出す。
「俺が調整するから問題ない」
「篠塚、やさしー、雪緒に譲歩するって、惚れた弱みだよねー」
こそっと、桜庭先輩があたしに耳打ちする。
あたしはプっと吹き出してしてしまう。
「あたし、ユキさんと篠塚先輩が羨ましいって、吉住に云っちゃったの」
小さい声で、桜庭先輩に伝える。
「でも、吉住は、なんか誤解してるみたいで……」
「あー、そうか、陽菜ちゃんが、いまだに篠塚に未練があるとか、思いこんじゃんった?」
「よくわかんないけど、そうみたい」
「そっかー……。でも。あんまりいいもんでもないぞ。あの2人。こっちが安心したころに、大喧嘩するタイプだから」
「……そうなの?」
「それでもって、互いに激しく落ち込んでるし」
ユキさんと篠塚先輩の後姿をぼんやりと見つめる。
ユキさんが、何か話しかけていると、普段怖いくらい冷たい篠塚先輩の顔がやさしい感じになる。
2人が隣り同士で歩いているこの光景が、あたし自身が見ててキュンってしてしまう。
「だけど、あたし、あの2人、並んでるところ見るの、好きなんです」
「オレもだよ。すぐに彼女に連絡とりたくなるね」
桜庭先輩は本当に、いつも楽しいことを云ってくれる。
あたしお兄ちゃんいないけど、ほんと、男子バスケ部の先輩たちは、なんだかお兄ちゃんみたいだ。でも吉住は違うんだよね。同い年だから、かもしれないけれど。
先輩はガリガリ君の当たりバーをあたしに渡す。
「コレあげるから、元気を出して仲直りしてきなさい」
「先輩。あたし小学生じゃないです」
「えー!! だって陽菜ちん、可愛いーんだもーん」
先輩がギューっとあたしの肩を抱く。
桜庭先輩、本当に誰にもこうやってスキンシップとるからなー。それは理解してるからいいんだけどさ。クラスの女子とか誤解してる子、いるかもしれないよ。
それに彼女はヤキモチやいたりしないのかなあ?
あたしがそこまで考え込んでいると、桜庭先輩の腕を誰かが掴む。
桜庭先輩の腕があたしの身体から離れる。
「……吉住……」
「黙ってセクハラされてんな」
「セクハラじゃないもん、ハグだもん。ねー、陽菜ちゃん」
桜庭先輩の言葉を、吉住は片耳抑えて訊いてませんのポーズをとる。
「彼女にばれたら怒られないんすか」
「そんな狭量な女を彼女になんかしないよーんだ」
「……」
「オレを理解できないなら、惚れないでって思うし」
口調がふざけている感じはそのままなんだけど、目がすごく真剣で、試合中の先輩の目みたいだった。あたしはちょっと怖いなと思った。いつも明るくて陽気な先輩の別の表情。「桜庭君はカッコカワイイ」って云われる理由を今垣間見たよ。
「話し合いは大歓迎なの。陽菜ちゃんはああいうのが、いいのかもだけど」
桜庭先輩は、前方にいるユキさんと篠塚先輩に視線を向ける。
「人前じゃ、ベタベタしないけど、以外と、2人きりだとラブラブだったりね」
「想像つかない」
あたしが云うと、桜庭先輩は笑う。
「わー! オレもレオも! 篠塚がアレ以上にやけてるの想像したら……うわ、やべえ」
ぷくくと含み笑いをしてると、後ろにいる藤咲先輩に呼ばれて、桜庭先輩はあたし達から離れた。
吉住はあたしの手から、ガリガリ君の当たりバーを取り上げる。
「ほんとに、お前は餌付けされやすいな」
「餌付け!?」
「食い物につられるというか。アイスなら、ダッツの方がいいだろ?」
「……怒ってないの?」
「――――――怒ることなんてないだろ」
よくわかんないけれど……不機嫌じゃなくなったわけよね。
藤咲先輩達がなんか云ったのかな……。
「ダッツ奢ってくれるの?」
「YES。だから、ガリガリ君は没収です」
「むう」
「膨れるなよ、顔にたこ焼きができるぞ」
「どういうことよ」
吉住が親指と人差し指でわっかを作って、あたしのほっぺたにあてる。
「こういうこと」
ひどいじゃん! 何よそれ!
あたしは唸って、吉住の手を軽く押し退けると、吉住は押し退けたあたしの手を掴んで、そのまま黙って歩き始めた。
「吉住……」
「何?」
「その……手」
「手?」
吉住はあたしの手を包む力をほんの少し強める。
「いやなの?」
いやじゃない……けど……吉住はいいのかな……。
こういうふうにされると、やっぱりちょっと期待しちゃうよ。
「沢渡はさ」
「うん?」
「雪緒さんが羨ましいの?」
ああ、やっぱり気になるのはそこか。でも、こうしてちゃんと尋ねてくるのは悪くない。さっき桜庭先輩が云っていた、「話し合いは大歓迎」って意味はこういうのかな。
「羨ましいけどさ、吉住が思ってる意味じゃないの」
「?」
「羨ましいのは、ああして2人で並んで歩いている光景が。隣同士がいちばん自然に見えることが」

あたしも、できれば誰かとそんなふうに並んで歩けるといいなあって思う。
こうして帰り道に、並んで歩いていて。

隣同士がいちばん自然だって―――――――。

他の誰かから、そして自分でも思えたらいいなあって。
それが、今、あたしの手を握る吉住だともっといいなあって……思うんだ。