HAPPY END は 二度 訪れる 1




祖父との想い出を遮るように、携帯の電話が鳴る。
「……沙穂子さん……?」
液晶画面を見るとかつての知人からの電話だった。
片手バラの花束を抱えたまま、珠貴は電話の通話ボタンを押す。
「珠貴ちゃん?」
「はい、珠貴です。おひさしぶりです」
相手は祖父が経営してた重倉ファニチャーの女性社員からだった。
重倉ファニチャーは、業界ではそれなりにブランドはあるけれど、祖父が一代で築いたものだ。
まさに家族が集う、家族が使う。をモットーに、制作販売する家具同様、会社もアットホームな雰囲気の会社だった。
祖父がいずれ、珠貴に残そうとしていた会社。
社員も、みんな、珠貴の存在を認めていた。
重倉祥造が生きている間は……いずれ彼女の時代がくると、誰もが思っていたものだった。
数日前、電車の中で見た週刊誌の吊り広告の見出しが珠貴の脳裏によぎる。
『重倉ファニチャー、事実上の倒産か!?』と、いう見出しだ。
自然と出る声もかすれる。
「元気?」
「はい」
この時間はまだ勤務中のはずだ。
いやな予感が珠貴を包む。
「あのね、貴女を探してる人がいるの」
「……どういうことです?」
「どこから話したらいいのかしら……現在の会社……重倉ファニチャーのことは、知ってるわよね?」
「はい」
祖父の残した会社は、あの男によって、傾いた。
あの男を招いたのは自分。
時間を巻き戻すことができるなら、あの時に戻って、自分を殴りつけたい。
なんであんな男に入れ上げたのだ。
あの男は『重倉珠貴』ではなく、『重倉ファニチャー』を手に入れたかった。
だから創業者の重倉祥造の孫娘である珠貴に近づいたのだ。
珠貴はそれを見抜けなかった。
珠貴に近づいて、珠貴に恋をしかけて、婚約までこぎつけて、そして運悪く祖父はなくなり、そして珠貴との婚約を解消し、会社はあの男の手に落ちた。
そして、その男は祖父の愛した会社を倒産に追い込んで逃げ出したのだ。
6年前ならそこそこはあった猜疑心。自分に近づく者が、下心なしに近づくなど少なくはないことを疑ってみるべきだったのに。
そういう面で、珠貴はウブだった。
否。
そういう部分を、祖父の重倉祥造が、珠貴からとりあげたのかもしれない。
自分の庇護があれば、珠貴には危険はないと。
いろいろと苦労した孫娘を、何があっても守る。
珠貴自身は汚いことも、つらいことも、もう何もそういった不幸には近づけさせたくない。
そう思ったのだろうか。
が、猜疑心や用心深さは時として必要だ。
あの過保護ぶりは祖父のマイナス面の一つだと、今なら思える。
だが、祖父がマイナスの面を珠貴に与えたとしても、珠貴にとっては祖父と過ごした時間は宝物だ。
「先日、新しいオーナーが、会社に来たの」
「オーナーは日本人じゃないんでしょ?」
「ええ。でも親日家でね、日本語は上手かったわ。ウチの製品のファンだったらしいの。今の状況を見るに見かねて、買い取ったとか云ってた」
重倉のブランドを欲しがる会社はいくつもあったはずだ。
多角経営をする外国の実業家が買い取ったと新聞の経済欄にそんな記事があったことを思い出す。
まさにホワイトナイト。
珠貴は墓前に供えたバラに視線を移したまま、携帯を耳に当てている。
「そのオーナーが、貴女に逢いたがってるの」
受話器向こうの彼女の声が、躊躇いながら、そう伝える。
「なぜ?」
「貴女が創業者である重倉祥造の孫娘だからでしょう」
バカバカしい。という悪態をのみこんだ。
創業者に逢いたいのはわかるけど、孫娘に逢ってどうする。
あの男がやったような手段は重倉祥造がいてこそ、効果があるのだ。
重倉祥造がいない今、珠貴自身に価値はない。
それは誰よりも珠貴がわかっている。
「会社再建に、貴女の力を借りたいと云ってたわ」
「……23の小娘に?」
「でも、貴女は、会社にかかわりがあったわ。あたしよりもずっとよ」
「ご謙遜を」
「事実よ」
15の時、祖父に引き取られてから、祖父の会社は珠貴のもう一つの家だった。学校帰りに遊びによっては、社員と話たり、仕事を手伝ったり。もちろん長期の夏休みとか冬休み、春休みでも、珠貴は会社でアルバイト扱いで働いたのだ。
祖父に勧められてではなく自発的にそれを行った。
今まで貧乏で手に触れることのなかったインテリアの数々は、珠貴にはひどく興味をひかれるものだったのだ。
「貴女は今、生花店で働いて、競りの時間にも出勤だから、夕方は仮眠時間でしょ? 今ならまだ、起きてて……家にいるか、先代の墓参りかどちらかだと思ったから……って云っちゃったのよ……この電話は教えなかったわよ、もちろん」
「……」
「ごめんなさい……」
「……別に謝らなくてもいいですよ、そんな人物が逢いに来るなんて電話で云われても、ピンときませんしね」
「あたしからも、云ったのよ。その新しいオーナーに。逢うなんて無駄だって、でもねでも……その、珠貴ちゃんの救いになるかもって思って」
「……救い?」
「うん……その、彼なら、悪いようにはしないって思ったの」
「沙穂子さん、そんなに信用に値する人物なわけ?」
「そう切りこまれると、断定はできないけど……」
沙穂子はそういって口ごもる。
これでは、どっちが年下なのかわかりはしないと、珠貴は苦笑する。
「信用したいくらい、カッコイイんだ?」
「勉強家ねえ、相変わらず。経済誌にも目を通してるのねー」
「しがない生花店のアルバイトですけど」
電話向こうの沙穂子は、新オーナーの容貌を知っている様子の珠貴に感嘆のため息をつく。
「実物は、もっといいわよ。一見の価値ありよ。実業家ってよりは……俳優とかモデルみたいだった。あの見事な金髪碧眼は日本人には憧れるわ」
それで、家柄もよく実業家か……天は二物も三物も、与える人には与えるものだと、珠貴は思う。
何もない自分とは違う。
「連絡ありがとう、沙穂子さん、多分わたしは何もできないと思うから、そのオーナーの言葉はなかったものと思っていいですよ」
「珠貴ちゃん」
「お仕事頑張ってください。それじゃ」
ピっと携帯の通話ボタンをオフにしてフリップを閉じる。

――――おじいさまの会社は、海外の事業家の手に渡ってしまったようです。
自分が、あの男の云うがままにならなかったら。
もう少し、年をとっていたら。
事態はもっと好転していただろうか。

――――いいや、そんな力、わたしにはありはしない。

でも、あの男のように、会社を改変……改悪はしなかった。
敬愛する創業者の遺志を引き継いだ事業なら継続していた。

――――わたしが事業を引き継でも倒産しただろうか。

「ミズ、タマキ・シゲクラ?」
その声は柔らかくて深みがあった。
まったく声質が違うのに、かつて、この墓に眠る老人に呼ばれているような錯覚させ引き起こした。
「失礼、重倉珠貴さんデスカ?」
珠貴は呼ばれた方へ振り返る。
そこに立っていたのは、重倉ファニチャーを先日買い上げた実業家。
アルフォンス・カートライトが立っていた。