awkward lover10




「大丈夫か?」
「え?」
「車酔いしてる?」
「いいえ……大丈夫です」

伊崎から『小学生コース』な、アウトドアに誘われて、本日決行。
まさか本当に実現するとは思っていなかった。
しかも、コレは、はっきりいって……。

―――――デートっぽい? というか……デート……だよね……。

先日の試合終了後、伊崎からメールを受け取った佳純は、伊崎の試合を見て、思いっきり感動してしまい、それまで自然に行っていたメールのやりとりに、緊張してしまった。
が、多田の後押しも受けて、いつものように、平常心を保とうと、メールを開くと、それは彼が試合前に云っていた「小学生コース」アウトドアの日時を指定されたメールだった。

そしてそのメールへの返信は、

―――――お弁当はどうしますかと。

たったそれだけ返信するのがやっと。
もっと試合のこととかメールを打てばいいのにと、返信を送ってから自己嫌悪に陥る。
どうにも指まで緊張して動かず、それがやっとだったのだ。

―――――作ってもらえるなら、有り難い。

アウトドアにはお弁当は付き物。
佳純は親元離れて自炊しているので、料理の腕はまあ普通だとは自分でも思う。
ただ、どれだけの量を作ればいいのだろうと悩んで、もう1度、参加人数の確認のメールをとってみる。
そのメールは一昨日、送ったもので、あの試合から時間も経過していたためか、そんなに緊張はしていなかった。
伊崎の友人達も、先日の花火大会の時と同様、わいわいと一緒になってやってくると予想していたのだが……。

――――――2人分で。

という返信を受け取った瞬間。
佳純の頭の中は真っ白になった。





そして本日の『小学生コース・アウトドア』天気は快晴。
車で迎えにきた伊崎を見て、佳純はどきっとした。
先日の試合―――――相手選手が打ったボールが伊崎の眼鏡を弾いた後が、残っていた。
もう、うっすらとはしているが、それを見て、あの試合を思い出して、また緊張してしまう佳純だった。

「おはよう」
「おはようございます……」

大きめな4WD……しかも左ハンドルにレザーのシート。
ナビシートのドアを開けてもらって、車に乗り込む。
そして、一般道から、高速道に、車を流していく。
運転が上手ですねとか、いい車ですねとか、あたりさわりのないことを云えばいいのに、それすら言葉に出てこない。
もともと、佳純自身、あまり饒舌なタイプではないので、車内は自然と沈黙が流れるが、カーステレオから流れるFMのDJや音楽で、その沈黙は別に居心地が悪いものではなく、普段見慣れない位置からの車からの景色、街並みから自然へと変わっていくのをずっと見ていた。
その沈黙が長かったために「車酔い?」と気遣う伊崎の言葉である。

「少し、遠いから、次の大きなSAで休憩するか」
「はい……」
「どうかしたか?」

佳純の視線に気がついて、伊崎は尋ねる。

「ああ、コレか……」

眼鏡のフレームのライン際に、張られている傷のテープに指先を当てる。

「大丈夫……ですか?」
先日の試合の後、取材陣に押されて、眼鏡が取れたらしい。
「……ああ、これ、たいしたことないんだけどね」
吉井がうるさいからと、呟く。
「……私―――――初めて試合を見て、びっくりしました、テニスボールって、あんなに早く走るんですね」
「初めて?」
「TVの中継や、DVDは観てるんですけど、会場には初めてで」
「そうか……」
「伊崎選手はやっぱりたくさん女性FANがいるんだなあって。黄色い歓声がすごかった……」
「……清瀬さん」
「はい?」
「頼むから伊崎選手はやめてほしいんだが」
「えー……」

伊崎は、彼女に伊崎『選手』と呼ばれる度に、距離を置かれているような気になる。
もちろんそれは思い過ごしで、彼女は多分、伊崎に対しても、伊崎の友人に対しても、同じような対応なのだとは思う。
だが、伊崎の友人達は、彼女を「佳純ちゃん」と親しげに呼ぶヤツもいて、フレンドリーな印象をわざと伊崎にアピールするヤツもいるのだ。

「じゃあ、伊崎さん」
「……」

伊崎さん……もう一度呟く。

「でもいいのかな」
「俺が落ちつかないんだ」
「?」
「オフなのに仕事してる気分になるから」
「……気がつかなかった……それは――――失礼しました」

伊崎が穏やかに微笑んだのを見て、佳純も安堵する。
そしてまた流れる景色と、車のFMに耳を傾けて、車に乗った当初よりも、重苦しくない沈黙と、時折交わす会話を、目的地まで続けた。




そして、ついたのは小学生でも渓流釣を楽しむ為に、虹鱒を養殖している釣堀だ。
もちろん都内の釣堀とは違う。
自然の景観を生かして、スペースは広く、バーベキューコーナーや休憩所もある。
伊崎は釣り竿を2人分、借りてきて、一つ佳純に渡す。
透明なプラスチックタッパーの中には餌があるのだが……。

