Fruit of 3years6




二人で過ごした翌朝は、いつも感じていたけれど、今朝はその倍、目覚めた時、身体が重くてだるかった。
「何時?」
「8時」
その時間にギョっとして、起き上がろうとするが、体中に特に腰に腹部に、鈍い痛みを感じる。
「そんな無理に起きなくても……原因はオレだけどさ」
身体を起こすと、奏司はそう呟いていた。
静は、いろいろと訊きたいことを抑え、眉間に皺を寄せて、昨夜、何度も浴びているのに、もう一度シャワーを浴びて、身支度をする。
そうして、だるさをなんとか身体から追い払った。
今日が休みなら、どれだけよかっただろうと思う。
すぐに会社にいけると思ったのに、身体が思うとおりに動かず。アシスタントの井原に予定していたスケジュールどおりに「ぶるうべりー」をスタジオ入りさせろ午前中だけでもよろしく頼むと指示を出した。
「静、身体……その……」
「気が済んだ?」
ベッドの中では、あんなに頼りなげで、大人しくて素直で従順だったのに……身体を起こしてシャワーを浴びて服を着てしまえば、全然隙がない。
そんな彼女を見て奏司は云う。
「嘘つき」
昨日から言われた言葉。
嘘つきと。
彼に対して嘘はない。
「歌恋さんよりオレよりも、そいつらがいいの?」
一番は奏司。
それは今も変わらない。
歌恋よりも千帆よりも強烈に、静の心に響く歌を、彼は持っている。
彼に代わるものなんて、この世に一つとしてない。
願いが叶うなら、ずっと傍にいたい……。
だけど。
この目の前の彼は、自分に一人のモノにしていい存在じゃない……。
「静」
奏司はベッドに腰掛けたまま、小さな子供が抱っこをねだるような仕草で両手を広げる。奏司の傍まで歩み寄ると、奏司は静の手首を掴んで引き寄せる。
正面で抱きつきたいのかと思っていたけれどそうじゃなくて、静を自分の膝の上に座らせる。
「とりあえず、昨日のは、ごめん。ちょっと感情的になりすぎた」
コツンと自分の額に静の額を押し当てる。
「身体、平気?」
「痛み止めが欲しい」
「……ごめん」
「どうして、あの場にいたの?」
「……怒らない?」
「怒らない」
「静が担当してる新人が、あのスタジオでレコーディングするって訊いて、マネージャーに時間合わせて、そこでの仕事を抑えてもらった」
「仕事?」
「うん、オレもちょっと楽曲提供することになって、そのレコーディングに立ち会うことにしたんだよ」
「そう」
「逢いたかったんだ」
「……」
「『この間、逢った』とかいうのナシ。こうやって話したかったんだよ、静と」
「……うん」
逢いたかった。
確かに奏司の云うように「この間、逢ったじゃない」と思ったけれど、奏司は静の云いたそうな言葉を察していた。
本当は、彼の云うように、セックスをするだけして、はいさようならじゃなくて、普通にこうして、傍に触れて何気ない会話とか、したかった。
それをすると、彼と離れる瞬間、身を切られるように切なくて寂しくなる。
「静ってさー、あれだよね、自分が欲しいもの最初から手に入らないなら、自分の傍に近づけないタイプだから、オレと距離を置く理由ってそれ?」
図星をつかれて、静は奏司を見つめる。
あたり? と彼は首を傾げて、静の頬に小さなキスをする。
「オレは静のモノだよ」
「……キミはキミのもので、そして、キミをキミの歌を好きな人たちのもの」
「……オレ自身は、存在しちゃだめみたいだな。ボーカリスト、神野奏司じゃない、ただの神野奏司だよ、静を好きになったのは」
「……」
「オレをこうしたのは、あの石渡さんと、そして静だよ」
「……私?」
「由樹さんから訊いてるんだ、新人担当して休みなしだって。オレの時もそうだったよね」
そうだっただろうかと、静は思い出してみる。
いつも、この彼と一緒にいて、それが仕事でもプライベートでも一緒で。でもそれが苦痛とは感じなかった。
忙しかったけれど、とても充実していた。
「静はなんだか凄いところから仕事とってきて」
「すごいところ?」
「某有名RPGゲームのCM。シリーズの新作のヤツ」
「あれぐらいそうでもないでしょ?」
「さらっと云ったな今。アレ小学生に大人気、二回目の教育実習の時は、高学年の児童に歌えとか強請られたよ」
「そうなんだ」
「そうなんだよ。大御所の監督の映画のテーマソングとか」
「ああ、そっちの方が、気は使ったかも」
「……そんな調子で、今の新人の為に働いてんのかと思うと、やっぱり、あの時、マネージャーの交代を、ゴネて、そのまま静にいてもらえばよかった」
奏司についた新しいマネージャーの佐野は、ベテランだし、有能だ。
自分とは比較にならないだろうと静は思う。
「オレと一緒にいるの、ヤダ?」
「……」
一緒にいたいと、即答できない。
本当は声を大きくして答えたい。
でも云えなくて……。
「傍に、いたいって思ってくれる?」
「思うに決まってる」
静は奏司の肩に顔を埋める。
「オレは、頼りない?」
「そんなことない」
――――私が、キミを守りたいのよ。
愛してるから、キミのために、何をすればいいのか、いつも考えているから。
だから、傍にいたいという気持ちよりも、そっちを優先してしまう。
22歳のキミの未来。
未来にある幸せ。
それを守るなら、どんなことでもする。
「オレをこんな風にして、静はオレから離れていくんだ?」
「だって、それは」
「オレはね、離さない。三ヶ月、我慢した。その間、一度も連絡くれなくて、もう、本当に限界」
「奏司……」
「だから、オレ手段を選ばないことにした」
静は奏司の見つめる。
静の動揺や躊躇いを呼び起こす視線に、ドキリと心臓の音が、熱が静を包んだ。
瞬間、静の携帯が鳴る。
「でれば?」
静は奏司から離れて、携帯電話の受信ボタンを押した。
井原からだった。スケジュールの確認と、いつ合流できるのかと。
「今でるから……うん。近くについたらまた連絡する」
携帯を切って、身支度を整えた奏司を見る。手段を選ばないなんて不穏な台詞を聞かされれば、いくら静でも、すぐには行動に移せなかった。
「静」
「な……何?」
「何をしてもオレが静を愛してる、っていうのが大前提だからね」
その笑顔の裏は、明らかに何かを企んでいるようではあったけれど、この時はまだ気がつかなかった。