awkward lover9




場内のアナウンスが流れ、選手がコートサイドに現れる。
ライトアップされたグリーンの人口芝が鮮やかに浮き立つ。
選手名のアナウンス伊崎隆哉の名前が流れると、観客席が総立ちになったのを、 佳純は息を呑んで見つめていた。

伊崎と知り合って、彼の試合をライブで観るのは初めてだ。
想像通りの黄色い歓声と、想像以上の伊崎コールと拍手。
相手の方も世界ランクのプレイヤーだ。
今回の大会のエキシビジョンゲームでの参加は違いのスポンサーがらみだと、多田からは説明された。
彼は伊崎を意識しているものの、前回の海外試合ではぶつからなかったので、今回はどちらかというと、相手がかなりこの試合に意気込みをかけているらしい。

握手を交わし、選手はそれぞれのポジションに立つ。
伊崎からのサービスだ。
高身長からくる、見事なサービスエース。
その瞬間、会場は沸きあがる。

―――――――この歓声の中で、どうして、そう冷静でいられるのだろう?

彼はエースをとったにもかかわらず、顔色一つ、表情の一つも変えず、また続いてサービスを続ける。

―――――――テニスをすることだけでも、すごい集中力が必要だと思うのに、
          たった1人でこの歓声を受けて、コートに立って。
          勝利を掴めば、多分、この上ない喜びがあるだろうけれど……
          常勝というわけにはいかないと思う、敗北だってあるはずなのに……

ラケットのスイートスポットにボールがあたる、ポンという響きが、会場内で重く響くのを初めて 佳純は知った。

ラリーの応酬が始まる。
息をつかせないボールのスピードが、審判達の集中力をも高めていくのがわかる。
ボールはアウトラインを超えたが、相手プレイヤーはインだと主審に食って掛かり始めた。

「きたきた、エキシビジョンなのにやるんだこの選手だから」

佳純の背後で聞きなれた声がする。
篠宮が呟く。
振り返ると、伊崎の学生時代からの後輩で、今ではダブルスを組む時はパートナーでもある篠宮が座っていた。

「篠宮選手……」
「こんちわ」
相手選手はこういうことをよくするらしい。
こう時間をかせぐことで、調子のあがってる相手のペースを崩していこうとする。そう、篠宮が佳純に説明してやる。
「マナーがいいとは云いがたい。てかさ、エキシビジョンですることかよ」
篠宮の言葉に佳純はコートにいる伊崎を見つめる。
横で多田がしきりにシャッターをきっている。
「さあ……伊崎先輩を追い詰められるかなー? あの人も見た目クールだけど、内心は怒ってんじゃねー? しかも正統派スポーツマンシップ発揮しちゃって試合内容で、相手をぼこぼこにそうだよなーもう、相手ブレイクできないんじゃね?」
「篠宮君は今回どうしてエントリーしてないの?」

多田の言葉に和樹は帽子を目深に被りなおす。

「数時間後、海外に行くからエキシビジョンだから先輩にまかせた」
「キミも変わらず、大好きよね、伊崎君のこと」
「……とりあえずダブルスではパートナーだしね」

世界ランクのライバルは国内にもいる。
そんな彼は――――――いつも、コートに1人なのだ……。
遠い遠い彼の存在が―――――実際の試合を見て、はっきりとしてきた。どうしてこんなに……。

―――――――胸が衝かれるように切なくなるんだろう……。
          ずっと観ていたくなるし、目が離せない……。

本来の彼のあるべき姿が、こんなに、心を締めつける。
佳純は自分が泣き出しているのも気がつかないで、ただ、伊崎の試合を、伊崎を見ていた。



ゲームは伊崎の一方的なストレート勝ちで、その判定が会場内に告げられた瞬間の、また沸きあがる観客の熱気にあてられてしまい、 佳純は呆然とプレス席に佇んでいて、多田が引っ張らないと、多分大会が終るまで呆然自失になっていただろう。
選手控えに入る前に、伊崎はプレスからのインタビューに答えている。
客席からはまだ伊崎を称えるコールや拍手が続いている。
今回の試合内容、相手の状態、今後の試合予定と抱負等を一通り答えて、マネージャーにガードされて、控え室に戻っていく。
佳純はその後ろ姿を見つめる。

「佳純……?」

多田は佳純の様子がおかしいのを、今ようやく気がついたらしい。
仕事は仕事で多田も試合には集中していたのだ。

――――――伊崎選手に……話しかけたいけれど……言葉なんて出てこない……。

一番最初に会った時や、事務所にお邪魔したとき、この間の花火大会……。
伊崎に会った時を思いだし、また、さっきの試合を思い出す。

――――――なんだろう……これ……。

「多田さん……」
佳純の顔を見て、多田はあわあわと慌てる。
「佳純、どうした? カメラにぶつかった?」
TV局も何社か取材にきていので、あの大きなカメラや脚立にでもぶつかったのかと心配する。
「違います……」
パタパタと、佳純は涙を流す。
「生まれて初めて、スポーツ観戦で感動したかも……」
佳純がそう云うと、バッグから、携帯の着信音が流れる。
佳純は指先で頬に流れる涙をふき取り携帯を取り出す。
着信画面には、さっきまでそこにいて――――――――、インタビューを受けていた人物の名前が表示されている。

