ENDLESS SONG19




オフィスから、歌恋に連絡をとると、都内のスタジオでスチール撮りをしているらしく、話があるので今から時間をくれというと、歌恋はすぐにOKした。

「夜遅く、悪かったわね」
「静ちゃんの方から、顔を見せるなんて珍しいから、あたしは大歓迎」
新しいCDのスチール撮りを終えた歌恋は、メイク落としと格闘しながら答える。
「歌恋」
「なーに」
「Y‐mgを辞めて、あなたの所で引きとってくれる話はまだ有効?」
歌恋はメイクをクレンジングで拭きとって、そのベタベタ感を一気に水で洗い流す。
静は歌恋にタオルを差し出す。
「……静ちゃん、あんた、どうしたの?」
「別に、イロイロと考えた結果、Y-mgを辞めた方がいいかもしれないから」
「あの子には言ったの?」
「まだ、由樹さんには相談した」
「なんて」
「『クルス・マリア』と仕事をしたいって」
「納得しないでしょ、あの人は」
「しない。だから早めに歌恋の合意を得て、退職届けを藤井さんに渡したいの」
多分、すぐに受理されるだろう。と静は思う。
歌恋はタオルの生地の感触を確かめながら、考え込んでいるようだ。
藤井の行動に振りまわされながらも、あの彼を歌わせたいと、そう思って行動していたはずだ。
それが、自分を選ぶとはどういうことだろうと、疑問を抱くのは当然だった。
石渡との仕事、多分それに見合うボーカリストの存在。それを捨てると言うのだ。
タオルから顔を離して、静を見る。
「何があったの」
「……」
「理由は? あたしが手招きしてたのは、静があたしの音楽を好きでいてくれてると思ったからよ。だけど、石渡由樹の音楽と彼の声が、あんたをあの会社に引きとどめた。それを投げ打ってあたしを選ぶなら、相応の理由があるでしょ」
「ビジネスとして音楽をやりたいの」
「……」
「私は、結構、感情に左右される人間なの」
「何よそれ……」
歌恋の言葉は呆れるような声で……、その声を聴くと、静は抑えていた感情を顕わにした。
パタっとリノリウムの床に静の涙が流れ落ちた。
一滴落ちると、後は止めど無く流れる。眼鏡を外して、傍にあるパイプ椅子に座り込む。
スーツのスカートにまた涙が染みる。
歌恋はもちろん驚いた。完璧無表情のこの彼女が泣き出すのところを初めて見たのだから。
「ちょ、ちょっと、静……」
「……きなの……」
「は?」
「奏司が……好きなの……」
「お、おおう、そうかい、それはその良かった」
トンでもなく間抜けな答えだと歌恋は思ったが、目の前で静が泣き出した事実が軽く歌恋を混乱させたからだ。
自分が使っていたタオルを静に渡すと、静はタオルに顔を埋める。
「良くない……」
くぐもった声で静が答える。
「きちんと仕事ができない」
「は?」
「今日も、かなりイッパイイッパイだった。もう駄目」
「……」
「いつものように、仕事に集中しようとして、出来たとは思う、頑張った……だけど、仕事終ったら、終ったら……う……ひっ……」
子どものように、しゃくりあげる静を見て、歌恋は呆然とする。
「仕事だってわかってるのに……」
モデルと奏司の絡みを見てどれだけその場を逃げ出したかったかしれない。
「こんなんじゃ……奏司を歌わせてあげられない……」
この先、こんな仕事はたくさんある。その度に動揺していたらきりがない。
「失敗したら……どうしよう……怖い……」

――――あたしがどうしようだわよ。

歌恋は内心呟く。完全無欠のポーカーフェイスが、目の前で泣き出してしまうのをどうすることもできない。
肩を震わせて、しゃくりあげる静の様子を見て、歌恋はどうしたもんかと考え込む。
よしよしって、甘やかしてやりたい気もするけれど、仕事も絡んでる。
歌恋は深呼吸をしてから一言云う。

「じゃ、あんたはあたしと仕事しても失敗していいわけ?」
「違う、歌恋なら、悩まなくていい」
「どうゆーこっちゃ」
「プライベートとビジネスの区切りが出来る」
「い、や、だ、ね」
一言ずつ区切って歌恋は云う。
「ビジネスだろーが、プライベートだろーが、全部ひっくるめて惚れてくれなきゃ、あたしのバックは任せられない」
「……」
「あんたのそれは逃避」
「……」
「だからいや」

プイっと横を向く。

「そんな静はいらない、あのガキにのしつけてくれてやる、失敗したらいいのよ、そいでもってケンカしてもう顔なんか見たくないってところまでやってくれたら、考えてもいいわ」
「……」
「帰ってちょうだい」

歌恋はドアを開けて、静を出ていくように促した。
ドアの外にはギターの有坂がいて、静と歌恋の様子を交互に見ている。
いつもは「なんだよ、おまえらできてんのかよ」ぐらい仲が良い彼女達の表情とは思えなくて、有坂は沈黙を保ったままだ。
のろのろと静はたちあがって、ドアの外に出ると、力のない後姿で廊下を歩いていった。
歌恋と有坂の視界から静が消えると、有坂は口を開く。

「歌恋……どうした」

歌恋は舌打ちして、携帯電話に登録しているある番号を検索する。

「あ、の、く、そ、が、き〜」
「何、あのクソガキって、神野?」
「そうよ!」

怒鳴り返されて、有坂は一歩引く。

「あたしの静に何やったのよ〜」
「……」
何か言いたそうな有坂を見て歌恋は怒鳴りつける。
「そこで、ヘンなツッコミ入れたら蹴り飛ばすわよ、有坂!」
「いや、痴話喧嘩なんだろ?」
「そこまで至ってない! やっぱガキには任せらんないわ!」
「でも、追い返してるし」
「うっさいな、仕方ないでしょ」
「お前が仕切ることでもないだろーが」
「やっかまし、静みたいなタイプには、あたしみたいな女が一人ぐらい傍にいた方がいいのよ!」
「つくづくお前は漢だよ、オレはついて行くのがやっとだよ。絶対お前と恋愛しようと思わねえもん」
「あたしだってアンタみたいなヘタレはお断りよ!」

そう一喝すると、ピッと携帯をONにする。
3回ぐらいのコールで相手は出た。
「もしもし?」
普通の声での応対に歌恋はちょっとムっとする。
「こんばんは、僕チャン」
攻撃的な歌恋の口調はいつものことだろうと、電話の相手も思っているようだ。
比較的落ちついた返事が返ってくる。
「何ですか?」
「今、静があたしのところにやってきて、アンタと仕事できないからあたしと仕事したいって、泣きついてきたんだけど、心当たりはあるのかしら?」
「……歌恋サンは、ちゃんと追い返してくれたんでしょ?」
「甘えんなよ、今回は大目にみてやるけど、今度こんなことあったら、遠慮無く頂くわよ」
そんな歌恋の啖呵に怯むことなく、電話向こうの相手は落ちつき払ってる。
「お世話をおかけしました」
その口調に、歌恋の毒気はすっかり抜かれてしまった。
「……ねえ、少年。静のこと、大事にしてくれるの?」
「うん。オレが幸せにしますよ」
いろいろと云いたい事があるけれど、とりあえず矛先を収めて、歌恋は携帯の電源をOFFにした。