HAPPY END は 二度 訪れる 16




先ほど沙穂子との会話に出ていた橋田真由子と、廊下でばったり合う。
このフロアは資料室と会議室と役員室で、営業や制作、商品管理とはエリアが違う。
この後に始まる会議には彼女は出る必要はない。
お茶くみでも頼まれたのかと思って通り過ぎようとすると、声をかけられた
「重倉さん……吉野前オーナーと、婚約されてたのに、なんで解消されたんですか?」
ズバリと訊いてくれるなと思った。
「みなさん、詳しく話してくれなくて」
みんなが沈黙を守るのは、珠貴を庇うからだ。
知っていて尋ねているのか、空気が読めないのかどちらだろうと、珠貴は思案する。
感情を見せない珠貴の表情に、徐々に、気不味さを持ったようだ。
「吉野とアルフォンスを比べて、アルフォンスを選択するなら、橋田さんは男の人を見る目があると思います」
そういう切り返しがくるとは思わなかったので、橋田は驚いたように、マスカラに縁取られた目を見開く。
「以前も云いましたが、個人情報の漏えいになるので、携帯ナンバーをお知らせすることはできませんが、本人に直接尋ねるのを止めるようなことはしませんからご安心ください」
動揺もしなければ、怒りもしない。
よどみなくすらすらとそんな言葉を吐く珠貴に、いらだちを感じたようだ。
「あら。ありがとう」
「いいえ。どういたしまて」
「でも、重倉さんから、オーナーに口添えしてもらうと、もっとありがたいんですけれど」
「いいでしょう」
「いいの? ほんとに?」
彼女はギョっとする。
自分の価値観で珠貴を見ていたから、すぐさま珠貴が了解の旨を云うとは思わなかったのだ。
珠貴は一見、消極的で自己主張をしないタイプにとられるのだろう。
実際学生時代はそうだったし、橋田のようなクラスのリーダータイプからは雑用を押しつけられたり、チクチクとした嫌味なんかを受けたりしたものだ。
だが、今の珠貴は違う。
この会社を立て直し、みんなを守っていかなければならない責任がある立場だ。
「わたしという伝手を利用し、アルフォンスという目的を達しようとするのは、野心があっていいことです。アルフォンスを口説き落とせるなら、落してみてください。できればその手腕をビジネスに活用して、仕事をバンバン持ってきてくださることを期待します」
浮ついた甘い感情……そこからくる躊躇いや動揺はなく、『シゲクラ』という会社にだけに総てを注ぐ珠貴の姿勢を目の当たりにした。
「ほ、本当に、重倉さんには、オーナーのこと。ビジネス上のパートナーというだけなんでしょうね」
「ええ」
「絶対ね!?」
「選ぶのはアルフォンス自身です」
「自分が選ばれるっていいたいの?」
ややヒステリックに叫ぶ彼女を見て、軽く溜息をついて見せた。
橋田の容姿は男受けする。
珠貴は彼女が持つような女性的な雰囲気が自分にもあればと常々思っているのに、彼女自身は自信がないのだろうかと珠貴はいぶかる。
「わたしとは、云ってません。あなた以外を選択したら、わたしの前でヘンな牽制は辞めてください」
「現状では、貴方が彼に近いから……」
珠貴は感情を殺した目で彼女を見つめ、彼女の言葉を遮るように、珠貴は云う。
「もう一度、云いますが。あなたの言動で『シゲクラ』の再生が滞ったり、傾くようなことがあれば、わたしは貴女をわたしの前から排除しますのでそのつもりで」
橋田はそそくさとその場を逃げ出すように去って行った。
橋田のようなタイプは、多分学生の頃からこんな恋愛のさや当てを続けてきたんだろう。自分の狙いを定めた男を手に入れるために、障害になりそうな相手をその美貌と言葉で牽制してきたに違いない。
小走りに走り去る橋田の後姿を見て珠貴は溜息をつく。
橋田はまだ序の口だ。
アルフォンスにみあうレベルの財産も美貌も地位も持つ女性は、たくさんいる。
彼女がそういう女性達にあっても、堂々とやりこめるかどうか一度見たい。ああいう場合のさやあては、ビジネス会話術に通じるものがあると珠貴は思った。

 
アルフォンスのオフィスドアノックすると。彼の声が聞こえてきた。
そっとドアを開ける。
電話中の声だったのだ。
珠貴はそーっと、ドアから部屋入る。
「NOといったらNOだ。そちらは僕に会社を売り渡したんだ。『シゲクラ』は僕の会社だ契約書どおり」
アルフォンスの青い瞳が、鋭く光る。
橋田を始め、独身の女子社員がうっとりするような王子様然としてる甘い表情はなくて、そのブルーの瞳は、氷の結晶かと思うほどの冷やかな輝きだった。声の荒さも、口調の力強さも、珠貴が始め見るアルフォンスだった。
「キミを役員待遇で迎え入れるつもりはないし、会社を買い戻すなんてもってのほかだ。ここは、僕の会社だし社員は僕の社員だ。今後一切電話も受け入れない」
まるで電話相手が彼の前に立っているかのようだ。
視線だけでなく、その声も、ドライアイスのように冷たい。
乱暴に受話器を叩きつけたあと、アルフォンスは思いっ切り英語で悪態をついた。
見るからに上品な面差しの彼にふさわしくない言葉遣い。
スラングを吐き捨てている。
以前洋画を見た時に耳に覚えている単語だから……珠貴にもわかった。
そして彼が少し怖いとも感じた。
本気で怒っている男の姿を目の当たりにしたからだろう。
そのうち、珠貴は、彼だけでなく、他の男が出すこうした怒りに直面することも今後でてくる。
それを考えると、怖気づいてはいけないと心の中で自分自身に言い聞かせた。
アルフォンスは、珠貴の姿を見ると、手を広げて、珠貴を招き寄せる。
傍に寄っても大丈夫なのを確認して、珠貴はアルフォンスのデスクに近づく。
アルフォンスは珠貴の手をとると、彼はその指を自分の唇に押し当てた。
ドキリとする。
そのドキドキの隙をつくように、アルフォンスは珠貴の腕を引き寄せて、自分の膝の間に立たせ、腕を引いて、自分の膝に珠貴を座らせた。
さっきの様子を見ていた珠貴は、抵抗はしないで彼の膝に乗る。
「sorry」
「どうして謝るの?」
「怖がらせてしまったかなって。キミに怒ってるわけじゃない。電話がね」
「……吉野から? もしかして、こういうの、何回か、かかってきてた?」
「ああ」
コツンと珠貴のに自分の額を擦り合わせる。
シェーブローションとコロンが入り混じった彼の香りが、珠貴の鼻孔をくすぐる。
こんな状態を第三者が見たら、どう思うだろう。
橋田はきっと、さっき自分に云った台詞とやってることが違う! とヒステリーを起こすだろうし、沙穂子はきっとはしゃぐだろうし、珠貴のことを先代重倉の孫娘で会社における可愛い跡取りで、孫や娘や妹のように思ってくれてる社員はきっと吉野の二の舞になるんじゃないかとハラハラするに違いない。
「もし……アイツから何か連絡してきたら、僕に知らせてほしい。他の誰にも、もうキミを傷つけさせない」