A miraculous day5




電車に乗り込んだとき、まだ高校生か大学生ぐらいの少女達の会話が、高遠初音の耳に入ってきた。
盗み聞きではない。彼女達は公共の交通機関で声高にする会話だから、自然と漏れ聞こえてたのだ。
「奏司のバースデーライブは、もう力はいるよね! 今日はもう絶対なんかやってくれるって」
「今年はツアーがあって、ファイナルの代々木に行ったけど、やっぱバースデーライブは別!」
「もう予約したシングルゲットしてきたもん! あたし」
「あたしもー!」
「もーチョーカッコイイ。彼氏が奏司だったら、文句ないわー」
「いや、神野はあたしのだから」
そんな言葉を電車に揺られながら聞き流す。
どこから聞いても、それは神野奏司の本日行われるライブに行くファンの会話だ。
無邪気に神野奏司に憧れているファンの会話。
無関心を装いながら、ドキドキしていた。
うちの娘はその男と、結婚してるんですと、心の中で想う。
彼女の娘は数ヶ月前、8歳年下の男性と結婚した。
8歳年下の男性がその今、電車の中で興奮してる少女達の話題の人物であるのだ。
ずっと離れて暮らしていて、高校生ぐらいからはもう、母親との距離を取っていった娘が、今年、結婚し、式の時にはもう娘のお腹には命が宿っていたのだ。
結婚を機会に、もう少し実家に連絡を入れてくれるものと思っていたのだが、何も連絡なくて、身重の彼女に連絡をいれると妊娠中期に中毒症にかかって数日入院したとか、結婚先の家の人間と戌の日に参拝にいったといか、そんな事後報告だけで、内心はおもしろくなかった。
だから余計に。
数時間前、娘からの電話を受け取ったときは、泣き出しそうだった。
自分の事はまだ親だと思ってくれていたのだと感じたのだから……。
若く結婚して、旦那に先だたたれて、生活するだけで精一杯で仕事に精力を向けて、娘の幼いころは手をかけられなくて。
娘が学生の時に今の夫君と再婚をしたものの、連れ子に遠慮して娘は自ら家を離れて行った。
親らしいこと、したくてもできなくて。負い目はあった。
そして、これから親らしいことをしようと思った時は、娘から距離をとられて……。
緊張しながら連絡をくれたのだ。
今の夫君はともかく、義理の娘にへそを曲げられても、初孫の出産には駆けつけたいと思うのだった。
が……。
「男に使う形容詞にはそぐわないけど、セクシーだよねー」
「つーかエロいっ」
「アルバム得点のPVのDVD観ると思うわー、あの瞳がねー」
「マイク掴んでる指がイイね」
「わかるっ!」
聞こうとしなくても勝手に耳に入ってくるその話題に、初音はため息をつく。
娘の相手が……。
彼でなければ、どうだっただろうと思う。
もっと娘と年の近い、もっと大人の男だったら、もう少し、ヤキモキする感じは軽減されていたのじゃないだろうか? 
年下で、職業が、歌手。
初音にしてみれば、いつ干されてもおかしくないアイドルとしか見えない。
職場にいる娘よりも若い後輩に、アイドルとアーティストは違うと力説されても、対して変わらないじゃないかと思う。
本人は一応大学を出て教員免許を持っているという。
一度、きちんとした職業じゃないと静に愚痴を云ったら、それからしばらくは連絡が入らなかった。
娘が……本当は、歌手になりたかったなんて、知らなかった。
なんでも我慢して生真面目で、おとなしいとさえ思ってた。
そういうタイプの娘が実は歌手になりたかったなんて思いもよらなかったのだ。
夢をかなえてくれる相手だからこそ、愛したのだろうかとも思うが……。
でも、ただでさえ年齢差があるんだから、職業ぐらい堅いものがいいという娘を心配する親心からきている言葉だったのだが……それとなく云ったら、結婚を機に増えていた電話連絡が途切れたのだ。
――――でも、こうして連絡をくれてるんだから、行ってもいいのよね。
バッグの取ってもギュっと初音は握り締めていた。
 
病院につくと総合案内板に視線を通して、産婦人科のフロアへエレ―ベーターで赴く。
フロアのスタッフステーションで部屋を訪ねると、個室と思われる部屋番号を告げられた。
個室の方が、金額は張るが、プライベートは守られやすい。
部屋をノックして、引き戸を引くと、神野美和子が顔を覗かせた。
「静さん、お母さん見えたわよ」
「……」
ちょうど陣痛の時なのか、顔をしかめている。
「今、どれぐらい?」
「さっき3センチだって」
「……じゃあまだね」
「お母さん……仕事は?」
「今日は夜勤」
「じゃあ、これから出勤されるんですか?」
美和子が驚いて尋ねる。
「はい」
「……」
こんな時なんだから傍にいてあげてもいいんじゃないかなと、美和子は思う。でも、静の方は、ほっとしていた。
母親には母親の生活サイクルがある。
特に仕事は……大事だ。
資産家の後添えになっても、自分の仕事を捨てなかったのは、すごいと思う。再婚当初数年は、専業主婦をしていたが、静が家を離れてから、復職したのだ。
結局仕事は、静の母親にとってなくてはならないものだった。
静はその背中を見て育ったから、あれだけ静も仕事に自分をかけることができたのだ。
「……お仕事、休まれないんですか?」
美和子の言葉に、初音は笑う。
「ここで休んだら、やっぱり実の娘が……ってね」
「綾子さんはもうそんなこと、云う年でもないと思うけどね」
静の言葉に初音は頷く。
「まあね」
「この様子じゃ進んでも子宮口5センチぐらいで、職場へ行くことになりそうね」
母親だからというよりは、本職らしい発言だなと静は思う。
「どう思う?」
「何が?」
「奏司がここに来るまで、産まれると思う?」
「仕事終わるの何時?」
「9時過ぎ」
「んー……ここの医師にもよるけどねえ。陣痛が微弱だと促進剤を使用して……ラミナリア射れて、そうなると早くて4時間後ってところか」
「……」
「個人差があるし一概には言えないわ。本人の体調で順調に進む場合もあるだろうし」
「そう……」
「面会時間は切れても、例外に当たると思うから、夜勤明けにもう一度、顔を見に来る」
美和子は慌てて、「え? もう?」なんて表情で初音を見る。
「……『初孫を見に来る』でしょ」
静の言葉に初音は頷く。
「アンタが、母親になるんだから、この数時間は踏ん張りどころよ」
「……わかってるわ。おばあちゃん」
「云うじゃない。じゃ、神野さん、娘をよろしくお願いします」
「あの、あの。もう?」
「はい、思ったよりも順調そうで安心しました。中毒症で入院したなんて以前聞いたもんですから」
「はあ」
「またきます」
引き戸の向こうに姿を消した、初音を見送り、もっとこう実の娘なんだから声をかえたりしてあげても、とか、仕事は休んでもとか、ぐるぐると美和子の頭のなかでそんな思いがめぐる。
が、ベッドの上の静の表情を見ると、驚く。
「……ああいう人です。でもあの人らしくて、そこは嫌いじゃない」
静はそう呟いて微笑んでいた。