HONEYMOON1




「静ちゃーん、奏司は?」

由樹がオフィスのデスクに座っている静を見て、驚く。
現在、神野奏司の初の全国ツアー前で、いろいろと調整に余念がない。
ノートPCに向って、カタカタとリズミカルなタイピングをしている神野奏司のマネージャー、高遠静に声をかける。
いつも一緒にいると思っているのに、奏司の姿を見ないし、静は静でオフィスにずっといる。

「ツアー前に、神野はオフをとってます」
「なんで?」
「学校の関係で」
「テスト?」
「それはツアー中に受けてもらう予定です」
「えー、何々?」
「……教育実習ですよ」

溜息まじりに、しつこく質問する由樹を見上げる。

「教育実習……!! 奏司、教育学部なのか! えー、どこ? 女子高!?」

由樹のマネージャーの高原が、この発言に、コメカミを揉み解す。
ごめんね、高遠さんと、視線が訴えている。
まったく、自分で彼をスカウトしていて、そういうところは何も知らないあたりが、石渡由樹らしい。

「私も、そう思ったんです。いろいろと対策もたてていたんですが、無駄でした」
「なんで? 遅かった? もうストーキングされた? 引っ越さないと!」
「由樹さん、面白がってますね」
「面白いよ! どうなの、てか、ウォッチングしたい!! 見てみたい!!」

テンション高く、はしゃいでる由樹を見て、静は溜息をついた。



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カッカッカッと、黒板に白いチョークで奏司は自分の名前を書く。
神野奏司。
キッチリと大きく、そして、その漢字の横にも振りがなを忘れずに。
教室の中の彼等と彼女達は、彼の名前の文字、そして彼……に注目する。

「神野奏司です。今日から1ヶ月、みんなと仲良くお勉強したいと思います、よろしくお願いします」

そう云うと、ガタンっと一気に椅子と机の動く音と嬌声が上がる。
ただし。
その声は、声代わり前の少年達の声だった……。

「いっやったー!」
「オレたちあたりー!!」
「男の先生だー!」
「体育楽しみ‐!!!」
「イエー!」

この声と混ざって、女子の声があがる。

「うっさい、男子!」
「静かにしなさいよー!」

ぎゃあぎゃあとした喧騒が教室内に広がる。
幾つか予想していた反応で、奏司はニコニコして教室内を見つめてる。
担当の先生が、両手を3回鳴らした。
3回目で教室内が落ちつくあたりが流石だと奏司は思う。



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「しょうがっこう! 小学校って、小学校!?」
由樹が素っ頓狂な声を上げた。
「そうです、小学校。都内某区立梅の木小学校」
「マジ?」
「女子高じゃなくて残念でしたね、由樹さん」
「うっわ、マジ残念、でも、静ちゃん的には安心だよねー」
「……何が?」
「い、ろ、ん、な意味でさ〜」
由樹が、ヘンな節をつけながらそう云って、その場を離れていく。
静は眉間に皺を寄せて、由樹の後姿を見送った。
由樹は安心だよねーというけれど、それでも、教育実習ではもちろん、同年の女子大生だって数人は一緒だ。
普段のキャンパスでも、同年代の女子とも接しているだろうけれど、研修、実習となるとまた環境が違ってくる。
まして、今、売出し中のボーカリスト、神野奏司だ。
奏司は、「いちいち送り迎えに、こなくてもいいよ」と云ってはいたけれど、問題が起きないか心配だ。
デビューの当初、大学を休学してはどうかと提案してみたのだが、彼は、今まで自分を後見してくれた叔父夫婦を安心させる為にも、大学はきちんと通って卒業したいと云ってきた。
彼のプロフィールを書面で確認した当初、意外としっかりしているなと思ったものだ。
とりあえず、今はツアー1ヶ月前。
奏司がオフなら、ツアー前の下準備や、今後のスケジュール確認を念入りに取り組むことができるというもの。
眼鏡のブリッジを押し上げて、モニタに視線を戻し、またリズミカルに、キーボードをタイプし始めた。



静は定時にオフィスを引き上げて、自宅に戻る。
帰宅前に、自宅近くのスーパーで、2人分の食材を買い込んで。
買い込んだ食材を冷蔵庫にしまい込み、風呂を沸かす。
こんなに、普通のOLのような勤務時間は久々だった。これがしばらく続くのだと思うとやはり違和感がある。
自炊するのも久しぶりだ。ここに、友人の歌恋がいたら、絶対に両手叩いて大笑いされるに違いない。それぐらい手際が悪い。
ノートPCをキッチンカウンターに持ってきて、レシピ通りに料理を作っている途中で、ピンポンとインターフォンが鳴る。
小さなインターフォンのモニタ画面に、彼が映っていた。
静はボタンでエントランスのドアを開錠した。