Fly by the invisible win09




雪緒が篠塚と帰宅していく後姿見た日。
陽菜はその夜、眠る前にたくさん泣いて、泣き疲れて目が醒めた時、目やにがベットリと瞼をコーティングして目が開かないぐらいだった。
冷たい水でとにかく洗顔すると、以外にも腫れてはいなかった。
白目の部分が充血しているがまあ大丈夫だろう。

―――――ていうか、アレだけ泣けばさっぱりもする。

昨日、一緒にいた吉住には何かお礼をしなければと思う。



「……いいじゃん、アンタ篠塚センパイが好きなんでしょ?」
「好きだけどさ……」
「告ってくればいいじゃん」
「告っても……先輩の答えは、もうわかってるよ、先輩に言い寄る女子生徒は本当に、挫けないし夢見てるよね」
「チャレンジャーのアンタらしくないね」
「吉住は――――ユキさんのこと好き?」
「恋愛での意味なら、NOだって、最近わかったよ」
吉住の答えに陽菜は驚く。
「あんな扱いづらい人だと、めんどくさいよ」
「めんどくさい……」
「桜庭センパイも云ってたよ、『雪緒は好きだけど、共犯者にしたいタイプで恋人となるとパス。でも。オレ等が雪緒をかまうと、篠塚のグルグルっぷりがおかしいからちょっかい出してるだけ』なんだってさ」
「それはなんだかひどくない?」
「そういうのもありなんじゃね? 付き合い長いから」
「ユキさんは……桜庭先輩達の行動とかは……」
「理解してるっしょ。知ってて、たまに悪乗りしたりね……雪緒さんもヘソまがりっつーか天邪鬼っつーかそこでまた篠塚センパイがわかってないのが可笑しいんだけど」
「……ユキさん……篠塚先輩のこと……好きなんだよね……」

―――――篠塚に手を握られた時の、ほんの一瞬の照れくさい表情……。

「まあ、本音のところは、篠塚センパイも雪緒サンも語らないけどね。そこまでの会話がされてなさそうだし」
「ユキさんが…向きあわないのが…悪いんだよ」
「……」
「ヤキモチとかじゃないからね、てかヤキモチだったら、もういっそこのままの状態でいてくれた方がOKなんだからね」
「はいはい」

きっと雪緒は陽菜がきいてもはぐらかすか、沈黙するか、どちらかだろう。
陽菜の気持ちを知っているから余計に。
でもそれこそ、陽菜にとっては、余計なお世話だ。

「吉住は前にあたしに云ったよね? 変わらない気持ちがあるって……」
「云ったか? オレ」
「云ったよ、バスケが好きな気持ちは変わらないって。先輩はね、多分、バスケ=ユキさんの配分で好きなんだ。変わらない気持ちで……」

―――――――変わらない気持ちで、彼女を想ってる。

「そう、暗く考えなくてもいいんじゃね? オレなんかは、アンタが以前云っていた人の気持ちは変わるって言葉の方が、最近になって考えさせられてるんだけど」
「……」
「恋愛においてはとくにさ」
「ユキさんが向き合えば、ハッキリするのよ……」
「それ、アンタが失恋確定になってもか?」

―――――――どこまでも他人を介入させない彼女の本心が知りたい。

あたし、おかしいのかな? 好きな人が想うのは友達なのに、友達のことを嫌いになれない。
普通なら嫉妬して彼女と距離を置いても可笑しくない。
先輩を想うとすごく切ないし……こんなに切ないなら、なんとか自分に振り向いて欲しいって思ちゃう。
だけどユキさんも……すごく気になる……。
もっと嫉妬とかしてもいいはずなのに。
陽菜はガリガリと髪を掻き毟る。
その様子を見て吉住はギョっとしていた。



それが、陽菜が雪緒と図書室で別れた後の、昨日のことだった。
教室に入ると、雪緒がいた。

「おはよう」

少し低めの声で、陽菜に挨拶をする。
いつもと変わらない彼女の態度。
今まで彼女に対して抱くことはなかった嫉妬が、昨日の情景と、今現在の彼女を見て始めて沸きあがる。
彼女のことを、嫌いじゃない。
なのに、この説明のつかないこの感情はなんだろう。
陽菜の強張った表情を見て雪緒は首を傾げる。

