A miraculous day4




「……」
繋がるかなと不安があったが、奏司はすぐに携帯に出てくれた。
『静? どうした?』
「奏司、あのね、ごめんね」
『え?』
「赤ちゃん、産まれる……」
一呼吸おいて携帯から奏司の声が響く。
『ええええ!?』
「検診に行ったら、おしるしがあって、おなかの張りは陣痛だったみたいなの。だから、お医者さんが今日、出産しましょうって」
『なんで謝るの? 謝ることなんてひとつもないっしょ? ありがとう! 静、ライブ終わったら即行で病院に行くからね、ちゃんと立ち合うよっ!』
「でも、もし……早く産まれたら」
『静、大丈夫、安心して、オレが間に合わなくても、それはそれで気にしなくていい、安心して、赤ちゃんのことだけ考えて』
奏司の声を訊いて、緊張と不安があった自分を再確認する。
そして、その声でその緊張と不安が薄れていくのもはっきりとわかる。
「……そうね」
『すごいね、オレの誕生日だよ、静。オレの誕生日にオレの子が産まれるなんて……こんな奇跡ないよ』
「やっぱりそう思う?」
『うん。MWの年末特番がライブに入ってくるから、それでも見てて、痛みを紛らわしてね……て、TVあるよね』
「うん。ある。今ね、美和子さんもいてくれる」
『よかったー。静一人にしてなくてー。静は冷静だけど、やっぱり一人にするのは不安だったんだ。オレの勘ってすごくない?』
「それにはとても驚いてる」
『だろ? 終わったら、すぐにいく。だから頑張って』
「奏司もね」
『……頑張るよ』
「うん」
『じゃあね』
 
奏司はピっ通話ボタンをオフにして、パクンとフリップを閉じる。
「佐野さん、由樹さんオレが結婚したって、このライブで云うのあり?」
由樹はシンセサイザーの打ち込みを確認していた作業の手を止めて、奏司を見つめる。
佐野は渋い顔をつくる。
「……僕は構わないけど、佐野さんがねえ」
由樹がマネージャーの佐野を見る。
「俺もいいんだけど、藤井さんがねえ」
藤井とは佐野の上司で、奏司が契約してるプロダクションの人事部長。かつて静の上司でもあった人物。
奏司のビジュアルを考えるならもっと音楽だけにこだわらず、ドラマやモデルでメディアに展開していきたいと考えてる人物だ。
しかし、その彼も実は奏司が結婚していることを知っている。
「いーじゃん、フォーカスされるよりも、自分で申告するのはダメージないでしょ?」
「なんで今いきなりなの?」
「オレの子が産まれるから」
「いやそれは年明けでしょ?」
「いや、今日」
「……」
「……」
「……」
佐野と由樹そして由樹のマネージャーの高原が一斉に息をのむ。
「たった今、静から電話があった。出産するから今から入院するって」
「うーん」
「MC代えるのかー」
「ダメ?」
「お前、ここでダメとか云っても絶対告知する気満々だろ?」
佐野が叫ぶ。
「本日オレの誕生日、ライブ初日、シングル発売日、これにオレの息子の誕生日だぜ。絶対絶対、マスコミだって友好的に書いてくれるって」
「奏司はさぁ」
由樹が切り出す。
「子供が産まれたら、結婚してるって、公言するつもりだったんだろ?」
「うん」
奏司は素直に頷く。
「オレが欲しかったものを、静はくれた。好きで好きでたまらなくて、オレが若いから、仕事もからんでるし、だから付き合ってくれてるのかなって思ったこともあるけど、でも違った」
――――静は本当にオレを愛してくれた。
好きな人から同じだけ愛されるのは奇跡だと奏司は思う。
――――オレが勝手に不安になってどうやったら静をつなぎとめておけるんだろうってそう思ったら、もう既成事実しかないなって、男としてはマジサイテーなことをしたけど、それでも静は受け入れてくれた。
年下の恋人が気まぐれにした行為に、怒らずに、動揺もしないで、ただ受け入れてくれた。
奏司が結婚を云いださなくても、きっと、静は彼女の中で育っているベビーを、大事にしてくれただろう。
結婚しなくても、奏司の子だと思えば、大事に育んでくれただろう。
家族という絆を自ら手放したはずの彼女が、そう決断するのは、どんなに気持ちに労力が必要だったか。
「デキ婚なんてかっこよくないとか思われるかもだけど、他人に何云われたっていいよ、オレはオレの家族が欲しかった。手に入れたんだから、オレが守るよ。当たり前だろ。歌うなって言われたら、いいよ、歌わない。オレの家族が聴いてくれるからね」
「わかった、わかったよ。ここで告知されたらマスコミ対応がめんどくせーなーとか俺の正月休みどうなんだよーとかそういうの一切合財覚悟しろってことだろ? なあそうだろ?」
「YES」
「くああっ。なんで担当した途端にコレだよ」
「いー経験じゃーん」
「奏司!」
「佐野さん、藤井のカミナリのバックアップは僕も手伝うから、奏司の云う通りにしてやってよ」
シンセサイザーから離れて、由樹は云う。
「僕は奏司と一緒に仕事をするのがここ数年すっげえ楽しいの。奏司が歌わないって言われるのはやだなー」
「……」
「……わかりました」
奏司はグっと手のひらを握り締めてこぶしを作る。
「っしゃ」
高原は由樹の耳元でささやく。
「奏司は天然で云ってるだけだろうけど、貴方には、考えあってのことですよね」
「……」
由樹は高原を見上げる。
年齢も性別もはっきりとしない美貌のプロデューサーは口角を上げて笑みを浮かべる。
「僕も天然だよ」
この大ウソツキがという言葉を高原は呑み込んだ。
 
「静さん、タクシーそろそろ来るわ、行きましょ?」
入院用に準備してあった旅行用のバッグを軽々と美和子は持ち上げる。
外出の最終確認をして、一緒にドアを出る。
鍵をロックすると、そのカギを美和子に渡す。
「暫く、この鍵を預けるので、お願いします」
「うん。わかったわ」
「隆司叔父さんは?」
「すぐにメール着た。仕事が終わり次第病院に寄るって」
静は頷く。
「お母さんは?」
「病院の住所と電話番号は知らせました。来るとは云ってましたけど……」
「……」
「ダメですよね、母は別に私のことを普通に、普通の娘として思っていてくれてるのはわかってるんですけれど……私がやっぱり母に対してはちょっと距離を置きすぎてて……わかるんですけど……」
「うん。母親だもの。わかっててくれてると思う」
「……はい」
「おなかはどう? 痛い?」
「張りかなっていうのは、午前中よりはなんだかはっきりしてきてるみたいです」
「じゃあ、陣痛も順調なのね多分」
「はい」
「でもラッキーよね、検診に行ってわかるなんて」
「そうですよね、夜中に誰もいなくて、破水から始まるお産もあるんですよね。きっとそんなだったらパニック起こしてました」
そう、最悪なことはどんなことでも想像できるけれど、それと比較すれば、現状は大丈夫。
歌恋と仕事をしてた時には、こんなポジティブな思考は、静にはなかった。
これも奏司が教えてくれたことだ。
だから。
これから数時間後にくる痛みは、静にとって初めてのものであるはずなのに、なぜか不思議と怖いとは思わなかったのだった。