Fruit of 3years3




横たわった状態で、浅い眠りから醒めた。
ギュっと抱きしめてくれていたはずの腕の重さが、いつのまに消えていて、シーツの表面に手を滑らせる。
自分以外は体温も気配も感じない。
ベッドサイドにあるスタンダードなデザインの目覚まし時計を見る。
今なら始発は動き出してる。
ベッドから起き出して部屋に散乱している下着を身につけ、玄関先に打ち捨てられていたスーツに袖を通した。
髪は仕方ない。解いたままにしようと、バッグを拾い上げる。
「静?」
声をかけられて、ドキリとする。
奥のリビングにいたらし奏司が、物音に気がついて出てきたのだろうか?
「おはよう、早いのね」
「もう、帰るの?」
「仕事があるから」
「コーヒーも飲まずに?」
「……」
「オレと一緒にいる時よりも、仕事。楽しい?」
彼と一緒に仕事をしていた時よりも、仕事が楽しいと尋ねられているのか、プライベートで彼と一緒にいる時よりも、仕事が楽しいと尋ねられているのか。
以前、仕事とプライベートが近い方が静には向いてるかもしれないねと、歌恋が云っていたことがある。
そのときは自分と奏司のことなのかと思っていたけれど、歌恋と仕事をしていた時のこともあっての発言だったのだと、最近になってわかってきた。
端から見れば、静のようなタイプはプライベートも仕事もきっちりわけてと思われがちであるのだが、実は違う。
自分との距離感が近ければ近いほど、仕事も打ち込む。
でも、今回は違う。
担当するのは女性ボーカルを中心の三人組のグループだし、三人は高校のころからずっとバンドを組んできた連帯感がある。
仕事の距離をとると、プライベートにも距離ができる。
起用に見える外見に反して、とても不器用なのだと、自分でも思っている。
「たくさん、話もしたいんだけど」
「私もよ。でも、いつもそうさせないのはどこかの誰かさんじゃない」
「オレのせい? 静のせいでしょ」」
「ええ……私が全部悪い。帰るわ」
「なっ!」
奏司が止めに入るよりも早く、ドアの外に出て、早足でエレベーターに乗り込む。
 
――――たくさん、話もしたいんだけど。
 
それは一体どんな話?
このマンションにくるまで、奏司にこうして逢うまで静が考えていたこと?
もしも、そうだったら?
なるだけ訊きたくないと思う。訊かないようにこうして仕事に向かっていれば、怖くはないけど……。
奏司のこの関係が終ったら、静に残るものは何もないなと思う。
才能も実力もない自分ができることは、奏司のような人間を支えるため。
評価は彼らが数字にしてくれる。
ただ、新しく担当した彼等には、作品自体は悪くないものの、奏司が持つような『華』はない。
売れるかどうかは難しい。ここでスムーズに売り出していかないと、静にも責任がかかる。
歌恋も奏司も売り出せたのに、今度のグループが売れないと、評価が……。
このグループを軌道に乗せたら……。
――――仕事をどうしようかな。
担当したグループは悪くはないのに、前の担当が彼だっただけに、静はのめりこめていない。
――――仕事の切れ目が、縁の切れ目になりそう。
担当代えになった時、静自身がそう思ったことだ。
実際、こうして会えるけれど、それすらもなんだか辛い。
中途半端にならないように仕事に打ち込めば、『彼』との距離はどんどん離れていく。
今までの、過去の恋愛でもそうだった。躊躇いもなかった。これで関係が終るならそれでもいいと思っていた。
――――けれど今回は、泣き出したい。
年齢だって、立場って違いすぎる。
そんなことはもう何べんも自分自身に言い聞かせてきていたのに。
――――自分で思ってる以上に、奏司のこと、好きだからだって、わかってる。
そして、仕事を辞めたら、奏司との関係も終わりなのは、十分理解していた。
――――自分が好きならそれでいいって思ってた。でも……昨日、一度も云われなかった……愛してるって……。
いつもなら真っ先に静を抱きしめて言ってくれた言葉がなかったことに、静は気がついていた。
たった一言、言われなかっただけで、こんなに打ちのめされた気分になるなんて彼と付き合うまで気がつかなかった……。
 
 
出社すると、新たに担当したグループ『ぶるうべりー』の雑誌取材に同行して、ラジオ局、その後、軽い昼食を取らせつつ、都心の大型店舗をいくつか回り、初ライブの打ち合わせをする。
時計を見ると6時過ぎだった。
静のスーツのポケットから、バイブモードの携帯から着信の知らせが入る。
プロデューサーに断りをいれると、部屋を出て通話ボタンを押す。
「もしもし」
「元気? オレ」
「ああ、貴宏……? なに」
奏司と付き合う前の彼からの電話だった。
彼には仕事を回してもらったことがあり、時折、連絡を貰っていた。
本格的な仕事の前にさらっと概要を話したいからといって、静を飲みにひっぱりだすのだ。
『まだ仕事?』
「仕事」
『だよなあ、近々逢えないか?』
「仕事の話?」
『そういい仕事』
「新製品でも出るの?」
『でるでる、それでやっぱりCMソングのオファーをね神野奏司に』
「…………」
彼にはこの春、神野奏司のマネージャー担当をはずれたことをつたえていなかった。
彼は今も静が神野奏司のマネージャーだと思ってる。
「ねえ」
『あ?』
「その話、まだどこにも持っていってないでしょ?」
『ああ、てかさー2年契約だったろ? そろそろ更新するかどうかって話もしたいんだよね、本当の契約話の前にさ』
「いいわ。逢いましょう。いつにする?」
『再来週の週末でいいか?』
「いいわ」
『神野もくるの?』
以前、彼と仕事で逢うといったら、『やだ、何それ、オレもいくから』とだだをこねて、奏司もついてきたことがあった。
静の元彼に、余計な手出しをするなと牽制したかったのだろう。
自分のモトカノを口説いてるが、8歳下の全国規模で若い女を虜にするボーカリスト。
それを目の当たりにして、モトカレは呆れた顔していた。
奏司に対して……というよりも、それを許容している静に対してであった。
その一件があるから、彼はその言葉を云う。
「神野は来ないけど……」
『あ、そう……じゃあ、また来週あたりに一度電話いれる』
「ええ」
静は電源ボタンをオフにした。
誰かが静の顔を見たら、どうしたの? と声をかてきそうであった。
ドアがあいて、ひょっこりと顔を覗かせたのは、『ぶるうべりー』のボーカル千帆だった。
「高遠さーん」
「?」
「リハーサル日程のスケジュール確認したいって、河野プロデューサーが呼んでます」
「うん」
「カレからですかあ?」
「お仕事」
「まだ仕事入れるんですか!?」
静は彼女を見下ろす。
女性にしては高身長で、その上ヒールを履くので、彼女だけではなくて、その他の女性も、視線を合わせると、自然とそうなってしまうのだ。
「売れたいの? 売れたくないの?」
「売れたい」
きっぱりと言い切る。
ストレートのロングヘアに、Tシャツ、ジーンズの姿の彼女、ほんの少しカラーリングで髪色を明るくして肌の白さが際立つが、かざらないナチュラルな雰囲気を前面に出している。
「じゃ、仕事しないとね」
「はい!」
元気よく答える彼女に、静は微かに笑いかけた。