ENDLESS SONG14




化粧室で思いっきり、さっきの男に掴れた部分をハンドソープを乗りたくってゴシゴシと擦る。
皮膚が赤くなってきても、それはやめなかった。

「……あんのスケベ親父め」

小さな呟きは誰もいないトイレに響く。

「……」

上手く立ち回れなかった自分に腹が立つ。
隙があったのだろうか。
やっぱり、人間を直に見るドラマ畑の人間には、静の無表情の中に、打算があったのを見ぬいたのか……。
ここで、この話を蹴っても問題はない。
が……。こんなことは今までなかったので軽いパニックに陥ってしまった。

BBBBBB

携帯をバイブモードにしていた為に、携帯が小刻みな振動で着信を知らせた。
静はバッグから携帯を取り出す、着信は高原だ。
仕事の件だろうか?

「もしもーし、静ちゃーん?」
「!」

電話の主は石渡由樹だった。

「今ドコー?」

静は化粧台の上にある、店名の屋号、電話番号、住所があったマッチを取り出す。
喫煙が社会的に注意を促されても、まだ、あるところにはあるのだ。
静はそれを伝えた。

「あー、じゃーやっぱりそこかあ……、あ、コラ、奏司」
間延びした声の後に、ちょっと慌てたような声。
しかも、彼は奏司の名前を呼んだ。
「え?」

「動かないでね」

静の耳に、あの声がダイレクトに伝わる。
ゾクっと背筋に震えが走る。
由樹が電話の傍で「コラコラ、かーえーせー」と喚いている。

「今、すぐ、傍にいくから」
「奏司……」

不覚にもジワっと目頭が熱くなる。

「なんで……」
「昨日の様子、ヘンだったから。PV撮り好きなんでしょ? なのになんでいないのさ」
「こら、奏司、返せ」
「そしたら、今日は静サンが来なくて井原さんがくるし、井原さん云ってた。なんだよ、オレのドラマ断ってお詫び接待って」
「悪かったわ」
「アンタのミスじゃないのも訊いた、そんなの、断れ」
「うん、断ってる」
「変な誘いに乗んないでよ?」
「……」
「この先、どんなことがあっても、オレは歌うことしかできないんだよ、ドラマで逃げ様とか思わないからな! いくらおいしそうな話に繋ぎをつけておきたいからって、ヘンな誘いには乗らないで、アンタらしくないから」

なんてカンのいい子なんだろうと呆れる。
そして、彼の声をもっと訊いていたくなる。

「なんでわかったの?」
「わかるよ、云っただろ? オレは―――――……アンタが好きだから」

前々から、云われている言葉なのに、本人が目の前でいうより、声だけの方が静の胸を
締めつけてくる。

「……奏司……」
「コラ坊主、携帯返せ。静ちゃーん、あと3秒で、ソコの店に入りまーす」

由樹がどうやら奏司の手から携帯電話を奪取したらしい。

「え?」

静は化粧室のドアを開けて、通路に顔を覗かせると、石渡とマネージャーの高原、あと、どこかで見たことはあるがすぐに名前を思い出せない人物。
(スーツ姿なので、アーティストではないと思われるが業界関係者)
と―――――……。
彼等から頭一つ分長身の奏司が店のドアを開けて滑り込んできた。
奏司は静を見るなり、化粧室から静を引っ張りだして、ガシっと肩を掴む。

「無事? 何もされてない? されてないよね?」

奏司はそういうなり、静を抱きすくめる。

「よかったああぁ……」

どういうこと? という表情が、普段、無表情の静ではあるが、さすがに驚きも手伝ってわかったのだろう。
抱きすくめられたまま、静は由樹に顔を向ける。
由樹はニッコリと微笑む。

「いや、奏司の様子がヘンだからね、PV一部撮り直しよ、で、調子悪いのかって訊いてみたいのに静ちゃんは別の打ち合せだっていうからさ、藤井に問い合わせたら、口割ったよ」
「……PV……撮り直し……、何やってんのキミは!?」
「煩い! コッチの科白だ! 今ここで何やってんの?」

奏司に云うと、逆に怒鳴り返される。

「まあまあ、いいじゃん」
「それで相手は?」

スーツ姿の男性がいう。
静の記憶にはこの人物の顔はインプットされているが、名前が検索されない。

「奥の窓際の席に……」
「……」

静が云うと、由樹とマネージャーと彼はビジネスモードの態勢に入る。
店員以外の人の気配に驚いて、男はたじろいだ。
「EXTVの吉井さんですよね、いや、失礼、うちの社員がこちらに吉井さんと御一緒だと伺いましてね、近くを通りかかったものですから」

スマートな仕草で、男に名刺を渡す。渡された名刺を見て、男は一瞬驚くが、虚勢を張る。

「なんで、一社員の接待に顔を出すんですか?」
「いや、吉井プロデューサーの噂はかねがね伺ってますよ、是非一度お会いしたいと思ってましてね」

にこやかな笑顔を見せる。

「できればお店を変えて、お話させていただきませんか? 石渡も一緒ですし」

スーツの男とマネージャーに阻まれていた由樹が、進み出る。

「ウチの神野の件で御立腹だそうで」
「いや、そうじゃ……」
「まあまあ、せっかくですし、いい店を御紹介しますよ」

特徴のある由樹の声が、待合コーナーの所にいる静の耳に届く。
矢津騎―――……徹……。
静の中でスーツの男の顔と名前が一致した。
Y-mgの若き……オーナーだ。
一緒にいたのも頷ける。石渡のバンド時代で一緒にやっていたメンバーなのだから。

「忘れ物ないね、静さんのお仕事はココでおしまい。オレと帰るよ」
「……」
「オーナーの件は、後で説明する」
「……」
「ね?」

奏司に云われて、静はコクンと頷いて、彼に肩を抱き寄せられ店を後にした。