HAPPY END は 二度 訪れる 22




ハイヤーの中で沙穂子はぶすうと頬を膨らませていた。
もう少し、男性社員が早くエントランスに来てくれていたら、あの男をとっ捕まえて、二度と珠貴に近づかないように脅しつけてやれたのにっ! そんな表情がありありと見てとれる。
沙穂子は現『シゲクラ』のオーナーであるアルフォンスにだって、珠貴を護るように云われているのだ。
そんなことを云い含められなくても、沙穂子は珠貴を護る気はある。
一年半前には護れなかったのが、今は違う。
「あの男の言い分を聞き入れることはないわ」
「当たり前です! 珠貴ちゃんは、礼儀正し過ぎるわ! だからアイツがつけあがるのよ!」
「あの男は自分に何かしたら、きっと云いがかりをつけて、『シゲクラ』をまた自分のものにしようと画策する為、沙穂子さんにに無実の罪をなすりつけるぐらいはするでしょうから、あまり乱暴な手は使わない方がいいですよ」
珠貴は、あの場でそんなことを考えていたのかと、沙穂子は目を丸くする。
もしかすると、珠貴は、沙穂子が考えるよりもずっと、吉野和也の人となりについて、冷静な判断ができているのかもしれない。
あのさっきの礼儀正しさは、一年半前に、先代がなくなって、掌を返すように珠貴を切り捨てたあの男の所業があっても、珠貴自身がヤツに対してまだ想いを残してるかも……なんてことを一瞬思ったりもしたのだが、それ杞憂に過ぎなかったようだ。
「わたしがみんなを護るから。安心して?」
珠貴が首をかしげて、沙穂子の顔を覗き込む。
「あ、あたしだって、また珠貴ちゃんをあんな生活に戻したくはないわ!」
「戻らない。大丈夫」
「珠貴ちゃん、そりゃ、あたし達が以前は吉野のやることを止めなかったけど……別に珠貴ちゃんを護りたくなかったってわけじゃないわ!」
「うん、わかってる。みんな生活があるし、その生活の為には給与が必要で吉野はそれを握ってたもの。止めるなんてできないでしょ?」
「……けど。今はそうじゃないもの、あなたを護ることはできるし、阻まれることもない」
「うん。でも、わたしも立場的には沙穂子さん達を護らないとならない責任があるの」
「……でも、あの男、結構切羽詰まってたわ。『シゲクラ』を手に入れる為なら合法的なことはもう打つ手はないわ、珠貴ちゃんを脅したりするぐらいは平気でやるわよ。珠貴ちゃんは『シゲクラ』の顔だもの、今じゃオーナーよりも『シゲクラ』に関しては、業界の地名度はあるのよ」
アルフォンス・カートライトは、珠貴を見出して、会社の上層部に押し上げ彼女にビジネスの成功をもたらした。
倒産寸前の会社を立て直す実業家に見出されたのが、先代の孫娘、20代前半という若さは、マスコミにもてはやされる要素はあるそこを利用して珠貴を『シゲクラ』の広告塔にしている。
それが悪いとは思わない。
先代は自らを広告塔にしていた。
だから、標的にされることもある。
沙穂子はそう云いたいのだろう。
「それも、わかってますよ」
珠貴はそう云って笑うけれど、沙穂子の心配はなかなか消えなかった。
 

アルフォンスを交えたビジネスディナーは、その場に沙穂子がいれば、彼女はハラハラと心配しただろう。
だが珠貴は相手に対し引き際や、押し返しを熟知しているようで、相手も、最初の小娘が何をしゃしゃり出てくるという雰囲気だったのだが、珠貴が『シゲクラ』の実質的後継者と認めたようだった。
こういう場面を、社員の誰よりもよく見るアルフォンスは、内心、こういう場面を社員にも見せてやりたいなと思っていた。
珠貴を会社に戻した時は、珠貴を役員とはわかっているものの、やはりその若さかから彼女に対する対応が軽ろんじられているなと思ったものだ。
今ではそういったことは少なくなりつつあるけれど……全社員の総意とまで
