HONEYMOON11




「じゃあ、今日は遅くなるから、夕食は……」
「外で食べるからいいよ、駅前のスーパーでデリカをテイクアウトしてもいいし」
「ごめんね」
「うん、オレも作ってあげたいんだけど、ごめん」
「昨日の美味しかった、奏司、料理上手ね」
「でしょ?」
静は背伸びをして、奏司の唇にちょこんと自分の唇を重ねる。
小さなキス。
昨日とは違うキスに、少し不満そうな表情を見せるが、静がわずかに微笑んで、「行ってらっしゃい」と送り出す。
御機嫌な彼女の表情を見て、奏司はしかたなく諦める。
「行ってきます」

―――――静は絶対、ワーカーホリックだ。

下降するエレベーターの中で奏司は腕を組みながら呟いた。
朝から気合の入った和食だった。
ご飯にお味噌汁。卵焼き、焼き魚、納豆、香の物。
きっちりと作って、おはようのキスは頬に。
仕事に出かけるのがそんなに嬉しいのかなってカンジだ。

―――――オレがいないのに。オフィスがいいのか。

オフでずっと一緒だと思っていたのに、と、昨日夕食を食べながら奏司が呟くと、奏司はオフでも、静はやることがあって、オフィスには顔をださなければならないらしい。

―――――それはいいけど、あの人がいるんだよねえ……。

嫌味な上司もだが、あの、彼がいる。
美貌のカリスマプロデューサー、石渡由樹が。
別に静にコナかけようという気配は彼からは感じられない。

―――――だけど、あの人、女関係激しすぎなんだもん。ああ心配。

しかも、夕べは……。
えっちも拒否られたのだ。
夕食を作っている時。あの、言葉数が少ない彼女が、言葉を尽くしてくれたのが、嬉しかった。
今日が仕事なら、余計に、彼女を求めたい。
なのに。
夜も更けてベッドに入った時のことだ。
彼女はベッドサイドに眼鏡を置いて、枕にその頭を沈めて、そして奏司はそこに覆い被さろうとしていたら、視界がぼやけているいるだろう、彼女の目が光る。
「今日はなしで」
やや低めの声で彼女はいう。
眼鏡を外した静は、美人度が増す。というか眼鏡をしている時とは別の威圧感をその瞳から感じられる。
「はい?」
「明日、仕事だし」
「明日仕事なら尚更でしょ?」
「歌恋に云われた。痕をつけないのが大人のマナー」
「……」
「守れなさそうなんで、だめ」
確かに。奏司は静の身体に痕をつけてしまう。
でも、静が痕が残りやすい柔らかい肌をしているのだ。
やろうと思ってやってる時もあるけれど……そうでない時だってある。
「気をつけるから」
そういって、キスをしようとしても、掌で顔を抑えられた。
「奏司、コンディション最悪で仕事をしろと?」
スポーツ選手じゃないだろうと、奏司は思う。
不満そうな表情の奏司の顔に静はキスをする。
「今日はこれで我慢すること、おやすみ」
その威圧的な視線が瞼に閉じられた。
そう云われてしまった。
大好きな恋人にそこまで云われて、強引に自分の欲求を押しとおすタイプではない。
コトは合意の上でやってたつもりなんだけれど、違うのだろうか。
彼女がはっきりと拒否してきたのはその夜はじめてだったので、奏司はしぶしぶ彼女の隣りで、彼女の寝顔を見つめるだけだった。



「静ちゃーん。色校見た? 問題ない?」
「ありませんね、印刷会社には連絡しておきました」
「仕事早っ! 奏司元気?」
由樹のにこやかな笑顔を見て、静は一瞬考える。
「はい。元気そうです」
「会ったの?」
「いつでも連絡をつけることができる状態ですが?」
嘘ではない。
由樹の「会ったの?」という問いかけに、それらしいフェイクと事実を織り交ぜた返答をする。
商品に手を出してる(出されている?)事実は彼に知られたくはない。
「会いますか? 連絡しますよ」
冷静に切り返しているものの、内心は心臓がバクバクしている。
「うーん、やっぱり来月の頭にはツアーのスタッフの顔合わせとリハに入ってきたいんだよね」
彼が仕事上の会話を返してくれたので、内心ほっとする。
「そこは大丈夫です」
「今月はホントにダメなんだよね」
「そうですね……ただ学校にいってるだけじゃないので、研究レポートとかも含めて作成とか云ってました」
「高原、聞いた? 静ちゃん、オフなのに、管理ばっちりよ」
「……」
この石渡由樹、勘がいい。
まずいと思いつつ、でも多分、表情には出ていないだろう。
「静ちゃん、僕のマネやらない」
「お断りします」
「高原、僕振られた?」
「なんでも貴方の思い通りになんかなりませんよ」
石渡のマネージャーの高原が、一言切って捨てる。
「悪かったね、気にしなくていいよ、ただ意地悪してみたいだけだから、この人」
高原はこの美貌のカリスマプロデューサーを切って捨てるように言い放つ。
「えーとじゃあ、また連絡いれるね、奏司の管理よろしくねー」
高原が次の予定が詰まってるんだと由樹の首根っこを捕まえて廊下を歩いていく。
そんな様子を、静がほんのわずかに笑って見送っていた。