ENDLESS SONG17




目が醒めると、軽い頭痛。
起きあがると、一気に倦怠感と下腹部に鈍い痛みが感じられた。
ベッド脇に散乱している昨日の衣服が目に入り、アレは現実だったのかとぼんやりと思う。が、それを決定づけるのは、衣服をかき集めて、洗濯カゴに放り込んだ時、洗面台の鏡に映る自分の肌を見た瞬間のこと。

……これは、まずい……。

至るところに小さな内出血の後が残っている。
今日1日は、サマースーツのジャケットを人前で脱げない。
蚊にさされたで誤魔化しが出来る程度ならまだいいが、そんなレベルじゃない。
スーツのインナーはシャツじゃなくてハイネックのものを選ぼうと思い、バスルームのドアを開けた。



出社すると藤井の姿はなくて、ホワイトボードには会議の文字。
それを見ると、ホッとする。
井原から昨日の引継ぎを行い、時間を見てホワイトボードに外出後直帰と印してオフィスを後にした。
車を出そうと思ったのだが、どれも利用されており大通りでタクシーを拾う。
まだ頭痛がするし、身体もダルイので自らの運転は少々の不安もあったから、これはこれでいいのかもしれない。
バッグから社内の自販機で買ったミネラルウォーターと、常備薬のアスピリンを取り出して服用しする。
これで、彼に会うまでにこの頭痛が収まってくれればいいなと思う。
携帯電話の受信メールには、「よく寝てたから、起こさなかった。学校に行って来ます」と彼のメールが残っていた。
昨夜のことを思い出して、この後、彼と会っても、いつもと変わらない態度で接していけるか不安になる。
眼鏡のブリッジを押し上げながら、指先で自らの眉間の皺を伸ばす。

――――――失敗したかな……。キスぐらいなら、まだなんとかなったのにな。

気が動転していたに違いない。でなければ、あんなに気弱になるわけがない。
抱きしめる彼の腕の強さも、甘い声も、自分の醜態も、全部なかったことにしたい。
これから、彼に会って、いつものように、仕事が出来るか不安でたまらない。

タクシーからの景色を見つめる。

彼に会わずにいられたらどんなにいいだろう。
公私混同はできるなら避けたい。
今まで上手くやってこれたのは、静が彼を自分のプライベートに入り込ませなかったからだ。
ビジネスとして位置付けて、接してきたから。
でも、昨日の一件で、この先はそれが出来なくなるかもしれない……。
静の感情が走って、仕事の上で適切な判断を下すことが出来なくなるのが怖いのだ。
冷静―――そう評価を受けることが出来たのは、感情は二の次、客観的見解を優先したから。
でも、昨夜のような状態があって、今までのように変わらずに……は、無理な気がする。
感情が先行した結果、彼を受け入れてしまった。

今まで、音楽と恋愛が―――――一静の中で一緒に進行することはなかった。
どんな恋愛をしてきても、最終的には音楽をとってきた。
相手からすれば、静に切り捨てられたという感じだろう。
3年前の恋愛の終焉も「お前は自分の世界(音楽)だけが大事なんだよ」の捨て科白がついた。
静は何も云い返すことができなかった。
少しショックは受けたけれど、でも、それは事実だった。
付き合っている恋人と音楽は違う。そう思っていた。
だけど、静の中でその比重は音楽に偏っていたから、別れた彼の言葉は仕方ないなと思えた。
恋が終った寂しさも少しはあったが、どこかで安堵もしていた。
自分は仕事と恋愛をどんな形にせよ、両立できないかもしれないと、その時悟ったのだ。

―――――常識的に考えて、この恋愛はやめた方がいい。

相手は8歳も年下だし。未成年だし。
彼の御両親が生きていたら、どんなに嘆かれるか。
保護者として彼を引取った叔父夫婦だって、このことを知ったらいい顔はしないだろう。

―――――でも仕事だ……。

どうしたって顔をつきあわすことになる。
奏司がオンナノコならまだよかった。
歌恋のような友人関係が築けたかもしれない。
憧れのプロデューサーとの仕事でもあった。
Y-mgのネームバリューがあれば心配ない。
ここで自分が離れても、多分彼はこのまま売れていく。
別に一緒に仕事をしなくても、CD、TVで彼はもっと世間に出て来る。
今だってもう有名になりつつある。

―――――私は、そんなに器用な人間じゃない……。

タクシーを止めて、大学構内に入っていく。
頭痛は治らない。
この時間なら、そろそろ教室からこっちにむかってもいいだろう。
とりあえず、そのまま構内に入ろうとすると、背後から身体をはがいじめにされる。
あまりにとっさのことで、声もでない。

「あれ? びっくりしなかった?」

キョトンとした表情で背後にいるのは、彼だった。

「ビックリしすぎると、声は出ないのよ……奏司」
「ごめんね」
「何が?」
驚かしたことに対してだろうか? 静は思う。
「昨日、途中で手加減できなかったから、身体、平気?」
こっそりと、耳元で囁かれた。
瞬間、静は、ビシっと奏司の額にデコピンをした。
「て! 痛い、静サン、痛い、これからPV撮り! 顔は辞めた方がいいんじゃない?」
「悪かったわ。ヒールで足の甲を踏みつけた方が良かったかしらね」
「良くない! 全然良くない! 冷たい!」
おでこを抑えつつ奏司が叫ぶ。
「ようやく周囲からの評価を理解したみたいね」
歩き出すと、ヒールがカツンと音をたてる。
なるだけ、彼と距離を置きたい。気持ちが顕わになるそんな早歩きをしている。
「ね、今抱きしめたら、またデコピンする?」
「蹴り飛ばされたい?」
「昨日はすっごく情熱的だったくせに」
「夢でも見たんじゃないかしら?」
ケンモホロロな静の態度なのに、奏司は全然めげる様子は見せない。
これでは、静の方が大人気ない態度だ。
「……」
ギュっと静の手を握り締めてくる。
「これで譲歩」
「……」
「抱きしめたいし、キスしたいけど、許してくれなさそうだから。我慢するから、手は繋いでいい?」

―――――良くない。

手を握られたら、そのまま体重を預けたくなる。
それはまずい。人目がある。
人気の新人ボーカリストの色恋沙汰なんて、ゴシップ週刊誌のネタになりかねない。
そういうところを、彼はわかっているんだろうか?

「何?」

静が奏司を見上げているので、奏司は尋ねる。

「目が充血してない?」
「ちょっと徹夜気味だから」

しれっと答えるので、静は溜息をついた。
彼が使う目薬を買っておかないと……PVのスタジオの近くのドラックストアはなかったどうか、自分の記憶を確かめ、彼をタクシーに乗せることした。