握手を交わして、取引相手とレストランを出て珠貴はトイレにいくといってその場を離れる。
沙穂子と梶本がラウンジでアルフォンスと珠貴を待っていたようだった。
珠貴が歩みよると、アルフォンスは眉間に皺を寄せていた。
「沙穂子さん、何か食べた?」
珠貴の問いかけを遮るように彼が珠貴の名前を呼ぶ。
「珠貴」
アルフォンスの硬い声に、珠貴は緊張する。
「はい?」
「吉野が来たって?」
珠貴は沙穂子に視線を投げる。
珠貴の視線に、沙穂子が報告したことを咎めるような色はなかった。
だから沙穂子も珠貴の視線を受け止める。
「……ええ」
アルフォンスは溜息をつく。
「梶本、ミセス園田に連絡して、珠貴の荷物を僕のホテルの方へ、持ってくるように伝えてくれ」
「かしこまりました」
「どういうこと?」
「珠貴は僕の今、定宿にしてるホテルに暫く滞在するように」
「な、ちょっと待って。どうして?」
「あのマンションは住居にするにはダメだ。それに、吉野が家に押し掛けてくるかもしれない。ミセス園田には、負担になるだろうが、その分料金をかけるから」
「でも!」
「でもはない!」
きっぱりと言い切られる。
「僕の会社を珠貴に譲る気持ちはある、だが、珠貴は吉野に対して懐柔される可能性だって――――」
「わたしが、あなたに、信用されてないということですか?」
珠貴にしてはめずらしくカッとなって云い返す。
「もっと最悪の事態を予想しての発言だよ。キミがしっかりとしてても、相手が押し掛ける暴挙にでる可能性も捨てきれない」
梶本は音もなく傍から離れて、携帯でどこかへ連絡をつけ始める。
多分園田への連絡だろうとアルフォンスも珠貴も思う。
「……」
「僕がいるのは今夜一晩だけだし、明日はタイへ行く。その後はアメリカだ。その間、安全な場所に居てほしい。日本はもっと木造で狭小なアパートはあるし、キミはそこから比較したいんだろうが、そんな物件は論外だ。注目度のある会社役員が住む場所として、あそこはセキュリティがなってない。警備員はいるが、日中だけ、オートロックでもないければ、ドアチェーンだってないんだ」
なら、引っ越しますとはいえない。
引っ越せるような一番セキュリティの高い物件は、管理を任せている会社から借り手がついたと電話があったばかりだ。
「え? あたし、木造アパートだけどドアチェーンあるわ! 珠貴ちゃん、そんなところで住んでんの? やだ、止めて! 今、珠貴ちゃんに何かあったら、あたし達社員はどうなるのよ」
こんな「あたし達社員はどうなる」なんて台詞は、本来沙穂子は使わない。
しかし、珠貴は自分を二の次にする傾向がある。
彼女の為にというフレーズは、珠貴が聞き入れ難いだろうから、あえて、こういう云いまわしをしたのだ。
珠貴はそういうところも理解してる。
「園田さんが、お嬢様の荷物を纏めてホテルへ向かうそうです」
「……それで、みんなが安全だというなら、その指示に従います」
珠貴の一言にみんなホーっと安堵の息を漏らす。
「じゃ、あたしはこれで帰ります! お疲れ様でした!」
沙穂子は勢いよく頭を下げて、帰っていく。
「お疲れ様、ありがとう沙穂子さん」
沙穂子はヒラヒラっと手を振って、ラウンジを出ていった。
梶本は駐車場へと向かう。
アルフォンスは珠貴の手をとった。
「大丈夫、珠貴が望まないなら、何もしないから」
珠貴の指に、自分の指を絡めて、アルフォンスが云う。
たったそれだけなのに、珠貴の体中の血液が沸騰して、心が震える。
あの日のことを思い出して、アルフォンスの腕にすがりついて、甘えたくなる。
独りで立てるように、と、誓ったばかりなのに、それが揺らぎそうになる。
アルフォンスによって与えられた身体の痛みも甘い疼きも快楽も欲している自分がいた。