「よかった……」

佳純はてっきり餌はミミズ系のヤツだと思っていた。
例にもれず、佳純はそういったものは苦手で、もしミミズだったどうしようと思っていたのだ。

「餌は練り餌だ……ミミズやゴカイだと思っていた?」

佳純はコクコク首を縦に振る。
針にしかけて、糸を水面にたらしていく。
蛍光色が施された浮きが水面に浮かぶ。

「浮きが水面に引いたら、HITだ。竿を引いて」

釣りって……もっと時間がかかるものだと思っていた佳純だが、二分後にHITするので驚いた。
思ったより、HITまでの時間が短く、そして手応えがある。

「上手いじゃないか」
「でも、なんか、糸が切れそう……」
「それぐらいなら平気、思いっきり引いても大丈夫だろう」
「だーめー、なんか、なんか糸が切れる―――――」
「切れないから、大丈夫ほら」

伊崎が後ろから手を伸ばし、ぐっと 佳純つり竿を持って引く、 佳純はよろよろと後ろへよろけるが、しりもちはつかない……伊崎が、まるで後ろから抱きすくめるみたいに佳純を支えていたからだ。
伊崎がヒョイと竿を上げると、小さな虹鱒が水面から出てくる。

「こんなに小さいんだから、糸は切れない」

小さな虹鱒ではあるが、元気良く尾ひれを振っている。

「だって、だって。思ったよりすごい力がある」
「……まあ小さくても生きてるからな、ここは都内の釣堀とも違うし」
「すごーい」

糸を持って、虹鱒をしげしげと眺める 佳純を伊崎は見つめる。
珍しそうで、でも楽しそうな 佳純の表情を見て、伊崎は佳純の頭をくしゃくしゃと撫ぜた。
そして佳純は生まれて初めての釣りを楽しみ、少し早いお昼に、釣った虹鱒の塩焼きを一匹ずつ、伊崎がオーダーする。
釣った魚も持ちかえることができるが、かなり大量に吊り上げたので、持ち帰って料理しても痛めてしまう。ここで食べる分だけで云いと伝えたのだ。

「美味しい」

塩焼きを両手に持って、彼女はそういう。
伊崎は、佳純が作ってきたオニギリを食べていた。

「塩辛くないか?」
「大丈夫です……、お弁当……お口に合いました?」
「美味いよ」
「ほんと?」
「ああ」
「よかった……」
「料理、上手なんだな」
「自炊しているから……、細井さんも料理、上手ですよね。以前、手作りゼリーを頂きました」
「いつ?」
「えーと、伊崎さんがヨーロッパ遠征してる時」

佳純がそう云うと、伊崎は「人がいない時を見計らって……」と呟く。

「でも、伊崎さんのお友達って、みなさん仲良しですよね」
「まあ……付き合いが長いから……だけど、油断できないな、勝手に抜け駆けされるし」
「抜け駆け……」
「清瀬さん……」
「はい」
「塩がついてる」

佳純の唇の端についている粗塩を、伊崎の長い指が取り除く。
まるで子供のような扱いをされて、佳純は恐縮する。
が、その指で取り除いた塩を伊崎が舐める。
それを見て、佳純は確実に呼吸を止めてしまった。
伊崎はなんともない、いつものポーカーフェイス……。

「コレを食べたら、出よう」
「……はい」
「小学生コース、まだ他にも考えておいたからな」
「はい?」



そして、荷物を片付け車で移動した先は、牧場系のテーマパークだった。
入場すると、体験コーナーへの受付が設置されている。
体験コーナーは手作りパン、手作りソーセージ、陶器&ガラス小物の作成。
牛や山羊の乳絞り。羊の毛刈り。
ふれあい動物コーナーは各施設の方で受付ているらしい。
ウサギやリスとのふれあいコーナーや、乗馬。
季節によっては果物、味覚、苺、葡萄、リンゴ、芋掘り、ハーブ等の摘みとりができるらしい。
もちろん、子供用にアスレチックコーナーや、プールも設備……。
パンフレットを開いて、いやまさにこれは幼稚園もしくは小学生コース……。

「伊崎さん」
「云っただろ? 小学生コースだと」
「完璧……小学生コースです」

よく考えるなあと、佳純は関心する。
この年齢になると、こういった場所に足を運ぶことは無いので、新鮮だった。

「でも、なんか……わくわくする……」

伊崎は佳純に穏やかな、優しい笑顔を見せる。
インタビューや試合や友人達に囲まれている時にも、あまり見せない笑顔に、佳純は見惚れる。

「じゃ、行こう」

伊崎が、佳純に手を差し伸べる。
佳純自身、心臓のどきどきする音が、耳の近くで聞こえてくる。
伊崎の手を躊躇いながら握り締めた。