HAPPY END は 二度 訪れる 13




「おじいさまの家です」
珠貴は高い門扉の向こうにある洋館に視線を向けている。
「……すごいな」
彼女が一人で維持するのは大変だと云っていた意味が、実物を見ると納得できる。
「中に入ってみます?」
「入れるの?」
「マスターキーは持ってます。まだ、借り手はみつかりませんから」
ジャラっとキーホルダーを手にしてみせる。
門扉横の勝手口のドアのカギをあけて、そこから中へ入る。
門扉の横にある鍵のかかった箱をこれも合いカギで開けると、そこに設置されていたのはセキュリティシステムだった。
それを解除する。
剪定していないので、庭木や雑草がひどい。
正面の門さえ開けることができれば、車も中に入れるだろう。
「本格的な洋館じゃないか」
「でも、土足厳禁ですよ、ちゃんと玄関で履き替えです」
「へー」
「おじいさまは、婿養子だったんですって。だから奥さんのおうちや奥さんが生きている間は、そちらの意向をくみ取っていたらしくて、奥さまが亡くなられたら、ご自分の趣味でこの洋館を建てられたんです」
「……そうなんだ」
「奥さまと、奥さまのご家族と暮らされたのは、古き良き日本家屋だそうです。そこは……現在、吉野の家が管理してます」
「いいね。この家」
「ほんと?」
「ああ、思いっきり、クイーンアン様式だ。僕は好きだよ」
「アルフォンスは、きっとおじいさまが生きていたら、趣味が同じで話があったかもしれないわね」
「……」
「この洋館にふさわしい家具、ダイニングテーブルにリビングのソファ。おじいさまがデザインしたインテリアの数々……」
――――いつか、珠貴が結婚する時は、この家をあげよう。
――――結婚……。
――――私が望めなかった暖かな家庭をここで作ってくれればいい。
それがおじいさまの望みなら……そう思っていた。
恋に恋していたことも含めて、結婚するなら吉野は条件的にもいいと、その時は思っていた。
結果は今の状態……。
結婚に、自分の幸せを求められないのは、おじいさまだけでなく、わたしもだ。
おじいさまが愛した会社を、わたしの家族にして、これから生きていく。
おじいさまのように。
「子供達の声が溢れるような家にというのが、おじいさまの口癖」
――――いつか、子供が産まれたら……にぎやかになるわ。本当の家族になるのよ……あなたも……あたしも……。
アルフォンス自身が妻のリナと結婚してマイホームを構えた時、彼女はそう云った。
仕事で家を留守がちのアルフォンスに対して、一度も寂しいとは云わなかった。でもきっと心細かったに違いない。
だから、はやく子供をと、彼女は思っていたが……。
子供よりも早く、彼女の身体に訪れたのは死の病だった。
「おじいさまの願いは……わたしが結婚して、ここで、家族を作ること……子供の笑い声や、わたしの笑い声が絶えない家になることだったんですって」
「……珠貴」
「その願いは叶えられそうもないですね。結婚は……多分、しないでしょう」
「そんなことないさ」
「……」
「キミはいつか本当の恋をして――――結婚して……暖かい家庭を作れると思うよ」
アルフォンスは自分の発言にギョっとした。
目の前にいる彼女が……。
近い未来、本当の恋をして、想うだけでなく、相手からも想われて、二人で寄り添って人生を歩いていく。
自分に向けてくれる、信頼に満ちた瞳も、この先に待つ、思いがけない出来事でも、受け止めていくだろう強さ。
そして……笑顔も……。
自分以外の男に向けられていく。
自分が、彼女の手をとって人生を歩くことはできないなら、それは、当り前のことなのに……。
それを想像したら、未だ現れない想像上の男に猛烈な嫉妬を覚えた。
でも、この想像した未来は……いずれ現実になるのだ。
「僕が……リナに出逢ったように」
珠貴はその言葉を訊いて、やはり、今でも、亡くなった妻を彼は愛してるのだとはっきりと思い知らされた気がした。
「結婚はいいもの?」
珠貴の質問に、アルフォンスはすぐさま答える。
「もちろんだよ」
「……」
「僕はもう、結婚しないけどね」
「……結婚はいいものなのに、しないの?」
「奥さんになった人が寂しがるよ、病気になっても、見舞いにも行かず、こんなに世界中を回ってる男なんてダメだろ?」
「お見舞いに行かなかったの?」
「何もしてあげられなくてね。それがいやだった」
見舞いに行くと、いつも笑顔で迎えてくれたのに。
「無力だって思い知らされた。で、仕事に逃避。最低だろ?」
――――死は誰にでも平等にやってくる。
珠貴を救った彼の手が、珠貴の手を握り、その持ち主は淡々とそう云った。
――――それは自然の理。
――――だから、お前がそんなに泣くことはない。
――――私はいま幸せだ。
――――たった一人では築くことができないのが家族。
――――人生の最期で、愛する家族と過ごせる。これ以上ない幸福。
――――願わくば、珠貴、お前にも……。
珠貴はアルフォンスの手を握り締める。
アルフォンスは傍にいる珠貴を見つめる。
「珠貴……」
握り締めてくれた手を握り返す。
――――わたしが幸せにしたいと想う人は、いつも誰かを想ってる。
でも、祖父との想い出が……自分がいてくれて幸せだと云ってくれた想い出があれば、この先、恋が実らなくても救われる。
「後悔してるなら、幸せにならないと、ダメです」
「……キミに説教されるとは……思わなかったな」
珠貴ははっとして、あわあわとアルフォンスにつないだ手を振りほどこうとする。
その仕草が、小さな子供のように愛しくて、アルフォンスは手を握り締めたまま、珠貴を引き寄せて、抱きすくめた。
「ごめんなさい、アルフォンス……生意気だった?」
「ちょっとね、嫌いじゃない。嬉しいけど、少し困るよ」
「な、何が?」
「……まるでキミが僕を幸せにするって、云ってるようなもんだろ?」
「な! どういう解釈!?」
「あんまり優しくすると、男は馬鹿だからつけあがるぞ、珠貴」
「そ、そんなこと! わたしは……優しくなんか……な……い……」
言葉の最後はアルフォンスのキスに遮られて、言葉にならなかった。
唇を重ねられて、珠貴の見開いた瞳を、アルフォンスは薄眼で確認する。
舌で、そっと唇を圧し開く。
小さな歯列を舌でノックするようにすると躊躇いながら小さな舌の先端をアルフォンスの舌に合わせた。
その舌を包み込むように、吸い上げられる。
彼女の柔らかい唇を何度も唇で挟んで、名残惜しげに、放した。
「こんなダメな男に、こんなキス許してちゃ、ダメだよhoney。優し過ぎると、誤解するよ。男は」
「今のは、ふい打ち……」
奥さんのこと想いながら、こんなキスをするのは、確かにひどい男だと珠貴は思う。
嬉しそうで、してやったりの彼に、どんな言葉をかけるか珠貴は考える。
「日本にはキスの習慣はないし――――キスしたことがなかったから、わからなかった。気をつけるわ。アルフォンス」
冴えない言葉だなと珠貴は思う。
しかし、アルフォンスは思いの他、この言葉に動揺していたようだ。
珠貴はその様子に満足して、大人しく抱きしめられることにした。