「どうしたの?」
「きのう、ちゃんと……篠塚先輩と帰った?」

云うつもりはなかった。気を利かせたんだよなんて。
でも自然と言葉がでてしまう。

「うん」
「話した?」
「何を?」

陽菜は切り返されて、一瞬息を呑む。
雪緒のおとなしやかな表情の……その瞳だけが力強い。

「ユキさんが距離をとらないで話したんなら、別にいいの……あたしが勝手に先輩に憧れているだけだから」

いつもなら、踏み込まないのに、陽菜は雪緒の視線にひるむことなく続けた。
陽菜のまっすぐな表情を見て、雪緒は思い出す。



―――――――雪緒はずるい、あたしだって、篠塚君のことが、好きなのに。

雪緒の記憶で叫ぶ声が鮮明に頭に浮かび上がる。

―――――――なんで、雪緒は、ちゃんと云わないの? 

病院のベッドで、雪緒に投げつけられた言葉。



目の前の陽菜が、あの時の親友の姿と重なる。
友情を壊したのは彼女じゃなくて、雪緒の態度だったことも雪緒は理解している。
理解するまで、当然、長い時間がかかった。
自分のことだけしか見えなかったから……。
雪緒はまっすぐ陽菜を見つめる。

「篠塚がね、マネージャーをやってほしいんだって」
「……やればいいじゃん」
「募集してテストをしろと提案してみた」
「ユキさんが、どうしてそういうことを云うの?」
「おかしい?」
「あー、おかしいね、云われたらその場で引き受けりゃすむ話しでしょーが」
「結果は多分そうなるとしても、周囲は納得しないだろうし」
「関係ないじゃん!」
「篠塚が後で後悔すると思うから」
「は?」
「公明正大を背中にしょったような篠塚が、個人的な感情で動いたら、後悔すると思ったから、募集が公示された時点で申請するよ、陽菜ちゃんもやる?」

もしも、今日、雪緒が、まだバスケ部から距離をとるようなら、今よりももっときつく雪緒に言い募っただろう。
だけど違った。雪緒は前向きだ。
陽菜を誘うのももちろんだけど、何よりも。
――――篠塚の性格を読んでいる。

「やるよ、ユキさんが……やるなら」

雪緒がにっこりと微笑む。

「あたし、ユキさんに前に向いてほしいんだ」
「うん」
「もったいないんだよ、バスケ、好きなんでしょ?」
「うん」

――――――篠塚先輩が、好きなんでしょ?

声が詰まって、この言葉がでてこない。
雪緒は陽菜の手をぎゅうっと握り締める。
云わなくても、わかると、陽菜が云いたい言葉はわかっているというように、雪緒は陽菜を見る。

「そうだよ」

陽菜は泣き出す。

「ちくしょう、前向きじゃんよ、やっぱり先輩効果なのかな」
「違うよ」
「……」
「全部陽菜ちゃんのおかげなんだよ」
「……あたし、なんにもしてないよ」

ただ雪緒の友達になりたかっただけ。
篠塚の視界に少しぐらいは入りたかっただけ。
2人でいる所を見て、物凄く切なくなったけれど、その分、憧れた。

だけど雪緒からしてみた陽菜は、常に明るくて、陽菜の瞳に映る毎日の光景は、新鮮なものばかりのように、輝いているようだった。
バスケを諦めて過ごしていくことに、あきらめきれない悔しさ、そして自分を取り残して、バスケに夢中になる彼等に対する嫉妬も、陽菜が救ってくれた気がするのだ。

「私は―――――陽菜ちゃんから……たくさん力をもらったんだよ……」
「……うそだあ」
「嘘じゃなくて」

ごしごしと握りこぶしで頬の水滴を拭う仕草が、どこか幼くて愛しかった。

「ありがとう、陽菜ちゃん」


陽菜の、憧れを片想いを、終わらせるのに、彼女の言葉は充分な気がした。