――――――――どうしよう、どうしよう……。

メール内容も見ていないのに、携帯の画面に彼の名前が載っているだけなのに。
というか……。

――――――――やっぱり、あんな凄い人からメールとかって……ありえないんだ……普通は。

携帯を持つ手がブルブルと震える。

「多田さん……」
「うん?」
「どうしよう」
「は?」
「メール」
「だから何がどうしたの」
「伊崎選手からメール」
「読んだらいいじゃないの」
「だって、だって、伊崎選手なんですよ? さっきまで、あんなすごい試合してた人で……」
「そうよ、アンタ今までそういう人に、メールもらったり、お食事したり、花火大会一緒に観たり、個人的に会話したりしてたのよ」

はっとして、佳純は携帯を見る。

「ど、どうしよ、多田さん、どうしよ」
「だーかーらー、どうして今になってそう……」

最初から、初めて会った時のリアクションの方がとても、冷静だったじゃないと、多田は思う。
が、数秒間、佳純があわあわしてる様子を見て、なんとなくわかってきた。
これは、今になって知ったのだ。
再認識というやつか。
この試合を観て、改めて伊崎がどういう人物なのかを知って動揺しているのだ。
モデルのような容姿、年齢よりも幾分落ちついた雰囲気。
外見の良さ、見栄えの良さ、そこはかとなく漂う知性。
それだけの要素で惹きつけられる女性FANは確かに多いが、そういう女性FANは彼がプレイするその試合を見て、更に、ドップリ浸かる、嵌る。

彼が注目される、プロテニスプレイヤーの所以を。

そう 佳純の頭の中ではわかっていても、実際のプレイを見てみないことには、そのアスリートの持つオーラはわからない。
多分佳純だけではない、誰にでもあることなのだ。
そう……例えば……10代の少女が、アイドル歌手に憧れる状態はこういう状態から始まるのだろうか? 有名人との恋愛なんて、その対象相手の情報を入手している方から、一方的な感情を募らせるのが定石だ。

とにかく、佳純はようやく、伊崎の情報をいろんな面から吸収した状態になったのだ。

「佳純、アンタね……」
「どうして? どうして、私なんですかね……多田さん……」

佳純の言葉に「おや」っと思う。

「あら。アンタ自覚はあったの?」

その伊崎に、好意を持たれていることを。
口にはださなかっただけで、気がついていたのだろう。
佳純は別に天然で鈍い―――――というわけではない。
人との距離の測り方が下手なのだ。
そして、その人との距離関係を計る表情や態度が、あまり表面に出てこない。
総てにおいて、誰に対しても同じで。
初対面に近ければ近いほど、一線を引いてしまう。
だけど佳純自身、自分が人に対してどう思われているのだろうということは、普通に、察しているのだ。

「……考えたくなかった……嘘みたいだし、おこがましいっていうか……」
「オコガマシイ……ね」
「だって、そうです。あんなに素晴らしい人が――――――どうして、私なんかに、声をかけるんでしょうね……」
「なーに、云ってんのよ、アンタにはアンタの良さってのがあって、彼はそこが気に入ったんでしょうよ」
「それってなんですか?」

多田はフーと溜息をつく。

「あたしの学生時代とは違って、通信を交わせる素晴らしいモノがたくさん氾濫してる時代なんだからさ、直接本人に尋ねたら? 相手はそうやって、メールだって寄越してくれるんだし」

それは 佳純だってわかっている。
だけど、あの試合を、あれが本当の伊崎なのだと、彼の素晴らしさ偉大さを、脳裏にやきつけてしまった今となっては、それらの行為ははたして自分がしていいものかどうか……。

「アンタ、伊崎君嫌い?」
「そんな、ぜんぜん」

ブルブルと首を横に激しく振る。

「それどころか……ファンになりました」
「じゃあ、いいじゃない、まったく興味ない対象からのメールじゃないんでしょ? 大嫌いで大迷惑とかじゃなければ、いいじゃない」
「……でも私がメールしても迷惑じゃ……」
「バカか! まったくもう、あのね、相手だって、神様でも機械でもなんでもないの、テニスプレイヤーとしては素晴らしいけどね、確かにかっこいいけどね、でも普通に恋愛もすれば、友達と一緒にすごしたりもするの、アンタだって知ってるでしょ?」

試合前に、まるで子供をあやすように、くしゃくしゃっと、佳純の髪をかきまぜて、少し厳しい感じの瞳が、和らいでいたことを、佳純は思い出す。
花火大会で、花火が綺麗だと――――――学生時代のエピソードを話してくれたことも……。

「アンタが眠らないで、編集作業しているのと同じで、テニスするのが彼の仕事でしょ、ただそれだけよ」
「……そうですね……、そうでした……」
「じゃ、さっさとメール見て返信してあげなよ、待ってるよきっと」
「……待ってる……」

佳純が改めて携帯を見つめなおしている状態になると、多田はさっき会場入りしたカメラマンと打ち合わせして、大会の取材を続行することにした。
仕事では頼りになるものの、プライベートな交友関係になると、なんてこんなにグタグタで頼りないないのだろうと、多田は不思議に思った。